mixiユーザー(id:836685)

2017年12月24日20:20

160 view

1997タイ旅行【20】タイからの手紙〜黄金に輝く国より〜

 私がクラビに訪ねた男性、K氏は、ダイビングに魅せられた人であった。紅海で知り合い、帰国後も、仙台と神奈川という距離を隔てながらもなぜかほそぼそと付き合いが続いてきた。
 絵葉書の住所を頼りにやって来たクラビという場所は、主にプーケットへの中継地点として存在する、あまり賑やかではないリゾート地だ。高級と言うには少しためらわれるようなホテルを筆頭に、下は1泊約500円のバンガローまで揃っている。スラー・ターニー行きの旅行者用バスにはサムイ島、ピピ島、そしてプーケットに行く人が圧倒的に多く乗っており、クラビ止まりの人はほんのわずか。このことからもクラビの知名度の低さが伺えるが、派手派手しいホテルが軒を連ねる高級リゾートが苦手な私には、こういう気軽な場所の方が肌に合う。
 クラビのバス停から乗り合いバスに乗り、K氏の滞在しているアオナン・ビーチという所に向かう。軽トラックの荷台に椅子と屋根をくっつけたようなバスは満員。後ろの手すりを握りしめ、車体の縁に足をかけ、立ったまま車に揺られてゆく。鉄棒の逆手の要領で、真後ろを向いて立っていたら、道端を歩く人やバイクで後ろを走る人が微笑みかけてくる(笑われていたのではないと思う、多分)。
 葉書の住所のダイビングショップを訪ねると、K氏はダイビングのツアーに行っている最中で、明日戻ってくるのだという。店のスタッフやたまたまいた日本人のお客さんたちと話しているうちになんとなく話がまとまり、翌日はシュノーケリングに行くことになった。
 翌朝。ニワトリが甲高く鳴く声が聞こえて目を開けると、ビデオやステレオの時計の表示だとか、炊飯器のタイマーの光だとかの人工的な明かりがまったくない闇の中に、天窓からもれる光だけが木もれ陽のように差し込んでいる。バンガローの外では鳥がピチュピチュと鳴き、ああ南国〜という気分でいっぱいになる。どーだ、ホテルに泊まってちゃこの気分は味わえないぞ。蛍光灯が、一度消したら二度と点かなくなってしまうのが欠点だが。
 暗くてとても困ってしまい、オーナーに助けを求める間じゅうエルトン・ジョンの「僕はもう君の暗闇を照らすことができない〜♪」という内容の暗い歌を歌っていたら、いきなり電気が点いた。気まぐれな。ともかく、ライチ入りヨーグルトを食べて海へ。
 ダイビングに行く人たちのボートに乗り、小さな島のビーチに降ろしてもらって、昨日知り合った日本人のBさん母娘と共にシュノーケリング。海は、マリンブルーとはいかないまでも透明度が高く、サカナやナマコやウニやシャコ貝がいっぱい。
 ちなみに当日のわたくしの水着はカワイイと評判のピンクのチェック柄(水着がなかったので出発前に買いに行ったら冬なのでどこにも売っておらず、デパートの店員さんに「水着どこですか」と尋ねたら倉庫のようなところに連れていかれ、なんとか売ってもらったといういわくつきの水着)。貸してもらったマスクとシュノーケルとフィンがピンクという偶然にして完璧なコーディネイトに浮かれる。夢中になって泳いでいたら、体のウラ側だけが焼けてしまった。
 これはイカン、と午後になって表側を焼き、寝ているのに飽きたので島の中の洞窟を探検する。ビーチサンダルとカメラ片手に、裸足でどんどん高い所へ登ってゆく私。後ろから友人の「待ってよ〜、怖いよ〜、すべるよ〜」というかぼそい声が追いかけてくる。手助けをして、また登る。
 洞窟中段のぽっかり開いた穴から顔を出すと、海の方からなにやら賑やかな船がやって来る。イヤだなあ、せっかくプライベート・ビーチ気分でいたのに・・・と思いつつ観察していると、船は陽気な人々をビーチに降ろして去って行った。
 陽気な笑い声は、なんだかどんどん大きくなるような気がする。ふと後ろを振り返ってみると、なんとその陽気な御一行様はまず泳いでみるということをせずに、一目散に洞窟へ、我々の方へ向かってくるではないか。イヤ〜ガイジンコワイ〜、とは思わなかったげ、なす術もなくまた登り続けていたところ、何故か私が高くて危険な所を登っているのが大変ウケたようで、こっち向け、写真撮ってやると身振り手振りで大騒ぎ。
 やたら賑やか、やたら早口。話しかけられても何を言っているのかさっぱり理解できず「ああ私の英語聞き取り能力も落ちたもんだ」と思ったが、よくよく注意して聞いてみると英語ではなかった。この明るさ、若いのにみんなちょっぴり太り肉の体型、対照的に女性はやたらグラマラスでおまけにビキニにTバック、こりゃ間違いなくラテン系!
 「シニョーラ」「シニョーラ」とか言ってるので「イタリー?」と尋ねてみると「オオ!」とみんなで大喜び(クイズじゃあるまいし)。「シー!ボローニャ!ボローニャ!」ボローニャからやって来たらしい。
 その後何を話したかは全然覚えていないのだが、沈黙が訪れて気まずかったという記憶はないので、なんかしらんが盛り上がったのだろう。おそるべしラテン系。
「イタリアに来ることがあったら是非ボローニャを訪ねてくれ!」
とか言われてしまったが、社交辞令か、それともジャパニーズの水着姿に感銘を受けたか(そんなわけないな、あんなナイスバディのネエちゃん連れといて)。
