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2017年11月12日08:53

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11/9 ローエングリン@DOB 

BESETZUNG

Musikalische LeitungDonald Runnicles
InszenierungKasper Holten
Bühne, KostümeSteffen Aarfing
LichtJesper Kongshaug
ChöreJeremy Bines
Heinrich der VoglerGünther Groissböck
LohengrinKlaus Florian Vogt
Elsa von BrabantRachel Willis-Sørensen
Friedrich von TelramundSimon Neal
OrtrudPetra Lang
Der Heerrufer des KönigsThomas Lehman
1. Brabantischer EdlerYa-Chung Huang
2. Brabantischer EdlerAndrew Dickinson
3. Brabantischer EdlerByung Gil Kim
4. Brabantischer EdlerDean Murphy
1. EdelknabeSaskia Meusel
2. EdelknabeAndrea Schwarzbach
3. EdelknabeKristina Häger
4. EdelknabeMartina Metzler-Champion
ChöreChor der Deutschen Oper Berlin
OrchesterOrchester der Deutschen Oper Berlin

当日、業務の進み具合を見て、午後に1時間だけ休暇を申請して、それで会場行って最安席が余りまくりというこの贅沢。コーミシェの争奪戦とはあまりにも対照的。大丈夫ですかねこの劇場。

今回は、久しぶりのローエングリンの実演を体験、というのが第一目的。バイロイトのノイエンフェルスのは見逃したし、日本からの遠征では見ていない筈なので、最後に見たのは11秋(バイエルン来日)と12初夏(新国ローエングリン)以来か。実演間隔がもう5年も空いてしまって深刻な欠乏症を起こしているパルジファル以上のブランク。まあ、ワーグナーは他に比べればまだ相当恵まれているかもだが…。
第二目的は、オルトルートのラング。正直、オルトルートでも調子全開とはいかない姿は若干ショックだったものの、ただ、流石はマイヤーと並び21世紀を(これまでにところ)代表する(と勝手に考えている)オルトルート。ジャストミート時の迫力が桁違い。
今年から来年前半にかけては、オルトルート以外にはイゾルデとブリュンヒルデしか歌っていないようだ。イゾルデはそれこそ3か月前に観たし、ブリュンヒルでは遠からず実演にまた接せるよう企んではいるが、うーん…。昨年に引き続き来年オルトルートで観れる聴ける東京都民が羨ましいというのが率直なところ。

しかし、折角オルトルートがこれだったのに、全体としての「並」感は何なんだろう。公演全体として悪くはなかったし、久しぶりのローエングリンという充実感は得たが。
まず考えられるのはエルザ。ソレンセンはたしかこれが初実演だが、うーん。別にいいんだが、公演全体を前に引っ張っていけるタマではなく。そして、この物語はあくまでエルザを中心に物事が回っているので、題名役とオルトルートがスポットで極めて重いウェイトを担っているのは言うまでもないが、やはり「主役」はエルザでなくては。
あとはランニクルズか。これも、悪くはない。熟練の手綱で自然な歌を導く。ただ、元々牽引タイプではないし、2か月ぶりの公演(なぜか9月に2公演、11月中旬に2公演、そして12月17日に指揮がコーバー、エルザがハルテロスに代わって1公演、というスケジュール)で慎重になる中、うまく「離陸」させられなかった感もある。音楽監督が振る公演を当然優先だろと12月はもとより考えてなかったが、初コーバー(なんです)、ハルテロスのエルザ目当てに、12月も行くかな…と思いつつ、その日出られるならむしろティッチアーティ/DSOBのキリストの昇天だろ、と呼ぶ声と、どーせ家を出られないよ、と呼ぶ声が頭の中で…。

フォークトは、今がまさに脂が乗りきった頃なんだろう。声は輝き、音程発音は明瞭で、舞台映えする。だからこそこの無機的・少年合唱的に完成された歌唱が俺を一層苛立たせる。ただ、この作品はそもそも題名役の人物像が(良い悪いの問題ではなく)なんか遊離していて、だいぶリアリティの無い人格なので、こういう器楽的な歌もまあいいのかも、とグラール語りを聞いてて初めて思った。
グロイスベックはいよいよもって何がいいのか分からなくなってきた。昔の日記を見ると褒めてた時もあるんだが。サイモン・ニールは格が劣るの一言。同種の脇役でもグンター程にはドラマの展開に影響を与えないので実害はほぼ無かったが。

演出は、この作品の好戦的な性質を強調したいとのことで、前奏曲中は(ドラマの帰結としての)死体の散らばる原野。それを観たのちに閉塞的な壁に囲まれた時代不詳の(平凡なイメージ通りのキッチュな服を着る登場人物と19世紀・20世紀的な衣装の合唱)世界、ローエングリンの人物設定の薄っぺらさを示し、エルザの感情形成を通じた人格形成を強調。これは論理的だが、ただ、ローエングリンを普通の人間として捉えてはそもそも何ら建設的な解に至らないのであって…。(そういう視点だと、ローエングリンは単に一方的なコミュニケーションしか取れないトラブルメーカー、に矮小化されてしまう。そうなると音楽と矛盾するし、エルザが葛藤する理由が立たなくなる。)
あと、ゴットフリート失踪を強調するため床に白チョークで人体の印を描くのはいいが、最後ゴットフリートをミイラで出してローエングリンが残留するのは、聖杯の動機が鳴り響く音楽と整合的か?ト書きと矛盾するのはいいが音楽と矛盾するとろくなことがない。エルザの成長物語は書けてたと思うんだが。
ホルテンはこのプロダクションの前に、モスクワで、ローエングリンをプーチン、ゴットフリートをメドヴェージェフに見立てた演出をした由。それは、一気に世界の構図を固められる、素晴らしいアイディアだと思ったんだが…

というわけで、若干不燃焼。やはりコーバー視察を兼ねて…うーん。




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