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2018年01月30日11:05

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中原中也 1907〜1937 

以前 一度 中原中也の写真集を借りたことがあった。

その本では、ランボーに憧れていた青年の印象しか無かった。
そして、友達に恋人を奪われた人の。

今回、詩や日記から自伝的な文章を集めた本を読んで、
中也が中也になった理由が かなり分かった気がした。

1907〜1937、だったかな?30歳で亡くなったんだから。

中也の父は 彼が幼い頃、軍医のため転勤族でソウルにも行っていた。
金沢にいたのは ほんの1,2年。

山口県の家は、湯田温泉の近くで温泉町のせいか、
父は、外出を禁止し、図書館に行くのさえ認めない。
本が読みたいのなら買ってやるからというのである。

長男の中也のあと、男の子ばかり5人が11年の間に生まれ、
8歳の時に、5歳の弟が死ぬが、5,6人の男の子達が、
敷地の中で遊んでいたわけなのか?

開業医となった父は、入院患者も引き受けていたから、
食事は 30人分であった。
祖母、母、看護婦と、忙しい女達の感情がぶつかる。
子供を立て続けに生みながら、転勤族の夫についていった母も
タフな人らしい。
この母は、中也が東京にいる間に死んだ父の葬式に
中也を帰らせなかった。

こう閉じ込められては ランボーのような冒険家に憧れるのは
無理も無い。

落第して 京都の立命館に行くことになり、
16歳で やっと解放される。

2年後、アテネ フランセに通い、外語大に2年。
外交官として フランスに行く事を願っていた。
ランボーのほかに、放蕩なヴィヨンも訳した中也。


中也は、大変 素直な詩を書く人と思った。

自己反省の誠実な詩は、悲しく心に迫る。

失恋の詩でさえ、嘆きやストーカーじみた所はゼロ。
悲しんでいるのだけど、客観的。

小林秀雄が恋人を奪った時の動機を
自然に愛し合っている恋人達への嫉妬だと言う。

これは 案外 当たっているのではないか?
小林も、しばらくして、恋人に去られてしまうのだから。
動機が嫉妬では 長続きするわけがない。

その恋人が別人と結婚して生んだ子供の名付け親を引き受け、
医者の息子らしく、薬の心配までしている。

この辺りを読むと、同じく医者の息子だった朔太郎は
どんな風だったんだろうと気になる。

中也は 死の前年くらいに、15歳の頃の娘達との愛を
3人ばかり、思い出して 詩にしている。

なんといっても、16歳で知り合った女性との同棲が
人生最大の恋愛だったと思われるけど。

2歳で死んでしまった長男を嘆き、精神の変調まで来たすが、
すぐに次男が生まれる。
(つまり、妻は大きなお腹で、初子の死に直面した)
しかし、彼自身も結核性脳膜炎で死んでしまい、
次男も夭折し、啄木の妻と同じく、立て続けに3つの死を
妻は経験せねばならなかった。

この自伝的文章の本には、「ゆあ〜ん、ゆよ〜ん」や
「汚れちまった悲しみに」は 出てこない。

表紙の写真は、ネクタイ姿の真面目な風貌。
大きな目と口で じっと見つめている写真。

日記の文章にも、ランボーに憧れた描写はない。
どこか 冷めている。

30歳で人生が終わった中也は、すでに20代で
青春は終わったと書く。
16歳でリアルな恋を始め、
27歳で 父親にもなっていたせいだろうか?

中也は 宮沢賢治を 早くから発見していた。
高村光太郎は、彼の詩集の装丁をしてくれた。


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