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2017年12月24日19:45

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1997タイ旅行【3】名もなき町の思い出(その2)

 カチカチと鋏を鳴らしながら、車掌が近づいてきた。こんな時に限って車掌は頑固そうなこわもてのオヤジである。(頼む、どうかウソだと言ってくれ)我々の願いもむなしく、車掌は切符を手に取ると、フーンと唸り、次の瞬間、
「わっはっは、これはチェンマイ行きの列車だよ、アユタヤは反対方面だねえ」
と高らかに宣言するではないか。
 なんと、やっぱり・・・。ガックリとうなだれる我々の心中を知ってか知らずか、車掌のやつは同じ車両に乗り合わせた人々に向かって
「わっはっは、この旅行者たちはアユタヤに行きたかったのにこの列車に乗っちまったらしいよ」
と大声で触れ回ってくれちゃうではないかちくしょうめ。
 これほどまでに我々が落ち込んだのにはわけがある。まず、タイの列車は、日本の列車に比べて極端に本数が少ないということ。あっ間違えた、じゃあ次の駅で反対方向に乗り換えよう、とは簡単にいかないのである。自慢ではないが私の生まれ故郷の夕方5時を過ぎると無人になる駅でさえ、1時間も待てば反対方面の列車は来るのだ。  
しかしここはタイ。いや、タイの田舎においても1時間ほどの間隔で列車が来る時間もあるにはあるのだが、不幸にもそれは午前中と真夜中に集中している。我々の持っているタイ国鉄時刻表によると、アユタヤ方面に行く列車は午後1時32分を最後に、夜のなんと9時台まで途絶えてしまうのだ。
 前夜、スコータイの宿で時刻表を眺めた時に、そのことは十分に承知していた。ふむふむアユタヤに行くには午前中の2本と昼の1本、このどれかに乗らなくてはいけないのだな、そんなに早起きするのはイヤだからお昼のやつに乗ることにしよう、いくらなんでもこれに乗り遅れることはないだろう・・・。駅には余裕を持って着くことが出来たというのにこのていたらく。時刻表に書かれた「この昼のやつを逃したら最後!」という自分の文字が悲しい。
 更に、チケットが無駄になってしまったという悲しみ。タイ国鉄は、1等、2等は言うに及ばず3等の切符でさえもが完全座席指定制。とはいえそんなのは建前に過ぎず、3等においては座席争いは完全早いもの勝ち制がまかり通っている。しかも座席指定というからには少なくとも人が座席に収まりきる分しか売らないのかと思えば全くそうではないらしい。3等車両は、いつ乗っても本当にうんざりするほど人があふれ、足の踏み場もないくらい人、人、人。
 そこのところの実情をふまえて、日本の列車のように一旦切符を買えば普通乗車券はその日一日有効、という風にしてくれればいいのに、タイ国鉄は(少なくとも長距離切符に関しては)全く融通がきかず、この3等切符にさえもしっかりと時間指定がなされている。つまり、また次の駅で切符を買い直さなければならぬということだ。時間とともに金さえも無駄にしてしまった我々は、アホーとしか言いようがない。
 それで、我々は一体どうしたらよいのでしょう・・・こうなったら頼れるのはこの車両の中で確実に英語を話すあなただけ、という気持ちでその能天気に笑う車掌におうかがいを立てると、とにかく降りて反対方向の列車に乗ることだな、と至極当たり前のことをいとも簡単に告げられてしまった。ちょっと待て、例えばですね、どこそこの駅で降りればアユタヤ行きのバスが出ているとか、そういうアドバイスが欲しいんですが、などという英語を一生懸命紡ぎ出そうとしているうちに、まあまた教えてやるからとりあえずそこに座っとけ、てなことを言い残し、車掌はまた鋏をカチカチ言わせながら隣の車両に去ってしまった。
 残されたのは、顔にひきつり笑いを貼り付かせた異国人2名と、バカだね〜と言いたくても言えないという風情を見せるタイ人乗客たち。そこへソフトドリンク売りの兄ちゃんがやってきて、(実は俺知ってるんだけど訊いてやろー)という気持ちがもろに出ている笑顔で「どこに行くんだい?」と訊ねてきた。
「アユタヤ!」
と、やけくそになって叫ぶ我々。兄ちゃんはますます嬉しそうな顔になって、
「アユタヤはあっちだー!」
と反対方向を指差した。そのあまりに遠慮のない笑い顔に、腹が立つよりも、おかしさがこみ上げてきた。全くドジだねえ、あっちか、こっちか、二方向しかないのに、乗り間違えるなんてねえ。ホントホント、と兄ちゃんとうなずきながら笑い合ったものだが、私の表情は泣き笑いに近いものだったに違いない。
 ひとしきり笑った後、腹を決めて3等の椅子に深く座り直した。じたばたしても仕方がないではないか。全ては仏様の思し召しなのだ。すると、列車は急に速度を落とし、駅に停まる気配を見せ始めた。おお、するとこの駅が我々がアユタヤ方面の列車を待つべき駅なのだろうか。
 しかし、その近づいてきた駅の様子に、我々は目を疑った。ホームは・・・ある。駅舎も、一応、ある。しかし、その周りには、何もない。どうせ夜まで待つなら、ビールでも買ってググッと飲み干してここ数日の睡眠不足でも解消してやろうと思い始めていたのに、ビールを売っていそうな商店が見当たらない。商店どころか、民家さえ見えないのだ。仏の弟子の心境になったのも束の間、アッという間に煩悩のとりこになる我々。人の心はうつろいやすく、まさにこの世の栄枯盛衰のごとしである。
 またしてもやってきた車掌に向かい「ここで待てばいいのか」と問うと、いやこの次の駅の方が大きいからそこで待てという返事。「大きい」という言葉を頼りに地図で大きそうな町を探すが、どうもピサヌロークとチェンマイの間には「大きい町」はウタラディットという駅しかないのである。ピサヌロークとウタラディットの間は、単純に距離から見ても1時間半。1時間半も余分に遠い駅で待たねばならぬのだろうか。いやそれならまだいい、ひょっとして車掌の言う「大きい駅」とは、「さっきのどうしようもなく無人駅にしか見えない駅よりは大きい駅」という意味ではないのだろうか?
 どうにもこうにも落ち着かない気分のまま身を固くして座っていると、十数分後、またまた車掌がやってきた。しかも列車は速度を落としている。やっぱり予感は的中した。我々は、地図にも載っていないような駅で降ろされてしまうのだ・・・。
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