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2017年12月03日17:37

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ナイロン100℃ 44th SESSION 「ちょっと、まってください」

ナイロン100℃ 44th SESSION 「ちょっと、まってください」に行きました。
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ケラ氏の芝居に行くのが、かなり久しぶり。『消失』以来です。その間に、有頂天は観てるんですケドね(笑)。夏の魔物で。

今回は、別役実風の不条理喜劇というコトだったんですが、確かに別役さんっぽいところはあれど、笑いの挟み込み方等は、やはりケラ氏だし、前半はケラ氏のナンセンスコメディっぽさもありました。でも、後半になって行くにしたがって、不穏になり、薄ら怖くなる。
不条理劇というのは、その名の通り、不条理なのだから、登場人物は全員ネジが1本飛んでるような、そんな人達なのですが、その中で、乞食の父を演じたみのすけ氏が何故か真っ当に見えるという不思議。全然まっとうじゃないんですよ。でも、まだ「この人なら話が通じるんじゃねえか?」と思わせるような・・・。でも、これも怖いですよね。本当は真っ当じゃない人間を「コイツは真っ当なんじゃないか?」と思っちゃうって。

人って理解出来ないと不安なので、理解できる人を真っ当じゃない中から探そうとするんだろうな。それも怖い。

ケラ氏が、ナンセンスコメディと不条理喜劇の違いを、不条理喜劇の方は根底にシリアスな面があり、伝えたいテーマがある・・と言っていたのですが、私はこの芝居って“大変になっているコトに気付かないコトこそ、実は大変なんだよ。”や“大変なコトをスルーすると、更に大変になるんだよ。”というメッセージが込められているのかな?と思いました。
国でもそうじゃないですか。某国とか、傍から見てると、完全に「おい、大変なコトになってるぞ。」て思うのに、中に入ってる人達・・国民は、その大変さに気付かず、あるいは、気付いていてもスルーし、もっと大変なコトになっちゃう・・・っていう。まぁ、それは日本っていう国も傍から見たらそうなのかも知れないけれど。

余談ですが。筋少の本城氏が「有頂天にいた頃、バンドより芝居の稽古の方が多くて、凄いぶ厚い台本渡されて、台詞を覚えられないとケラさんに怒られたよ。」と言っていたのを思い出して、「このクオリティを求めていたとしたら、本城さん大変だったろうな・・・てか、元筋少のドラマー、このクオリティの芝居をちゃんとやってるんだな。」と変な感心をしてしまいました(笑)。
私ゃ、大槻ケンヂ氏のせいで、みのすけ氏の印象が「かなりオカシな奴」になっちゃってるんですが、役者としては、やはり凄いよ。(大槻氏の話すみのすけ話は、喧嘩した話か、「みのすけオカシイよ!」って言う話なもので・・・笑)

上映時間が3時間10分なのだが、観に来ていたお客さんが「長くない?」と吃驚していたが、ケラさんの場合は、3時間は普通です。決して長くないです。下手すると、4時間近いのとかあるんですよ。

※以下、もう少し詳しい感想を書きます。まだ舞台は続いているので、ネタバレNGの方は、ここから先は読まない方が良いかと思います。

では、ネタバレOKの人のみいらっしゃいまし〜。

ナイロン100℃ 44th SESSION 「ちょっと、まってください」
作・演出/ケラリーノ・サンドロヴィッチ
出演/みのすけ:男1(乞食の父親) 大倉孝二:男2(乞食の息子) 三宅弘城:0男3(金持ちの父親) 遠藤雄弥:男4(金持ちの息子) マギー:男5(使用人) 廣川三憲:男6(郵便配達)男7(警察署長) 村岡希美:女1(乞食の母親) 水野美紀:女2(乞食の娘) 藤田秀世:女3(乞食の祖母)男8(会社員) 犬山イヌコ:女4(金持ちの母親) 峯村リエ:女5(金持ちの娘) 木乃江祐希:女6(男4の恋人) 小園茉奈:女7(使用人)

