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2017年12月24日20:00

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1997タイ旅行【10】地獄の列車旅(その3)

 バスについてあれこれ書いた。いよいよ列車の番である。
 「名もなき町」で親切かつかっこいい駅員に見送られ、彼の姿が見えなくなるなり一言「かあっこいい〜・・・」と揃ってため息をつく異邦人2名。心境にして「ホレたぜ」。しかし本当にどうしようもないため息をつくような事態が、次の瞬間には待ち受けていたのだ。
 3等車両はとにかくスシ詰めであった。座る場所どころか、通路に立つ場所さえ確保するのがあやうい。通勤ラッシュの小田急線もかくやという混み方である。しかも皆さんもれなく大量の荷物を抱えている。チェンマイで一ヶ月分の食糧の買い出しでもしてきたのか。それともバンコクのバアちゃんの家に遊びに行くのにお土産を山ほど買い込んだのか。
 どうしようもなく混み合っているくせに、バケツにソフトドリンクを詰め込んだ飲み物売りさんたちは、人を押しのけ荷物を踏みつけ必ずやって来る。喉を潤してトイレに行きたくなっても、この状況ではたどり着けるかどうかわからない。
 しかし、近くの席に座っていたおばちゃんたちが物凄く優しかったのが救いであった。まず友人を座席の手すりに座らせ、続いて私のために床に新聞紙を敷いてくれ、そこに座れと言う。友人の荷物の上にタオルを敷き、そこに私の頭を乗せて寝よ、と言ってくれる。そして自分が降りる30分も前に席を譲ってくれたのだ。なにゆえそんなに優しいの?(それは我々が疲れ果てた異邦人だから)
 おばちゃんの足元で寝ながら、ここでも私はしみじみと感動していた。席に座っている人だって、足元に人が転がっていると思うと、おちおち寝てもいられやしないんではないかと思う。横っちょの手すりではずり落ちそうになりながら寝ている人もいるし。ちなみに友人によると、通りかかる人が足を踏んで行くし、おしりは痛いし、手すりの寝心地は最悪だそうだ。
 アユタヤで列車を降りる時がまた、大変だった。殆どの人が終点のバンコクまで行くらしく、車内は相変わらず床を埋め尽くす人々でいっぱいである。荷物を抱えるようにしてようやく降り口までたどり着くが、ここでも当然のごとく人々が床に這いつくばるようにして寝ている。座禅を組んだまま頭を床につけて寝ている人がいて友人仰天、それはまるでヨガの行者のようであったと後に語る。
 蹴飛ばすのもしのびなく、プリ〜ズウェイクア〜ップと絶叫してようやくどいてもらい、次の瞬間私は線路に落ちた。そこにはホームがなかったのだ。
 アユタヤ着は早朝4時過ぎである。どうしようもなくて、駅のベンチで寝た。こうして思い返すとしみじみ思う。むちゃくちゃな旅だったと。
 タイ最終日にも、列車はやってくれた。ドン・ムアン空港に行くために7時10分6番ホーム発の列車に乗り込み、我々はおとなしく発車を待っていた。今度こそ乗り遅れたり乗り間違えたりしないように、まわりのタイ人に切符を見せて、しっかりと確認した。
 そうして安心したのも束の間、7時10分になるや否や、隣の5番ホームから、列車がシャーッと出て行くではありませんか。途端に不安になる我々。まさかまた反対方向・・・。「いやいやこの列車に間違いない」と自分に言い聞かせつつ待っていたら、10分経って7時20分になるや否や、今度は反対隣の7番ホームから、列車がシャーッと出て行く。どうにも落ち着かずキョロキョロしていたら、車両中の人々が、心配そうにこちらを見ているではありませんか。最初に切符を見せて確認したおばちゃんが「大丈夫だよ」というようにこっちを見ていてくれるのがせめてもの救い。
 更に5分経ち、7時25分に、列車はようやく動き出した。車両内の空気がホッと緩むのが、目に見えるようだった。皆さんご心配をおかけしました。
 しかし、7時10分発の列車が実際には25分に発車し、更に駅の時計は7時15分を指していたという事実は、いくら考えても辻褄の合わない謎として残ったのであった。どうにもこうにも、鉄道には最初から最後までハラハラされ通しであった。
 それでも私は列車が嫌いになれない。次にタイに行くことがあったら、また3等車両に乗ると思う。もっとも同行の友人もタイ在住の友人も「3等はもうイヤ!」と悲鳴をあげていたので、決して皆さんにもお勧めするつもりはないが。体力に自信のある方、どこでも熟睡できるという特技をお持ちの方、寒さもしくは暑さに強い方、体は柔らかいほうだと思う方は、サロンパス持参でどうぞ。
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