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2018年01月03日22:28

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2018年年始挨拶 1945年8月プロジェクトフラ。

皆様、改めて新年明けましておめでとうございます。

恒例の月刊ガンプロ2018年2月号より
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巻頭特集はH&K VP9 vs UPS9 対決。
似たようなポリマーフレームガンで全く面白くないので割愛。

真ん中のターク高野さんの記事
「戦後オートピストルへの貢献度」
M1911A1 vs P-38
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M1911A1(コルト ガバメント)が後世に影響を及ぼした機能は作動形式で、バレルブッシング先端を支点し、バレル後部をリンクとカムブロックで昇降させ、バレルを傾斜(ティルト)させることで、スライドの閉鎖、開放を行う。これが通称ブラウニングタイプ/ショートリコイルと言われるもので、後継のブラウニングハイパワーも同様である。
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だが最近はスライド内部にリセスを設けず、エジェクションポートにバレルトップがすっぽり入る方法による閉鎖が一般的になって来た。
この方式によるブラウニングタイプ/ショートリコイルを最初に製品化したのはSIG P220
ではなかったかと思う。
これ以降、SIG P320からグロックまで全てのオートピストルデザインは殆どこの形式となっている。
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これはH&K VPとUPSだが上記のM1911A1と比べスライド内にリセスがないのが分かる。

M1911が商業的に成功をおさめたのはバレルティルティング形式で大型口径の割にスライドが薄く出来てカッコ良くなったことだ。
またM1911形式のシングルアクショントリガー&セイフティは後継のブラウニングハイパワーでは継承されず、極めてまれなシステムなのだが、今でもレミントン、キンバー、SIG、トーラス、スタームルガー、S&Wまでがそっくりそのまま完全コピーモデルを出しているので裏をかえせばそれだけ完成度が高かったものと言える。
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ワルサーP-38
ワルサーはブラウニングとは別な意味で戦前のオートピストルの先駆けだった。
ワルサーPPに始まるサイドアームは今でも通用するセイフティ機構を持つ優れたものだ。作動形式はプロップアップと呼ばれるもので、ショートリコイル時、バレルはストレートに後退。
これをそっくり真似たものがベレッタM92シリーズだ。

ベレッタM92だが、P-38と異なりスライドにロッキングブロックをカバーする部分がない。泥や砂がここから入れば作動不良になる可能性が十分あるのだが、米軍トライアル時に問題にならなかったのは不思議としか言いようが無かった。
しかしイラク・アフガニスタン戦争で問題になったのはマガジンの作動不調でこの問題はなかったらしい。
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【年末に出てきた太平洋戦争終戦時の新情報】
「ソ連の北方四島占領、米が援助 極秘に艦船貸与し兵士訓練も」(2017/12/30)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171230-00010001-doshin-hok
「プロジェクト・フラ」作戦 北海道の根室振興局が調査
【根室】1945年8、9月に行われた旧ソ連軍による北方四島占領作戦に、米国が艦船10隻を貸与していたことを、根室振興局が米国とロシアの専門家による研究成果などを突き合わせ、明らかにした。米国はソ連の対日参戦に備え、大量の艦船の提供だけでなく、ソ連兵の訓練も行っており、米国の強力な軍事援助が四島占領の背景にあったことが浮かび上がった。

これ英語版wikiに遥かに詳しい情報が出てます。
「Project Hula」
https://en.wikipedia.org/wiki/Project_Hula

ソ連軍の北方領土侵攻に米軍が艦船の貸与及び兵士のトレーニングを直接アラスカのコールドベイで行っていた。
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米海軍コールドベイ基地
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左から2人目のボリス・ドミーポポフ少将はコールドベイのソビエト海軍船の第5回独立旅団の司令官、米海軍ウィリアム・スチュワートマクスウェル大尉(右端)と記念のケーキカット(1945/5/30)
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米兵に信号旗の訓練を受けるソ連兵
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8月15日、日本がポツダム宣言受諾・降伏後に、米軍が貸与してソ連軍が北方領土侵攻に使用した船舶が以下の通り。

16 August 1945
Patrol frigates (PF): USS Tacoma (PF-3) (EK-11), USS Sausalito (PF-4) (EK-16), USS Hoquiam (PF-5)(EK-13), USS Pasco (PF-6) (EK-12), USS Albuquerque (PF-7) (EK-14), USS Everett (PF-8) (EK-15)

17 August 1945
Minesweepers: USS Bond (AM-152) (T-285), USS Candid (AM-154) (T-283), USS Capable (AM-155) (T-339), USS Captivate (AM-156) (T-338), USS Caravan (AM-157) (T-337), USS Caution (AM-158) (T-284)
Auxiliary motor minesweepers (YMS): USS YMS-33 (T-603), USS YMS-85 (T-604), USS YMS-100 (T-602), USS YMS-266 (T-601), USS YMS-288 (T-600), USS YMS-301 (T-605)
Submarine chasers (SC): USS SC-538 (BO-321), USS SC-643 (BO-322), USS SC-752 (BO-325), USS SC-754 (BO-324), USS SC-774 (BO-323), USS SC-997 (BO-326), USS SC-1007 (BO-332), USS SC-1011 (BO-327), USS SC-1031 (BO-328), USS SC-1364 (BO-331), USS SC-1365 (BO-329)

