【↑母から生まれた】
コバ・ジュンです。
先日、ふと本棚にあった本が気になり手に取りました。これ買ったのいつだろうな。もう5年、いやもっとだ、10年近く経っているかもしれない。読んでみるか。
何の気なしに読み始めました。ふんふん、そうそう、こんな感じね覚えてる覚えてる。
…ってあれ、こんな展開だったっけ。え、ちょっと待て、どこへ向かってるんだコレ?うおお、こうなるのか、えっ!まさかまさか!
そして号泣。
その作品とは、業田良家著、『自虐の詩(じぎゃくのうた)』。実はこれを初見の時、同じくその当時感じた思いを日記に書いた覚えがあります。やはり「感動した!」てな具合に。
しかし、今回はまたその時とは違った印象が強く心に植えつけられたのです。
「これは、今、まさに今、読んでおかなければいけない作品だった」
と。
言うなれば、
「作品が俺を呼んだ」と。
ここ二週間ほど、心情的に落ち着かない日々を送っており、そんな思いを払拭させるには「酒しかねえ」などと、缶ビールやウイスキーをこれでもかと煽っていたのですが、その答えが昔買った文庫本、しかも漫画(それも四コマ)にあるだなんて思ってもみなかった。
内容を説明しますと、甲斐性なしで何か気に入らないことがあるとすぐにちゃぶ台をひっくり返す「イサオ」と、気が小さいけれども働き者の「幸江(ゆきえ)」の夫婦(内縁)貧乏話。
当初はギャグ漫画で行く予定だったのであろう、何か不満があるとすぐに「でぇい!」とちゃぶ台をひっくり返すイサオの短気さを笑う内容であったのですが、話が進むにつれ、幸江の過去、やはり貧乏だった小・中学性時代の話が始まり、
さらには中学生時代の友人、熊本さんの登場により、
「あれ、これ何かが変わってきている…」と読者に思わせるとともに、そのストーリー展開から離れられなくなり、いつの間にやら「こんな話じゃなかったはず、でも、でも…」と思わせながらのド感動ラストに漂着します。
「作品が呼んだ」と何度も言いますが、今ここに辿り着かなかったら、辿り着けなかったら、なんだか変な方向にいってしまっていたかもしれません。そういった意味で完全に呼ばれたのです。「おい、俺を手に取れよ。今のお前の気持ち、それがすべてここに書かれていることで氷解するぞ」と。
一周回って、さらに90°進んだ感じです。
そんな作品のラストはこんなセリフで締めくくられます。
『幸や不幸はもういい どちらにも等しく価値がある 人生には明らかに 意味がある』
皆様もぜひ機会があればご一読のほどを。
ではまた。
http://kobajun.webcrow.jp/
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