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2017年12月24日20:17

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1997タイ旅行【18】そのほか(その2)

 あの「美しき思い出の名もなき町」について、たったひとつ苦言を呈したいことがあるとすれば、駅のトイレに入ろうとしたところ、女性用の入口のドアが釘で頑丈に打ち付けられていて入れず、大いに人目をはばかりながら男性用の個室に入らざるを得なかったことだ。ビールを飲むと異常にトイレが近くなる体質の私は、まるで今しがたドアの向こうに消えた要人を追うスパイのような怪しい動きを見せつつ、2度もそのトイレのお世話になった。はばかるような人目が全くなく、見ている者がいたとすればニワトリだけであっただろうということが救いであった。

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 バスについてはあまりいい思い出がないのだが、中には例外もあった。
 ナコン・パトムからバンコクへ向かうバスの中では、客の誘導係(?)と料金係をやっている2人の兄ちゃんたちが色々と親切にしてくれ、大変楽しかった。
 バスは町に入ると途端に大音量で音楽を流し出す。道端に人が立っていると誘導係が運転手に合図、一時停止したかと思ったら「早く乗りやがれこのやろう」という物凄い勢いで人を乗せ、アッという間に発車するのだ。
 流れる音楽はやたらめったら行進曲ふうなのだが、人の目を引くためなのだろうか。そして数日前、とある町を歩いている時に目撃した、バスの中で踊っていた男は、このような「誘導係」の職にある人で、ひょっとしたらその踊りも人の目をひきつけるためのものだったのだろうか。それにしてもあんなにノリノリで踊らなくても。
 このようにバスの乗務員というのはなかなかに忙しそうな職業であるのだが、この時の兄ちゃんたちは合間を見つけては、しきりに我々をかまってくれた。特に料金係の兄ちゃんは人懐っこい性格なのか、三枚目っぽい性格を全面に出して我々を笑わせてくれる。「タイで見つけた名物バス車掌」て感じである。そればかりか我々の行き先を尋ねては地図で調べて事細かに教えてくれたりと、大変に親切でもあった。こうして約1時間半の間、全く退屈することなく過ごした我々は、感謝でいっぱいの気持ちで彼らに手を振り、バスを降りたのだった。

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 タイ最終日、トラベラーズチェックをバーツに替えるのをさぼったせいで、夕食代がなくなってしまった。友人をすがるような目で見上げたところ、
「無計画に遣うからだ。私だってギリギリしかないよ」
と冷たく言うのである。共に旅をしてきた親友に向かって、なんとひどい言葉を吐く女であろうか。もっとも友人に言わせれば、私の方こそ「自転車がパンクしたからといっていきなりその場で昼寝を始めてしまい、一人で遺跡見物に行かせる女」であるらしいのだが・・・。
 友人が頼れぬとなると、他に頼ることができそうなのは勿論、日本人の旅行者だ。私が今必要としているのはたかが20バーツほどの金である。高額のトラベラーズチェックを今更両替するのもバカバカしいし、これから日本に帰ろうとしている旅行者をつかまえて、手持ちの100円玉とバーツを交換してもらうというのは、なかなかよいアイディアではなかろうか。
 そう考えつつファランポーン中央駅で目星をつけていると、いましたいました、日本人の若い女の子が。早速走り寄り、なるべく怪しまれぬよう、ちょっぴり哀れっぽい調子で事情を話すと、彼女はしばらく考えてからこう言った。
「いいですけど、私もあんまりバーツを持ってないんですよ。これからチェンマイに行こうと思うんですけど、安宿って、クレジットカード使えるんでしょうか?」
クレジットカードなど持ったことのない私は、正直に答えた。
「どうでしょう。使ったことないんでちょっと分かりません」
そんな回答をした(つまり答えになっていない)。にもかかわらず、彼女は100円硬貨と20バーツを交換することを快諾してくれたのである。
 一部始終を話すと、友人はこう言った。
「ねえ、正直なところ、私たちが泊まってきたような安宿で、クレジットカードが使えると思う?」
「・・・思わない」
やはりクレジットカードというものは、ホテル、しかも中流以上のホテルでしか利用できないものと考えるのが妥当ではないのだろうか。そう正直に話さなかった私は、彼女を騙したことになるのだろうか。彼女がチェンマイに行き、安宿に泊まり、チェックアウトの際にカードを出して断られ、そこで悶着があったとしたら、それは彼女の乏しいバーツのうち幾らかを取り上げてしまった、私の責任ということになるのであろうか。
 でも、まさかねえ、屋台でご飯食べるのにカード使う人もいないだろうし、そこらの雑貨屋でジュース買う時にカード出す人もいないから、あの人もきっと、ないとか言っても幾らかは現金を持ってるはずだよね、と話し合ったものである。そうでなければせめて、彼女にとっての「安宿」が「高級よりは落ちる、という程度のホテル」であるとか、彼女がレストランでしかご飯を食べない人であるということを願うばかりである。

