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2018年02月04日10:19

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存在感

外出しようと家の前で車のオートロックを外すタイミングで、通りかかった高齢女性に声を掛けられた。
「あら、あなた、ここの娘さん?」
「嫁ですが?こんにちは。」
「ここの奥さん(姑)はどうしたの?最近見ないけど。」
10年前に亡くなっているけど、高齢者にとっては10年など最近の事だ。
「まぁ、ありがとうございます。10年前ですが亡くなりました。」

外は寒波。家の前に高齢者センターの送迎バス停留所があるので、高齢者と話すことも珍しくない。というか、見かければ声掛けはする。家の前で事故でもあったら大変だからだ。
ガレージの両側に入庫の目印のコンテナがあるので、そこに座ってバス待ちしている事もある。別に構わないんだが段差があるので転んだりされると困る。

さて、件の老婦人が駅前まで買い物に行くと言うので送る事にした。
90歳ぐらいの老人を寒波の中、歩かせるわけにはいかない。
認知は大丈夫だが、あまり話す機会が無いらしく、老人らしい会話を反芻する。
「良い方でしたのにね。面倒見が良くてね。一緒に〇〇荘(センター)へ行ってたの。」
姑はこの方に比べると、元気な頃でも60代半ばから半身麻痺と弱視の一級障害者。
人一倍気が強く、色白でおしゃれで話し好き、センターでは障害があるのに男の取り巻きもいた。
そういう生活でも手離したくなかったのか、センターの隣にある介護施設のディサービスも見栄を張り通して、通ってくれなかったので、介護者の私はもう大変w
そういう事、分かんないだろうな。

今でもたまに姑の事を訊かれるけど、覚えられているのは流石としか言いようが無い。
人生の殆どを商人で過ごした事だけはある。高齢になればなるほど、ユーモアは必要だ。
私が死んだ後まで覚えている人は家族以外いないだろう。
が…最後の10年掛けられた苦労は忘れないぞ。誰も評価してくれないけど。

うん、怒りを感じるなら、まだ頑張れる手(グー)



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