26 August 1945
Patrol frigates (PF): USS Bisbee (PF-46) (EK-17), USS Gallup (PF-47) (EK-22), USS Rockford (PF-48) (EK-18), USS Muskogee (PF-49) (EK-19), USS Carson City (PF-50) (EK-20), USS Burlington (PF-51) (EK-21)

27 August 1945
Auxiliary motor minesweepers (YMS): USS YMS-88 (T-608), USS YMS-180 (T-609), USS YMS-135 (T-606), USS YMS-332 (T-607), USS YMS-285 (T-610)
2 September 1945
Patrol frigates (PF): USS Bayonne (PF-21) (EK-25), USS Poughkeepsie (PF-26) (EK-27)
Submarine chaser (SC): USS SC-756 (BO-335)

※9月2日 米艦ミズーリ号上にて降伏調印。

3 September 1945
Auxiliary motor minesweeper (YMS): USS YMS-287 (T-611)

4 September 1945
Patrol frigates (PF): USS Gloucester (PF-22) (EK-26), USS Newport (PF-27) (EK-28), USS Bath (PF-55) (EK-29), USS Evansville (PF-70) (EK-30)

以降の余談。

1945年8月15日の日本のポツダム宣言受諾の2日前(8月13日)、ニシータ ・フルシチョフとMerehal Meretskovは、北海道を侵略すべきだと示唆したが、Vyacheslav MolotovとGeorgy Zhukovを含むソビエト外交官や将校の大多数は、侵略に必要な陸上工作や設備がまだ十分でなかったことを理由に反対した。
彼らはもし(ソ連軍が北海道侵攻を)実行したとしても、激しい日本の防衛に兵士を危険にさらし、ソ連が日本の本島に侵入することを禁じる連合国とのヤルタ合意に違反することになると指摘した。

1947年9月11日、アメリカ軍が日本の占領撤退したことに関してアメリカの指導者によって以下の様なメモが書かれた。
日本は、近い将来、米国の安全保障に脅威を与える可能性は低い。したがって、極東での米国の安全保障としての在日米軍は、主に東洋におけるソ連の武力侵略に対して保護するように整備され利用可能な手段である。
現在のソビエト軍能力の見積もりでは、ソ連が日本列島を上陸させるためには十分な海軍力を持たないことを自ら認識している。
例え在日米空軍・陸軍はソ連軍のファーストアタックを受けて衝撃は受けるだろうが、ソ連軍の侵略成功は非常に限定的であり上手く行かないというものである。

これはソ連側資料から見た太平洋戦争である
「暗闘―スターリン、トルーマンと日本降伏」
昭和史研究の半藤一利と元外務省の佐藤優の対談本である「21世紀の戦争論 昭和史から考える」本にも全く書かれていない事実である。

一般に知られる史実として1945年4月12日FDRが死去した後、後任のトルーマンとスターリンが反目してしまい、スターリンが「北海道を留萌〜稚内ラインまでの半分寄こせ」と言ったとか、ソ連軍司令官ワシレフスキーが「北海道に上陸する」との電報に、米軍司令官マッカーサーが「ソ連兵が1兵たりとも上陸したら直ちに殲滅する」と電報を打ったとか言われているが、これは全部がインチキで、実はヤルタ会談での合意通りにソ連は南樺太と北方領土を侵略・占領することだけが目的で、それに米軍が基地の提供・兵士の訓練・船舶貸与まで全面協力したのが事実というもの。
従って8月6日の広島原爆投下はスターリンは米国にソ連軍将官がいるのですから事前に知っていたのに間違いありませんし、8月9日の長崎原爆投下(日本時間 午前11:02)とソ連軍の満州侵攻(日本時間 午前0:00)がほぼ同じタイミングだったのも偶然ではないでしょう。
米ソで示し合わせて行ったものです。
しかしそんなヨタ話が今まで通説とされていたのだから、酷いものです。

この英語版wikiは1997年に出版された本
「Project Hula: Secret Soviet-American Naval Cooperation in the War Against Japan (The U.S. Navy in the Modern World Series, No. 4)」
著者:Richard A. Russell
を元に記載されたもの。
この本はアマゾンで中古本販売されてるが、出版が1997年で、約20年前に出版されたときには全く日本では話題にならなかったのは何故?
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そもそも北方領土は日露戦争時のポーツマス条約で米政府が仲介して、日本に「上げたもの」を、太平洋戦争で今度はソ連に「返して差し上げた」もの。
従ってソ連(ロシア)が日ソ中立条約を一方的に破棄して不法侵略・占領してるとか返還しろと、日本政府が言うのは、上記史実からすると完全に無理筋です。
これを知っても未だ「北方4島返還」外交交渉は無理ではないでしょうか。
1956年10月19日正式署名、12月12日効力発生された日ソ共同宣言の2島返還までです。
鈴木宗男センセと佐藤優のセミナーで機会があれば直に聞いてみます! 

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