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2017年11月07日21:10

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正木浩一の句

某日や風が廻せる扇風機    正木浩一

ある日、何げなく部屋を見ていると、スイッチを入れてもいない扇風機が、窓からの風を受け、廻っているのに気づいた。そういう意味合いの句である。
作者の正木浩一は今年、句集「羽羽」で蛇笏賞を獲った平成を代表する俳人、正木ゆう子の兄である。掲句は闘病句と言われる。当時正木浩一は癌を宣告されており、翌年この世を去っている。
扇風機とは自力でまわる電化製品である。窓からの風を受け、廻っているのでは、扇風機の存在理由はない。ある意味空虚な眺めとも言うべき光景を、正木浩一は句にしてみせた。また、彼にはこんな句もある。

冬木の枝しだいに細し終に無し

死への不安。心身ともに衰えゆく自分の先細りの境涯を詠んでいるかのようで、どこか自嘲的にすらみえる。
かつて、大正時代の夭折の詩人、八木重吉は細い木の枝をこのように詠んだ。

白い 枝
ほそく 痛い 枝

わたしのこころに
白い えだ
(「白い枝」 詩集「秋の瞳」より)

白く、細い、枝。痛いほどに細い枝。けれどもその白さには凛々しさ、潔癖性のようなものが感じられる。一方、正木浩一の作には、そんな潔癖性はないが、生きていることの緊張感のようなものは確かにある。あるどころか、みなぎっているようにも感じられる。冬木であることが、ある種の生きる凛々しさをにじませている。
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