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2017年12月24日20:13

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1997タイ旅行【15】バンコクは今日も・・・(その4)

 バンコクは華やかだった。いや、夜の街にあでやかな蝶が舞いポン引きが跋扈しやたらガタイのいいドラァグクイーンがチップをせびりにくるというような経験をしたわけではない。
 華やかなのはお寺である。タイに行ったことのある方ならば誰でも思うことだと思うが、なんでまたあれほどまでにびかびか光る寺を建てねばならんのか。ちなみにわたくしの実家は檀家総数15軒という弱小山寺だが、檀家の方々が納めてくれたお布施を壁一面のお釈迦様出家の図とか、クリスマスにライトアップしたらさぞ美しかろうというような極彩色の石を埋め込んだ屋根などに換えてしまったら、激しくブーイングをされるに間違いないと思うのである。せいぜい張り込んだところで、許されるのは黒ーくすすけて顔もよくわからんようになってしまった仏像を、金色に塗り替えてもらうくらいである。
 それなのになんでまたタイの寺院というのはいったいどこにそんな金があるというのか、金があってもそこまでやらなくてもいいと思うのだが、どうにもこうにも金ぴかで困っちゃうというかんじである。首都にこんな目立つ寺を建てて、時価数億だか数十億だか数百億だかいうエメラルドの仏像に金箔の服を着せて置いとけば、戦争が勃発してトマホークの狙い撃ちにあっても、ここバンコクだけは守られようという計算なのか。するとこれは避雷針のようなものなのか(←ちょっと違う)。
 さてワット・プラケオと王宮。ここはたいへん日本人の人口が多いところで、ハンドバッグの口が開いたままのおねえちゃんとかスーツ姿で汗を拭くおじちゃん、グラデーションのサングラスをかけたおばちゃんのコロニーができている。穏和そうな老夫婦の後ろにくっついて(なぜかというとお菓子のひとつでももらえるかと思ったのである)ガイドの説明を盗み聞きするが、ガイドに見つかりそうになったので逃げる。
 裸足になってワットの中に入ると、拝観料を125バーツも取るだけあって、さすがに緻密な細工が目を惹く。エメラルドの仏像は「エメラルドのかたまり」としたら確かに大きいが、普通の仏像サイズでいえばなんだかちんまりしてかわいらしい。それよりも、仏塔の屋根をジャークの体勢で支えている人(人じゃないみたいだけど)たちがいっぱいいるのが面白かった。
 しかしそれよりも面白かったのが入場時の服装チェック。過剰に肌を露出している人には服を貸し出しますよ、というやつである。いつでもどこでも短パンいっちょのアメリカ人たちを「やーいやーい」と心の中で哄笑しながら通り抜けようとすると、眼光鋭い制服着たおばちゃんの待ったがかかる。(しまったやはりサンダルはまずかったか)と思ったが、何故かひっかかったのは友人のみ。私のサンダルは足の甲を覆うデザインだったのでOKが出たようだ。¥780なのにこんなにも役に立ってくれてありがとう。
 一方、友人の履いていたのは万年草履(ビーチサンダルのことを静岡県周智郡森町あたりではそう呼ぶらしい)。手招きされて去ってゆく友人。待つこと十数分、友人はめがねケースの中敷きというかレンズ拭きの布というか、安いサングラスを買った時についてくる布袋のようなダダ緑色の靴下と、見ようによってはミュールと呼べんこともない形だがどちらかというとべんじょサンダルに近い、えらくぶっきらぼうな感じの黒いゴムの靴を身につけ、泣きそうな顔をして戻って来た。
 しかしもっと泣きたくなった(本人談)のはそれを返しに行った時で、靴を返し、万年草履を返してもらい、靴下を脱ごうとしたら「あらそれは持って行っていいのよ」と言われたのである。成る程、15バーツ出して靴下を買ったわけだ、緑色の。ちなみにその靴下、宿のゴミ箱に捨てて来たらしい。私は同じ宿の靴箱に¥780のサンダルを捨てて来た。
 タイの人々がそういう華やかな寺院に仏像を好む・・・というか、そうすることが信心の証だと思っているのならばそれは一向にかまわない。しかし、古色蒼然たるというよりはとにかく古びた寺に育ち(本堂の奥が物置になっているのだが、その小部屋、窓がないので昼なお真っ暗、小学生の頃、言いつけられてロウソク片手に足を踏み入れたその瞬間足下の床が抜け、幼き日に汲み取り式便所に落ちたとき以来の恐怖を味わう)、わびさびを善しとして生きて来た日本人たるわたくしとしては、タイ寺院には趣味の違いを感じざるを得なかったのである。きれいだけどね。
 などという感想を語りながらワット・プラケオ内を散策していたら、警備員がどこからともなく走り出て来て「閉まっちゃうから出てくださーい」と叫ぶ。ええーもう時間切れー?まだ午後3時30分である。動物園並みの閉園(園じゃないか)の早さ。しかしこのような事態に陥ったのも全て、昨日、徒歩でワットに向かおうとした我々に「今日はワットはお休みー」と嘘をつきだまくらかして宝石屋に連れて行ったトゥクトゥク客引きと運転手のせい。おかげで昨日はルンピニー公園にしか行けず(そんなひどい目にあったにもかかわらず「ワットお休み」を信じていた我々のお人好しさときたら。真実を知ったのは夕方であった)、本来ならば一日かけてまわろうと思っていたワット見物を本日午後、水上マーケット帰りにまわさねばならなくなったこれも全てあのくされ外道どものせい・・・と呪いつつ、慌てて王宮を見学。慌てていたので殆ど心に残っておらず、大急ぎでワット・ポーへ。
 こちらはプラケオに比べ観光客の姿が少ない。しかし黄金に輝く寝仏で有名な寺なのである。巨大なお釈迦様の目は半開きでなんだか気持ちがよさそう。入滅に際し、苦しみをお忘れになられたのか。
 この寺は坊さまがジュースを売っていたりして、なかなかサバサバした寺である。お坊さまは修行中の身なんだからみだりに話しかけてはいけません!というのもわかるのだが、なんだかこのくらいさばけているほうが親しみが湧き「修行頑張って!」という気分になってよいなあ、と思う。特に、ワット・プラケオのたいそうな警備(王宮がくっついているからだろうが)、入念な服装チェックを見た後では。
 しかし、ここまで書いたところでふと思い出した。学生の頃、ゼミの教授の知り合いに浅草寺のお坊さんがいるとかで見学に連れて行ってもらったことがある。何をどうして儲かっているのか浅草寺地下はえらくハイテクでしかも広く、有名な人が描いたんだか寄贈したんだか歴史的価値があるんだか全く忘れたが、色々なお宝が博物館のように並べられてあった。
 外見からゴージャスにいくか、外側は普通に実は地下にお宝を隠しておくか。まるでタイの寺院とは対極にあるような精神性をもって対峙する(そんな大袈裟なことか)日本の寺院。いずれにしても、その両方の地下には核シェルターがあるに違いない、と私はふんでいる。

【画像】仏塔の屋根をジャークの姿勢で支える人(人じゃない)
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