ざっくり粗筋(と言っても、不条理劇の為、これといった物語はさほどない・・と思う。シチュエーションも変わって行くし)
とある大金持ちの家。この家では、普段の生活にあきあきしていた。父親は毎日日記をつけているが、その日記のネタすらない。そこにトマッソという使用人がいる。トマッソは元々ペテン師らしい。
ある日、屋敷に間違い電話があり、その電話は誘拐の脅迫電話だが、脅迫電話は間違い電話で、実はこの電話自体も、この家の息子が、父親の日記のネタにとわざわざかけてもらったもの。しかし、金持ちの母親は、その誘拐した誘拐犯に身代金を払うコトにする。
この屋敷の庭に、ある日乞食の家族がやってくる。乞食の娘は、この家の息子の妻になるという。「まだ出会っていないけれど、結婚する」という娘。その兄は、それを手助けに来た。娘の願いで兄は電柱に登り、中の様子を伺うが、そこをトマッソに見つかってしまう。すったもんだしてる間に娘は窓から屋敷の中へ・・・。

屋敷の中では、金持ちの息子とその婚約者が仲睦まじくいた。乞食の娘が窓から入るも、母親はさほど驚かなず、彼女を客として迎えいれる。金持ちの息子と婚約者はおままごとを始める。そこに乞食の娘も割り込み、可愛いおままごとのはずが、修羅場の昼ドラへ(笑)。しかも、おままごとのはずの芝居は現実と化し、いつの間にか乞食の娘が金持ちの息子と結婚するコトに。
しかし、乞食の娘は言う。「彼と離婚するコトにした。」と。思想の不一致が原因だと言う。そして娘は、この屋敷の主と結婚すると言う。主の本当の妻は、荷物を纏め(既に用意されている)この家を出ると言う・・・。
金持ちの主人と乞食の娘は結婚し、ここに乞食の家族がやってくる。

数か月か数年か。この家では乞食の家族が暮らすようになるも、乞食の父親は屋敷の食事が合わず(乞食なので拾ったものしか食べられない)、外で生活するようになっていた。
乞食の父親の述懐では、彼らは本当の家族ではないらしい。「俺は本当は娘がやりたかったんだ。でも、ジャンケンで娘に負けてしまった。」 話を聞く、金持ちの娘のラァラ。ラァラは彼の気持ちを理解出来ているようだ。
乞食の母親は、反対派でも賛成派でもない中立派の何かを立ち上げ、その活動をする!と受付を始める。
その受付に名前を書く金持ちの父親。

それと並行するように、とある事件が起こる。トマッソが使用人の女を殺してしまう。何かを見たのが原因らしい。どうやらトマッソは、屋敷の金を横領しているらしいのだが。
トマッソを追い詰める不思議な裁判のようなものが行われ、トマッソは追い詰められていくが・・・。

こんな粗筋・・というかシュチュエーションの中に、様々な出来事や事象が入れ込まれていく。そして、笑いも随所に入る。

乞食の家族には祖母がいるのだが、理由は良く分からないが、乞食の母は、この祖母に冷たくあたる。結果、祖母は、父が拾ってきた薬(トリカブトだったらしい)を飲んで死ぬのだが、後半の父の述懐で「私が母親が欲しいと言ったら、あの人が手を上げてくれて。本当は男なのに。」と言っていたり、しかし、「子供の頃から・・・」という言葉もあるので、本当に子供の頃から一緒だったのかも知れず、何が実で虚かは分からない。
乞食の父が甲冑を着たら、鍵がなくて甲冑が脱げなくなる・・とか、こういうのはケラさんのギャグらしいって思うケド。