 いずれにしても、わたくしが、洞窟の海に面した穴に寄りかかり、後ろから差す午後の光を背に微笑んでいるという、サイパンに写真集の撮影にやって来たグラビアアイドルのような構図の写真が残っているのは、彼らイタリー御一行様のおかげである。しかしイタリア人たちよ、顔を紅潮させ息を切らしてまで、登ってくることはないのに・・・。
 シュノーケリングを再開。近づくと逃げてしまう(当たり前だが)魚に業を煮やし、餌づけを試みることにする。Bさん母子の娘さんが考えた「イタリア人に昼飯の米粒をもらってくる」という案も捨てがたかったが、結局我々の昼飯の残りのパイナップルを利用することに。思い立ったが即行動、トライアスロンの選手のようにガバガバと陸に泳ぎ戻り、フィンを波打ち際に脱ぎ捨て、荷物置き場に駆け寄ると、パイナップルを片手にむんずとひっ掴む私。しかし振り返った瞬間、海に流されるフィンを発見。オオ?ちょっと待て〜!と絶叫して海に飛び込む私の後ろで、イタリア人たちがドドーッと笑っている声が聞こえていた。
 ああ、疲れた。こんな時はビールが欲しい、と思いながらバンガローへの道を歩いていると、不意に夕暮れが訪れた。
 なんというか・・・「このような光景を見るのは生まれて初めての経験である」というような言葉は「旅の文章」で良く見かけるのであまり使いたくないのだが、本当に、日本でも、外国でも、このタイ滞在中にさえも、後にも先にもこれ一回きりの、夕暮れだった。海に落ちる太陽が美しかったとかそういうことではなく、空気が、オレンジ色ではなく、黄金に染まっているのだ。
 なんだか世界が滅びる日は空が黄金に輝くんだよ、という感じの、ともすれば終末感あふれるような、それでいて懐かしいような、この世のものとも思えぬ黄金の空気に、町や、海や、空や人が沈んでいる。何か素晴らしいものを見た時に「手にしたカメラを使うことなど忘れて見とれていた」という言葉もよく使われるが、そんな気持ちが本当によくわかった。こればっかりは、言葉では伝えることができない。
 さて夜。ダイビングショップにとことこ歩いて行くと、ウェットスーツを洗うK氏の姿があった。背後から忍び寄り「オーイ」と声をかける。「ん?あーっ!」と振り返って叫ぶK氏。内緒で訪ねてきたものだから、心底驚いていた。のちに、「外国まで追っかけて行ったんだから、あいつらデキてんじゃないの?」という噂も流れたが、まったく事実無根である。私はただ、彼を驚かせたかっただけなのだ。
 その夜は再会を祝して飲みに行った。翌日はK氏に地図を貸してもらってフラナン・ビーチというところに行き、死ぬほど陽に焼かれ、夜はまた飲んだ。エジプトの思い出話、日本にいる共通の友人のこと、何故か南十字星の話、何故か音楽の話などに花が咲く合間に、K氏は、ビールを浴びるように飲みながら「それにしてもこんなとこまでわざわざ・・・」という驚きと「もうちょっとのんびりすればいいのに、そしたらピピとかプーケットとかいろんな島に行けるのに」という残念そうな言葉を交互に、何度も繰り返していた。私と同行の友人は、翌日にはクラビを離れ、北に向かうことになっていたのだ。
 そう、もう少しのんびりすれば、ここよりもっと美しい海も見られただろうし、ロッククライミングもできただろうし、ダイビングのライセンスも取れたかもしれない。あの黄金の夕焼けも、もう一度見ることができたかもしれない。そんなのもいいなあと思うけれど、やっぱりすぐどこかへ行きたくなってしまう。乗り物が好きだという理由もあるが、なぜかとにかく移動してしまうのだ。満足しました、飽きましたというわけでは決してないのだが、すぐに「ああ楽しかった、さあ、次!」と思ってしまう。ひょっとしてこれが貧乏性というやつなのだろうか。しょうがないなあ。
 クラビは楽しかった。フラナンビーチでは鍾乳洞をはじめ色々変わった地形のところに遊びに行った。まさにジャングルという道に迷い込んだ。アイスを食ったらトウモロコシの粒がしこたま入っていて、タイ人と我々の間に横たわる味覚の深い溝について考えたりもした。Bさん母娘におごってもらったビールはとてもうまかった。ビーチのはずれのカフェに行って沈む陽を眺めながらビールを飲もうとしたのだが、全力で駆けたにもかかわらず着く前に日没を迎えてしまったこともあった(でもビールは飲んだ)。そして何より、K氏に無事会えて嬉しかった。訪ねてみたらもう次の土地に行ってしまった後だった、とかいうことにならなくて本当に良かった。
 やっぱり私は、彼のような人が羨ましいのかもしれない。日本を離れたまま何ヶ月もいろんな国を渡り歩くことが。めたくたな英語でもいろんな国の人と仲良くなり、溶け込んでしまうような、自然体の明るさが。
 そして私は多分、彼に勢いのようなものをもらいに行ったのだと思う。ありがとう、そして、楽しかった。さあ、次の土地には、どんなものが待っているのだろう。
3 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2017年12月>
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      

最近の日記

もっと見る