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 バンコクのバスターミナルでスコータイ行きのバスを待っていた時のこと。
 あんまり暇だったので、地図を広げて病院を探していた。友人のふくらはぎに湿疹のようなものができて、どうにも痒くてしようがないというのだ。
 ものの本によると、今は便利になったもので、なんとバンコクには日本語の通じる病院があるのだという。その病院はラマ9世通り沿いにあるらしいのだが、しかし、どこを探してもその通りが地図の上に見つからないのだ。しかもバンコクには「ラマ何とか」がつく通りや橋や公園などが沢山あって、大変紛らわしい。
 これは、歴代の国王を名前で呼ぶ代わりに「ラマ何世」というように呼ぶことからきているのだと思うが、タイについての特に歴史的な知識が旅行中全くなかった私は、
「このラマというのは人名だろうか。それにしてもそこらじゅうラマだらけだから、よっぽどタイではメジャーな人であるに違いない。加山雄三通りとか清水次郎長通りとはスケールの大きさが違う」
とか考えていた。
 ラマ1世通りラマ1世像ラマ1世橋ラマ2世通りラマ3世記念公園ラマ5世通りラマ5世騎馬像ラマ6世像と、ラマのつくものを次々挙げてゆくうちにだんだんおもしろくなってきて、しまいには病院探しを忘れるほど、2人して夢中になってしまった。結局病院には行かずにすんだので、まあよいであろう。良い暇つぶしになった。

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 タイ族最初の独立国家であるスコータイ王朝の遺跡を見に行った。遺跡公園は大変広いので、入口で自転車を借りることにした。貸自転車屋の店先には我々ちびっこのサイズに合う大きさのものがあまりなく、散々試し乗りした末に、なんとか2台、錆びついた古そうな自転車を借りることになった。2台の自転車にはそれぞれ「スワロー9号」「スワロー6号」という名前がついていた。
「行くぞ9号!」
「がってんだ6号!」
ちなみにわたくしが9号で、友人が6号である。
 風を受け、自転車は軽快に走る。空は快晴、いつもながらに眩しい陽射しも、今日はなんだか膚に心地よい。寺院や仏像などは思いがけないほどきれいに修復されており、仏さまに手を合わせてお経を唱えてみたりする。遺跡というだけでなく公園としても大変美しく、咲き乱れる花や緑が目に柔らかい。地元の若者たちのデートスポットでもあるのだろう、バイクに2人乗りして走り回る男女も多かった。可憐な花の点在する睡蓮の浮かぶ池の前でふと立ち止まると、水面に仏塔がおぼろに映る。美しい・・・。
 ところがである。地図を確かめるために自転車を停め、再び走り出そうとしたその時に。なんとスワロー9号がパンクしていることに気がついたのである。
 その後の私の行動は早かった、とのちに友人は語る。パンクしたスワロー9号をさっさと木陰に移動させ、いきなりそこらに寝転がって
「残りは一人で行っといでスワロー6号〜」
と手を振った、というのだ。そしてそのまま眠ってしまったらしい。どうもこの旅の間じゅう、私のマイペースぶりに友人は振り回されがちであったようだ。この場を借りて謝っておく。すまない。
 友人が他の場所を見て回って帰ってきた。さてこのパンクしたスワロー9号をどうするか。それは勿論ヒッチハイクしかあるまい。道路の脇まで引きずってゆき、乗り合いバスに自転車ごと乗せてもらって事なきを得た。運転手さんがいい人で良かった。そして店番のじじいに見つからぬように、こっそりと自転車屋の隅に置いてきた。さらばスワロー9号・・・。