出て行ったはずの金持ちの母親も、ちょくちょく出てくる。旅に出るというも実際は行ってないのかも知れない。

これ、確かに喜劇なんだけど、怖いでしょ?屋敷にあかの他人の乞食が浸食してきて我が物顔で住んで、しかも、乞食の娘は、金持ちの父親の妻にいつの間にかなっている。でも、それに対して、金持ちの娘も息子も追い出された(というか自ら出て行った)母親も父親も大して不信がらないし、それを受け入れてるし、何なら面倒くさいコトはスルーしてるように見える。どんどん自体は悪化していってるはずなのに。
この辺りが私には不穏に見えて、ヒヤッと怖かった。

乞食の娘を金持ち夫婦が「人間のエミリー」とずっと呼んでいたのが可笑しく何処か狂っている感じがして良かった。ギャグが導入部なんですケドね。「サルのゴンタ」から引っ張って来て、「人間のエミリー」なんだケド。その人間のエミリーが金持ち一家の中に入り浸食していく様は、本当に人間か?ああ、これこそ人間か・・という感情も湧く。

乞食の息子が狂犬病の犬に噛まれて狂犬病になって急に発狂するのとか面白いんだけど、コレも怖いっちゃ怖い。大倉氏が最後、全裸で見せチンコ(作り物のチンコ)付けて出て来て笑ったケド、何か怖かったし。立派なチンコにして貰ったよね(笑)。
「何か・・・全裸で抱きついてしまいました・・・。」って台詞は可笑しかった。因みに、狂犬になってる時の記憶はあるらしい。

冒頭に絵葉書が出て来るのだが。屋敷で金持ちの母親が拾った絵葉書をトマッソが投函するのだが、実はそれは、乞食の娘が出した絵葉書で、この時点で時間が捻ってあるのが分かる。まるで予言のように葉書には“この家の生活は、不幸でもなく、まぁ幸せ・・”と書いてあったりする。
葉書の下りも可笑しかった。兄ちゃんがやたら拘る良い絵葉書ランキング。昼間の景色が1番良くて、夜の景色はあまり良くない。1番悪いのが「これなんか・・・景色でもない。もう、夜だ。夜しかない。」これもケラさんらしい。

前半で、金持ちの奥さんが身代金の下りで「この家にはもうお金はないのよ。分かってるでしょ?そのお金の中身も本当はこんにゃくなの」と言っていたが、後半これが使われ、トマッソが持っていたカバンの中からは横領したお金・・・ではなく、大量のこんにゃくが出てくる。これ、面白かったな。
あの身代金の下り当たりも不条理劇。誘拐は息子の嘘なのに、きちんと身代金を持って行く。というか、実際起こったコトになっているようにも見える。

トマッソは女使用人を殺すが、それは夢であり、その夢は、屋敷の人達は現実のように観るコトが出来ているらしい。
最後にトマッソが追いつめられる場面。「簡単なコトよ、これで彼を刺せばいいだけなのよ。」とナイフを女使用人に渡す屋敷の住人達。これも薄ら怖い。大したコトのはずなのに、本当に大したコトのないコトのように思える。

反対派と賛成派の対立。何に対して賛成し反対しているのかは分からない。乞食の母親は、そこに中立派を作る。意味のないものに、意味のないものを足しているように見える。

他にも、最後、雪のように死んだ・・・蘇生した?・・・トマッソの上に消毒薬が降るシーンも印象的だった。途中、「この屋敷に消毒薬をまこうっていうんですよ。」って言う台詞があったよね。そこからの繋がりなのだろうが、この消毒薬は中立派の意見が通ったからだ・・と通りすがりの会社員はトマッソに言う。乞食の母親の意見だろうか?

最終的には、乞食の家族は、乞食に戻っていく。屋敷から去って行く。

脳みその違う部分を使って観ないといけないので、かなり脳みそ消費量は使いますが、こういう場合は、ジャン・ジュネの小説を読むが如く、表現に身を任して揺蕩うのが良いのだろうな・・と思います。

ナイロン100℃は来年25周年だそうで。その夏芝居には、安井順平氏も出ると知り、「うわぁ〜・・・」となっています。
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