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2017年11月26日15:23

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私の「理想主義」論


以前に書いた日記(論文)、

・イエスに不忠実なキリスト教徒という背理と現実
http://mixi.jp/view_diary.pl?owner_id=65880466&id=1963011685&from_param=list_notification_action_comment

に、ひさしぶりにコメントが付きました。

春拓弦さん(http://mixi.jp/show_friend.pl?id=21676183)という方が、ご自身の体験をとおして、キリスト教の現実を「立場の違う理想論の押しつけ合い」として批判し、そこから敷衍した一般論として、極端な理想論としての左右両極端を矯めて『真ん中』『なぁなぁで最大公約数を目指す現実論』で行くべきだと、ご自身の立場を明らかにしておられます。

私は、このご意見に対するレスとして、端的に言えば「真ん中(中間状態)とは、手前味噌な幻想としてしか存在し得ない。左右両極端が非現実的な理想論ならば、ちょうど良い真ん中などというものも、実態のない理想論に過ぎない。左右無くして真ん中は存在し得ない」という議論をしております。

その上で、それでは「左右両極端の理想論」でもなければ、耳障りは良くても内容空疎な「真ん中という理想論」でもない、価値ある理想論は果たして考えられるのか、どのような理想論なら立てられ得るのか、それを書いております。

ここには、私の議論・批評の本質が、かなりハッキリと表れていると思いますので、是非みなさまにもご一読いただきたいと思い、別立てで、この日記として紹介させていただきました。
どうぞ、よろしくお願いいたします。

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