経済人とは、経済合理性以外に
価値観を持たない人間のことで、
「経済学」の前提になっています。
経済合理性以外の価値観は、多種多様です。
経済合理性以外の価値観を組み込むと、
美しい経済の数式モデルが
作れなくなってしまうのです。
というわけで、経済学は人間は
「経済合理性以外の価値観は持たない」
という前提で発展しました。
特に問題だと思うのは、経済学が
「ナショナリズム(国民意識)」という
価値観を含有していない点です。
ナショナリズムに基づき、
「国民同士が助け合う」
という価値観は、経済学の対象外なのです。
結果的に、経済学はナショナリズムを
ベースに構築される「安全保障」について、
まともに説明ができません。
それどころか、経済学は
「安全保障」をもビジネスに変え、
自分の利益を増やすことを望む、
グローバリズムによって
活用されることになりました。
ある国会議員(注:自民党)が、
よりにもよって三橋の前で、
「農協は市場原理に任せ、潰れるところは潰すべき」
と語りました。
もちろん、三橋は激怒しました。
別に、農協が潰れても構いませんが、
それはあくまで「日本の食料安全保障」
というナショナル・セキュリティが
維持されることが前提です。
そして、市場原理と安全保障は、
極めて相性が悪いのです。
理由は、
「たとえ儲からなくても、国民を守るために
提供しなければならないサービス」
こそが、安全保障であるためです。
儲からないとは、「経済合理性」の面からは
間違いという話になってしまいます。
安全保障は、経済合理的ではないのです。
とはいえ、現実の世界において、
利益にならないとしても、
安全保障が維持されなければ、国民が豊かに、
安全に暮らすことができないことは自明の理です。
この手のことを、国民が考えなくなった。
結果、国民の票に選ばれる国会議員までもが、
食料安全保障などを無視した暴論を
平気で口にするようになった。
安全保障の前提である
ナショナリズムという価値観を
「見ないふり」をするようになったことこそが、
現在の日本の諸問題の根底に
あるように思えるのです。
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