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2018年03月02日10:49

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簡単な言葉で片付けられない

■性的に見られて「嫌だな」、自分の権利が奪われるサイン
(朝日新聞デジタル - 02月28日 20:12)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5007255


私は男であるが、女性の権利は守られるべきだと思う。しかし、昔から案ずるより産むが易しとはいったものの、事はことわざのように簡単に片づけられるものではないようだ。


勿論私も男だから、魅力的な女性に目を奪われることはある。しかし、それだけだ。


親密になりたいならきっかけを作って親しくなればいいし、自分のステータスを上げる努力をして相手を振り向かせるのも良いだろう。だが、ダメならスッパリ諦める。己を見失い理性を欠き、抱いた劣情に翻弄されるような愚人になり下がる気は無い。


私の尊敬する人物の1人にアンドレ・マルローというフランス人作家が居る。彼曰く、「女性の美貌は、高慢の種(同性に対して)になることがあっても、けっして愛情のこもった(異性に対して)快楽を約束するものではないのです」という言葉がある。私はこれを「女性の美しさは、同性に対して自己の優位性を示すことはあっても、異性に絶対的な劣情を抱かせる為ではない」と解釈している。


痴漢などのセクハラは性の権利(性別的に守られなければならないもの)を奪う最低行為だが、同時に、生の権利(生命的に守られなければならないもの)をも奪う、非人道的行為であることを再認識しなければならない。



これは余談だが、元リヨン大学客員教授の長塚隆ニ氏がアンドレ・マルローの元を訪れた時に、彼から語られた内容に以下のような文がある。


《母や姉や妻の生命が危険にさらされるとき、自分が殺られると承知で暴漢に立ち向かうのが息子の、弟の、夫の道である。愛する者が殺められるのをだまって見すごせるものだろうか?》


これには深い感銘を受けた。昨今、草食系男子だのヘタレだの言われている同性や劣情に身をゆだねる不逞な輩に対してぜひとも聞かせてやりたい言葉だった。
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