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2017年10月14日03:23

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目に見えないものは理解しがたい。

長く生きていると色々な価値観に触れることができるけれど、人の価値観というものは単純な要素が複雑に絡み合っているなと思う。

例えば、身体的な要素。小学校の頃、ふた回りも体格が上の相手と「正々堂々と」戦わされたことがある。
ちなみに私は砂で目潰しをかけてさっさと逃亡し、卑怯者の汚名を頂戴したけれども、今考えてもほぼ完璧な戦術であった。ちなみにこの件、教師からも猛烈に怒られた。しかしもう一度同じことがあればもう一度類似の戦法を使うと思われる。まあ、今なら前段階で言論による封殺を試みるけど。

この場合の「正々堂々」が何を意味するのかわからない。
肉体的な要素で下回る相手に仕掛けることは「正々堂々」なのか。私はそうは思わない。
では、目潰しは卑怯なのか?この格闘にルールはないと、思うのだけど。
ちなみに別件では、高校の頃にヤンキーに絡まれて喧嘩した時、目潰しは使わなかったが(笑)
「蹴りは卑怯だぞ!!」
と叫ばれたことがある。大学生ぐらいまで、私は大変な絡まれ体質だったのだ(今でもか?)。
全く意味がわからなかったが今でも意味がわからない。正義などゴミ屑のようにどこにでも落ちていてどれも違うようだ。

何が言いたいかというと、私は結構バギーが好きなのだ。
基本的に脳筋と賢そうな脳筋しかいない世界において、自身の実力以上のものを腕力以外で手にするのは至難の技だ。

と、バギーを褒めようと思って気づく。
普段意識しないが、実は知性自体も腕力なみに(あるいはそれ以上に)覆しがたい先天性があるということを忘れがちだ。
この場合の先天性というのは、純粋な生まれ持った能力と言うだけではなく、「ある時点において」すでに持っている能力だ。例えば喧嘩するその時に、生まれつき体格に恵まれているか、あるいは筋トレや格闘技などをして、後天的に肉体的・技術的に優れている状態のことだ。喧嘩相手を目の前にして筋トレを始めても遅い。
腕力にそうした差があることは容易に想像がつくのだけど、知性や精神性は目で見えないので、「なんとなく自分でも対抗できそう」な気がしている人が多いような気はする。ところが実際はその時点でのその差は絶望的なものがある。もしくはあるはずだ。

とすればバギーも、実際は化け物じみた存在なのだ。決してこれをかませ犬と呼ぶべきではないんじゃないかなー。
ま、最近は読んでないのでどういう描写がされているかは知りませぬ。





最弱!アニメの噛ませ犬キャラランキング
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=45&from=diary&id=4810618
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