「もうおまえの面倒も見てやれなくなって」
と、昨夜は母はかけてきた電話の向こうで少し泣き声になってそう話していた。
「いや、今はお母さんがしっかりと足を治さないと」
と、わたしはそう言った。
母は、二週間前の玄関での転倒で右足の膝の皿付近を強打したらしく、未だに痛みが残っていて、痛み止めのクスリを飲んでいるらしい。
クスリを飲んで痛みを和らげねばならないぐらいの痛みが残っているようで、母もわたしが通院している整形外科クリニックで治療を受けているようだ。
「先生のいうことを聞いて、早く治さないとね」
と、わたしが言うと、
「わかっているって」
と、母が言った。
わたしが独り暮らしを始めて、早一年と五か月になるが、どうもまだ母はわたしを手放したことを後悔しているようだ。
「もうおまえの面倒も見てやれなくなった」
という言葉からは、そんな母の思いが感じられた。
母はとにかくわたしの面倒をよく見てくれた。例えば、勤めをしていた頃も夕方に雨が降り出すと必ず会社までタクシーで迎えに来てくれた。あるいは東京出張からの帰りは新大阪駅まで迎えに来てくれたりもした。
あの頃の母はわたし以上にしっかりとしていた。わたしも母には甘えられるだけ甘えていたように思える。
そんな母が今は何かと二人の妹たちの世話にっている。
昨日、理容店からの帰り、付き添ってくれたヘルパーさんに、両親の面倒を二人の妹たちが本当によくやってくれていてそのことにとても感謝しているというと、
「それはやはり娘さんたちだからですよ」
とそのヘルパーさんは言ってくれた。
女の子だから、両親の面倒をよく見るのだとヘルパーさんは言ってくたが、そんなものなのかと、思わず考えてしまった。
よく、自分が老いて自分の面倒を見てくれるのは息子ではなく、娘だということを言われているが、ヘルパーさんが言ったのもそういう意味なのかと思ったりしていた。
「ぼくの方は、一年以上たって、なんとや独り暮らしにも慣れてきたから」
と、わたしが言うと、
「何言っているの。ヘルパーさんさんたちやいろんな人がおまえを支えていてくれるから、そんなことを言えるんじゃあないの。ちゃんと感謝しないとだめよ」
と、母はいつもの口調に戻っていた。
「わかっているって、いつも感謝しているって」
と、わたしは答えた。
わたしは、いつもの母の口調に戻っていたことに、何か安堵感を感じるとともに、両親の面倒を見てくれている二人の妹たちへの感謝の思いを新たにしたのである。
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