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 帰国後、あの「いい男」(と駅の人々)に手紙を書いた。友人も書いたようだ。するとしばらくして、我々ふたりの両方のもとに返事が来た。見知らぬ人から。
 その人は駅員の一人、プラジャブ君の友達であるということであり、職業や年齢といった簡単な自己紹介と、「是非日本に行ってみたいので返事をください」というようなことが書いてあった。
 問題は、その人が果たして男性であるのか女性であるのか、文面及び名前からは皆目見当がつかないという点にあった。友人への手紙の内容からも、どちらだか判断しかねる。筆無精な私がもたもたと返事を出しそびれているうちに友人は返事を書いたようだったが、更に返ってきた返事からもやはり、その人物の性別は判断できないようであった。
このような場合、どうすればよいのであろうか。ストレートに
「ところであなたは男性ですか女性ですか」
と尋ねた方がよいのであろうか。あまり手紙のやりとりを重ねすぎない文通初期のうちにこういうことははっきりさせておいた方が良いと思うのだが、どうにも私にも友人にも「ところであなたは・・・」と書く勇気がない。
 その人は病院で働いているということなので、
「私は生理不順がひどいのですがどうしたらいいでしょう、と相談してみてはどうだろう」
「そうか、女性であるならば『実は私もそうなんです、これこれこういう薬が効きますよ』とか書いてくるかもしれない」
という話にもなったのだが、男性であった場合のことを考えるとそんなことは書けない、ということでこの案は却下された。だいたい男性であるにせよ女性であるにせよ、海の向こうからやってきた手紙にいきなり「私は生理が不順で」などと書かれてあったら、びっくりするであろう。そんなことはよっぽど毎日顔を合わせている気心の知れた友達にしか相談しないことである。というようなわけで、その人の性別は依然不明のままだ。

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 本文のどこかにもちらっと書いたが、タイにおいても「カッコいい若い男」というのは自分に自信を持っているらしく、一般的な「親切な人々」とは明らかに違う積極的な声の掛け方をしてきたものである。勿論悪い気はしないので「うふふ」とわき上がる微笑みを抑えつつその場その場で対処していたわけであるが、道を歩いていた時にタクシー運転手の若い男がバチッと音のしそうなウィンクを投げてきた時にはややびっくりした。前を見て運転したまえ。
 とある町の、バスのチケット売り場で「明日のバスは何時発だろう」とうろうろしていたら、じつに怖い顔をしたおっさんが寄ってきて「チケットはここで買えるが明日買え」「タイムテーブルはこれ」「明日は6時からバスが出る」等々、顔に似合わずたいへん親切に教えてくれた。
 おっちゃんありがとう〜、と笑顔を返しそのまま世間話をしていたら、突然おっちゃんの話の流れが「俺は妻に死なれてねえ、今独りなんだなあ」というような方向に流れて行った。おっちゃん顔がマジである。なんじゃなんじゃとうろたえていたら「アンタ俺のヨメに・・・」というところまで話が到達しそうになったところで友人が私の名を呼びながらやって来たので、私は「おおおっちゃんありがとう〜」と言い残してまだうろたえつつその場を去った。
 だからどうした、という出来事だが、異国における究極の非日常的体験に大変驚いた、ということを記しておく。

