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2018年01月24日05:22

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西部邁さん死去を悼(いた)む声相次ぐ

保守派の論客西部邁さんが死去されたことに対して、政治家や知識人などから彼の死を悼(いた)む声が相次いでいます。
内閣官房参与で、京都大学教授の藤井 聡さんや、 教科書をつくる会の発起人で、教科書が教えない歴史で有名な藤岡信勝さん、他、杉田 水脈さんらが、facebookでコメントされております。それぞれ、700人くらいが、いいねを押しており、改めて影響力の大きさを感じられました。

藤岡信勝氏

西部邁先生がお亡くなりになりました。哀悼の意を表し、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
 この訃報に接して、やはりそうだったのか、と改めて思い当たる次第です。今の日本の政治や、社会や、言論の絶望的な状況を、機会あるごとに繰り返し本気で嘆いておられましたから、こうした結末は十分に予想されることでした。戦後日本が生んだ、独創的な社会科学者が、このようにして生涯を閉じなければならない現状に、涙を禁じ得ません。
 西部先生の思い出といえば、なんと言っても、「新しい歴史教科書をつくる会」の草創期に、一緒にたたかって下さったことを忘れることができません。公民教科書の執筆を担当していただきましたが、西部先生は教科書の全体の構成を考える時に、ありきたりの枠組みに一切頼ることなく、全く独自の論理を構築しました。
 その現場に立ち会った者の一人として、その思考の柔軟さと独創性に驚嘆したことを、今でも思い出します。また、当代一流の学者が、日本の子供のためにこれ程真剣に課題に取り組んで下さったということも、感動的なことでした。西部版『新しい公民教科書』は、つくる会運動が生み出した貴重な財産の一つです。
 今回のことがらそのものは、私的な部分を含めてご本人が選択されたことですから、他人がとやかく言える余地はありません。ただ、どういう事情があったにしても、西部先生ほどの繊細さと感受性をもって生きてこられた思想家の行動を、時代との関わりを重ねて考えるのは、誰にとっても自然の成り行きです。
 巨星落つ、というべき、この悲しい出来事を、今後どのように受けとめていくか、重い宿題です。

藤岡信勝
平成30年1月21

藤井 聡氏

西部邁先生が、ご逝去されました。

享年78歳。

我々の生きたこの戦後日本の時代で、最も偉大な言論人であり、当方が最も尊敬する師でありました。

生前の先生のお姿、一つ一つのお言葉を偲びつつ、心からご冥福をお祈り申し上げたいと思います。

先日、金美齢さんをお招きした『虎ノ門ニュース』で、金先生のサロンでお目にかかった識者、政治家の話をし、西部邁先生のお名前を出したばかりだった。西部先生に初めて金先生のサロンでお目にかかったのは、1996年ごろ。そのとき私は会社員で、雑誌の編集者だった。

その後、十数年が過ぎ近年になって、何度か先生と仕事でご一緒することがあり、議論などさせていただく機会があったが、それはもう「議論」なんてものじゃなく、西部ゼミの学生になったみたいな感じで、先生から多くを教えていただいた。仕事の後の酒席でも、先生は気さくに微笑みとともにいろいろなことを教えてくださった。

時折、からかいながら「有本さんともあろう人が、そんなこと言っちゃいけないよ」などと、笑ってご批正いただいたことを今、思い出す。誰とでもフラットに話される先生だったが、「彼はダメだな」などとも仰る。それを聞いて私は「ダメ出しされないように勉強しなきゃ」と珍しく殊勝に思ったものだ。

有本 香
1月22日 7:26

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