mixiユーザー(id:18380088)

2017年11月16日21:13

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嗚呼、会津山内氏

戦国時代の奥会津只見川流域は山内氏が治めていた。
もちろん地方の小豪族であることから周辺の大勢力とは事を構えずに同盟あるいは主従関係を結びながら領地を保っていた。
会津山内氏はその祖先を土佐山内家と同じくするとのことであるが定かではない。
時に戦国時代末期、会津山内氏は会津の葦名氏に従っていた。
当時、葦名氏は伊達氏と敵対しており、「摺上原の合戦」で葦名氏は敗れて会津は伊達氏が支配することとなった。
会津山内氏は攻め寄せる伊達勢に対して只見の水久保城や領内の城に立て籠もって最後までよく戦い持ちこたえた。
伊達勢との戦には豊臣秀吉、上杉景勝らも山内氏に援助したとも言われるが、会津から伊達氏が去った後、蒲生氏が支配するところとなったが、結局、会津山内氏は旧領を支配することが許されなかった。
いったい何ために戦ったのか?何ともむなしく悲しい話である。
金山町、只見町の只見川流域には会津山内氏の城や砦が50か所以上も残されている。
今回は時間もなく天気もよろしくなかったので攻城は無でした。
いずれ車中泊で温泉を楽しみながらゆっくりと攻城してみたいと思います。
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