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2018年01月31日14:11

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隆信年譜

弘治2年老臣らが大友に従おうかという意見。隆信は悪の陶に加担し、弟の義長を送り込んだ大友には従わない。味方するなら大内への義を貫いた?毛利であるとの考えを示す。(結果論的作り話か?)
ただし、毛利には周防龍文寺の僧が肥前にきていたのを案内に、納富但馬を派遣し毛利からも喜ばれる。下野守宗暘の二度目の反乱も鍋島らが一蹴。
秋月文種が大友に背くが討たれ、種実らは安芸に亡命。文種を討ってしまった家臣の小野(古野)九郎右衛門は殺されはしなかったが零落。神代勝利、小川筑後もまた隆信に敗れ、筑前に逃亡。
毛利、大友が豊前で戦う。小田鎮光と隆信和解し、隆信養女が輿入れ。
永禄二年に、少弐時尚、千葉胤頼が隆信に反するも、江上武種が味方せず両者自害。大友が筑紫惟門を討伐し、筑紫は降伏。
馬場鑑周も隆信に降伏。永禄四年神代勝利、再度隆信に敗れ、大村に逃れる。大友に通じていた江上武種が帰順、犬塚尚茂も帰順し隆信妹を娶る。
戦いは続くが、隆信の勢威が増している。

川副さんの隆信の伝記は、川副父のお仕事と大きな差はないとのお話。
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