小池さんは、アウフヘーベンが好きだなぁ。
アウフヘーベンは、ヘーゲルが発明した、歴史はかく進むという理論ですね。
弁証法と呼ばれるメカニズムなのですね。
これに、基礎を置いているのが、唯物論的弁証法というのを唱えたマルクスの思想ですね。
まぁ、共産党からは、アウフヘーベンの悪口は出てこないはずです。
アウフヘーベンを否定すると、マルクスの理論は根底から否定されるということになるわけですね。
まぁ、日本における、弁証法の第一人者の中埜肇さんも、私の哲学の先生の一人であり、面接授業で教室で教わりましたね。
ちょっと、意地悪な質問をしましたら、中埜肇さんは、震え出しまして、その瞬間から、ヘーゲルの話はしなくなり、プラトンの話をずっとしておりました。
その後、プラトン研究会というサークルが、その授業を受けたメンバーで出来ました。
かなり、有名でしたね。
という与太話をしているわけですから、弁証法の理論通りには、世の中は進まないところがあるのですね。
ほとんど全く、そう動かないのです。
一応、日本語でいくと、正、反、合という言葉で表現します。
まぁ、いい街育ち、スラム育ち、その止揚したもの、とかをイメージしてもらうといいですかね。
私を例に出すと、私は、高輪で育っていますね。
これを正、とします。
しかし、私は大阪の西成、あいりんのあたりの生まれです。
これが反、ですね。
そして、いろんな要素が絡み合いながら、出来上がっている私が、合、ですね。
まぁ、一人の人の中では、べんしょうほうてきには、止揚されることはあるのですね。
よくあることですね。
でも、思想とか、政治とかになると、潰し合い、殺し合いみたいになりまして、なかなか、正、反、合とは、ならないのですね。
まぁ、資本主義と共産主義が、正、反、だとすると、なかなか合にはならないのですね。
ただ、資本主義を修正する、修正資本主義みたいな方向に動いた時期もありますね。
まぁ、今の日本を正とすると、その問題点に着目する反の思想が現れてもいいと思いますね。
私なんかは、共存共栄を唱えていますけどね。
その、両者を足して2で割るのでは芸がなさすぎますから、それぞれのいいところは、しっかり保ちながら、新しいものを作っていこうと進むのが、合、なんですね。
テーゼ、アンチテーゼ、ジンテーゼとかいいますね。
そういう、今の日本に欠けているものを拾い集めて、温め合おうということに、希望を託したいと、小池さんは考えているんでしょうね。
私は、江戸の長屋方式で、コミュニティを活かす方向に持っていくことが大事かなと思うのですね。
助け合い、支え合う社会ということですね。
公助、共助、自助の、共助が強いと、かなり助かるというところでありますね。
まぁ、こういうものは、論争からは生まれません。
一人の人間の中で生まれたり、一つの政党の中で生まれたりするものですね。
そういう意味では、哲人政治とかの理想の話になるのかもしれません。
でも、これだけ疲弊した時代に、さらに新自由主義経済を続けるのは、不可能ですね。
貧困層は死ぬしかないところまで、追い込まれますから。
そこで、イギリスやアメリカでは、新自由主義経済にノーという選択がなされたわけです。
残念ながら、いまだに、新自由主義経済をに代わる理論は生まれておりません。
そこで、私は、江戸の長屋に学べと、古きを温ねて、新しきを知ろう、と提案しております。
発信力の強い小池さんですから、共存共栄を一つの考えとして、取り入れた政治を考えてみるのも面白いと思いますね。
なんで、こんなくたびれる作業をやっているのか、我ながら馬鹿だなぁ。
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