                  *

 タイで買ってきたおみやげは、ことごとく不評であった。
 まず、これぞ外国でしか買えないぞ!たとえそんなにおいしくなくても物珍しさがそれをカバーしてくれるに違いない!という意気込みで買ったドリアンクッキー。
「食った後、胃の中からガスがわき上がってくるようだ」
「すげえ変な匂いがする。腐ってるんじゃないの」
「物凄くまずい」
と不評の嵐。「大絶賛」の対義語にあたる言葉を辞書で探したくなるほど、それはそれはまずいものであった。
 続いてはマンゴーの塩漬けと桃の砂糖漬け。タイ人に酒をおごってもらった時につまみとして出されていたドライフルーツがやたらおいしく、「これなに?」と訊いたら「マンゴスチン」という答えが返ってきた。
 あの時の味よもう一度、とバンコクのコンビニでドライフルーツの棚を漁ったのだが、どうにもマンゴスチンは見つからない。「マンゴーでもいいか、あ、桃ならうまいかも」と思って買って帰ったのだがこれが大失敗。袋を開けた途端に何ともいえないむうっとした匂いがあたりにたちこめ、その匂いだけで思わずのけぞり3歩ほど後ずさりしてしまいたくなるような代物。桃はその形からして梅干しを思い起こさせ、実際の味は梅干しって素晴らしいと日本文化の偉大さを再確認したくなるほど。マンゴーの味はもう思い出したくない。
 なぜ、なぜなの。マンゴスチンは爽やかな甘味とちょっぴり効いた塩味が絶妙のバランスを保っていてそれはそれはうまかったのに。昔、登山愛好家の父が、山から帰ってくるたび「余ったから食え」と言ってくれた乾燥パイナップルや乾燥すももは、こんな変な匂いはしなかった。
 これからもしまたタイに行くことがあって、チェンマイでトレッキングでもしようということになっても、この乾燥フルーツだけは携帯食料として持って行くのはやめよう、と誓った次第である。ふたたびこのマンゴーを口に入れる時が来るとしたら、ヒマラヤ山中でポーターに荷物を奪われたまま置いて行かれ、ポケットに入れたキャンディも尽きたその時だ。
 パイナップルジャム。実家に一個、姉夫婦のところに一個、自分用に一個。味はそれほど悪くない、というかただただ甘くてほんのりパイナップルなのだが、これまた異様な匂いがする。家族の感想はまだ聞いていない。
 バナナチップス。これは比較的好評だったが、「最近お金なくてさあ、ろくなもん食べてないんだよ」という大変貧乏な友人に殆ど食われてしまった。
 ライチ味のソフトキャンディ。ソフトというにはあまりに固く(勿論口に入れているうちに柔らかくなってくるのだが)、ついうっかり強く噛みしめた拍子に、私は奥歯を傷めてしまった。しばらくの間、左の頬でものを噛むと激痛が走った。
 タイの代表的ウィスキー「メコン」。薬くさい。宴会に持って行ったら「まずい、まずい、まずい」というシュプレヒコールが巻き起こった。なんだか工業用アルコールとか消毒用エタノールといった趣きのある香りが特徴。
 象の絵のついたTシャツ。普通の象ではなく、お祭りに国王が乗って町を練り歩きそうな派手な飾りをつけた象の刺繍がほどこされた、子供用のもの。甥か姪に着てもらおうと姉のところに送ったら、「あんたはエジプトの変なスフィンクスの絵のTシャツに続いてまたこんなものを」と泣きながら抗議の電話がかかってきた。
 唯一賞賛を受けたのは大量にまとめ買いしたシルバーのピアス。女の子たちに「かわいい〜」と大好評。しかし、病気の時に世話になった女の子に感謝の気持ちを込めて贈ったら
「ピアス、ですか・・・私、穴、開いてないんですけど・・・」
と言われ大ショック。
「アレ?開いてなかったっけ?・・・でも、これ、輪っかだから、ペンダントヘッドに・・・」
「・・・なりませんよねえ・・・でも、ありがとうございます」
と言って受け取ってくれた彼女の笑顔が眩しかった。待ってろよ、次はきっとマダガスカルのラフィア椰子でできた帽子を買ってきてあげるからねえ。
 しかし何よりも腹立たしかったのは、わたくしの買ってきたみやげがどれもこれもどうしようもない代物であると知った友人たちが、わたくしが帰国した数日後、次々とタイへと旅立ち(その頃私の周辺ではタイブームが巻き起こっていたようである)、みやげとしてブルーベリーとかストロベリークリームのはさまったウェハースや輸入物の英国産クッキー(もはやタイみやげでも何でもない)を購入、バラまいたことである。
「いやーまめこさんの買ってきたおみやげ食って『あんまりタイっぽいものは駄目だなー』と思ってこういうの買ってきたんですけど正解でしたー」
などと言われて腹の立たぬ人間がいるであろうか。おみやげ選びに心を込めてはいけないということを私は学んだ。

【画像】スコータイの遺跡
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