mixiユーザー(id:11056015)

2017年09月03日05:40

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元信者から見た「天理教」

欲深い宗教団体です。
信者の方がよっぽど欲が無い。
閑散とした商店街を見てると、いくら子供おじばがえりとは言え、衰退の一途も頷けます。昔は人が溢れんばかりに行き交っていたのに。
大きな館は力の誇示としか映りません。
あの大きな館群に係る費用だけでも莫大な金額になると思います。
これらの費用をこれから先も誰が負担するのか?各所に点在する教会であり、信者です。その教会ではどうか?理立てと称して高額な金額を要求する。。。。
京都の歴史ある有名なお寺です。最近CMで脚光を浴び、訪れる人が後を絶たないです。それまでは京都の中でも知ってる人が立ち寄る位の静かな処でした。確か3代前の住職が庭園に枝垂桜の木をしかも一本だけ植えたそうです。時が経ち、平成の時代になってその枝垂桜の木は見事に成長し、今は枝垂桜で有名なお寺になりました。春には参拝客や観光客が溢れんばかりに訪れ、それはそれは賑やかです。本来のお寺としての意義はもう少し違う処に有る様ですが、枝垂桜の木を植えた時に今日の姿を誰が想像したでしょう。館建設の為に莫大な費用をかけ、こんなにも信者がいるんだぞぉ〜と溢れんばかりの光景を見せつけ。。。。。
結局東西礼拝場は完成したものの、脱会者や、教団を去る者は後を絶たず、結局何の為のふしんだったのか?首をひねるばかりです。どころか、詐欺紛いや窃盗も厭わない。抗議をしても神が見ている気を鎮めとか人がめどうか神が目どうかと天理教用語で交わされ、本当に疲れる。
自分の将来や団体の将来を考えた時に脱会を考えるのは誰しも同じで、この教団に対して未来を見い出せ無くなってしまいました。
あの時代に神殿や詰所を大きく拡張せずとも、欲を出さずあるが範囲内で納め、沢山の種類の多くの桜の木を沢山植え、手を掛けて世話をしていたら、平成の今の時代には春には見事に桜が咲き誇り、いつ行ってもあそこは桜が咲いているとサクラの里として有名な名所になっていたかもしれない。
どんなに大きな神殿を建設しても歴史の前には勝てない事を良く勉強しました。
サクラの里になるにももう遅いでしょうね。

http://tenrikyosyakaigakulabo.com/?p=335に寄せられたコメントからとられました
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