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2017年11月01日20:46

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映画「ジョニーは戦場へ行った」

人間とは何だろう。第一次世界大戦の戦闘で腕、脚を失い、顔の感覚器官全てを失い、脳・脊髄・内臓だけとなった青年。意識はあり、今や触覚しかないことに徐々に気づいて行く。恋人との一夜を度々回想。夢だって見る。だが現在彼は人間性を否定され、軍部の生きた標本でしかない。大脳の一部もなくし、無意識の反射運動しかせぬ生命体と思われている。ある日看護師長が来た。ここは病院で彼は人間。窓を閉め切るなど不自然。光を入れなさい。顔の布も外された。日光が額に当たる。これが彼の心の転機となった。昼と夜との温度差で一日の経過を感じ取れるようになったのだ。ただ日付がわからない。ある日一人の看護師が彼の胸を指でなぞった。MERRY CHRISTMAS。ああ、神様。今日はクリスマスだったのですね! 彼には毎日を過ごす楽しみも生まれた。僕は意思を伝えたい。顎でモールス信号を打つが、痙攣とみなされ鎮静剤を打たれる。将軍の視察。将校が顎の動きの秘密を知り、驚いて望みを聞く。人の役に立ちたいのです。僕を祭の見世物にして下さい。だが彼は軍の機密。無理だ。なら人生は無意味です。人として死なせてください。その様子を見かねて例の看護師が生命維持装置を外した。が、見つかって担当を外されてしまう。唯一の理解者を失い、彼に残されたのは研究材料としての絶望的な延命の道のみ。鎧戸も閉ざされた真っ暗な病室で、彼は最後の信号を打つ。SOS、SOS。 助けてくれ。
脚本家ドルトン・トランボ。共産主義者である。マッカーシー上院議員によって巻き起こった赤狩り旋風の時代、色んな優れた映画人が共産主義者の疑いをかけられ、アメリカ映画界から追放の憂き目にあった。ドルトン・トランボはこの時代、地下に潜伏、偽名で執筆していた。優れた脚本で知られ、「ローマの休日」も実は彼の原案脚本と判明している。さる映画でも偽名で執筆、脚色賞を獲った。が、授賞式に誰も現れない。出るに出られなかったのだ。自由の国アメリカにも思想弾圧の時代があった。この作品は原作脚本を兼ねた唯一の監督作。彼にはこの一作で十分だったのだろう。カンヌ映画祭審査員グランプリ受賞作。
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