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2017年10月23日23:44

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部活のためなら、いかなる犯罪であろうが隠蔽するのか

■教諭が盗撮した動画を削除・隠蔽容疑 校長ら書類送検
(朝日新聞デジタル - 10月23日 18:54)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=4826345


理由がまた「部活動の実績もあり、学校になくてはならない存在だったので報告しなかった」というのがあきれるね(https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann?a=20171023-00000056-ann-soci)。部活のためなら「いかなる犯罪であろうが部活の存在に劣後する」という前段がなければこんな隠蔽工作にはならない。人を殺そうが、熱心に隠蔽工作に奔走してくれるはずだ。
「部活の存在に劣後する犯罪とそうでない犯罪」があるのであれば、すぐに境界線と引いた理由が示せるはず。

昔、2013年にトヨタ自動車が品質問題でアメリカと揉めていた時に、古舘伊知郎(当時のアンカー)が「こんだけ税金納めてるんだから日本政府も庇ってやれよ」みたいなニュアンスで話を進めていたことがあった。当時のblogがlivedoorブログにあった気がするが、なんか見つからなかった。それと被る。

この手の才能の哲学は、150年前(ロシア語原文)からドストエフスキーが書いていた気がしますけど、まあ、読んでいないからきっとそうなってしまうのでしょう。

「選ばれた非凡人は、新たな世の中の成長のためなら、社会道徳を踏み外す権利を持つ」(Fiodor Mikhaïlovitch Dostoïevski, Crime et Châtiment)

ちなみに、ラスコーリニコフの哲学は、天才には自分の力を示す必要性(義務)がある、つまりそれを示す故に犯罪に至ってしまうということでしたね。
天才には法(メタ的倫理)を超える義務があるというのは、偉人の発明は後世に生かされ世の為になるからであり、天才が自分の才能を発揮しないことは、それ自体が重罪である(あえて世への貢献を阻むので)、それ故に「何をしても許される」という様な結論に至ったわけでした。豆知識です。


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