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2017年08月26日17:34

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西洋の丸い地球と東洋の平たい地球

久しぶりの日記。実はしばらく前から書き続けている題材があり、今回はそこからの脱線になる。
しかし個人的に考える価値のある問題を発見したと感じたので、予定を変更して書くことにした。

以下、つぶやきをまとめただけ。普段の思いつきは流してしまうのだが、今回は覚えておく価値がある問題を見つけたと感じたので、日記に移して保存することにした。
先週まで考えたことのない問題である。

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やっとの事でジョゼフ・ニーダム『中国の科学と文明4 数学』を入手。他の巻と比べて薄くて少しがっかり。原書が1959年刊だから内容的にも古い。序論によると著者は三上義夫や薮内清も参照しているので、三上・薮内著を読む方が早いかも。とりあえず岩波文庫の三上著を押さえておくか。

薮内著は一般書に限ってだが、ある程度手元にある。より新しい研究は、高い本ばかりで攻めあぐねているところ。

ニーダム著の内容の古さについて一例をあげると、ニーダムは中国の渾天説で地球は球体と考えられていたとしているが、Wikipedia「地球平面説」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E7%90%83%E5%B9%B3%E9%9D%A2%E8%AA%AC#.E5.8F.A4.E4.BB.A3.E4.B8.AD.E5.9B.BD
にニーダムの依拠した資料には地球は平面と書かれていたとある(ただしこの主張については日本語のまとまった本がない)。

この問題はつい数日前に発見して絶賛困惑中。

薮内清編・中央公論社『世界の名著12 中国の科学』(1979年)P62に、「中国人には十七世紀にヨーロッパから西洋天文学が入るまで、地球説は存在しなかった」と書いてある。書いてはあるが、薮内氏はこの事を特に強調せず、そうなった理由も論じようとしない。あっさりと流してしまっていいような些細な問題とはとても思えないのだが。
私の目からすると、天文学が古代から発達していた中国で、地球の理論がかくも未発達だった事実は異常で、謎めいている。この問題の本格的な研究がほしい。

地球の球体問題はニーダム著では4、5巻『天の科学』『地の科学』ということになるだろうが、どちらも高価で手が出せない。 ニーダムの文章にあたって確認するのは当分先の事になりそうだ。


その一方、最近では「中世地球平面説の神話」なる主張が普及しつつあるらしい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E7%90%83%E5%B9%B3%E9%9D%A2%E8%AA%AC%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E7%A5%9E%E8%A9%B1
中世ヨーロッパでは古代科学がすっかり忘れられた結、果地球を平面と考えるまでに知識が衰退したという一般通念があるが、これは19世紀に捏造された歴史であって、西欧中世で地球が球体だという知識が失われた事はない、というもの。

実際、中世科学史を少し読むと、地球球体説を前提とした学説がいくらでも出てくる。
手持ちの本にはジャン・ビュリダン (1295頃-1358) (朝日新聞社『科学の名著5 中世科学論集』)とニコル・オレーム(1323頃-1382)(平凡社『中世思想原典集成19 中世末期の言語・自然科学』)がある。
だから少なくとも12世紀以降、地球平面説が知識人の間で一般的だった事実はないという事は知っていたが、それより過去の時代はどうだったのか。議論はここに集中しているようだ。

これら中世哲学者の地球球体説は、多くの場合アリストテレス『天体・地体論』の注釈書として書かれている。西欧がアリストテレスを再発見したのは11世紀以降、アラビア語からの翻訳を通じてだったから、それ以前の西欧にまともな古代科学の知識はなく、地球球体説も忘れられていただろうと漠然と思っていた。それが一般通念と矛盾していなかったからだ。
しかしかなり前から、そういう通念が否定されるようになってきたらしい。

古代末期から中世初期にかけて地球平面説が一般的だった時代はあるか。ない、というのが上述記事の参考文献である J・B・ラッセル, Inventing the Flat Earth: Columbus and modern historians (1991)の主張だというが、まだ翻訳がない。

知識がないので判断する資格はないのだが、判断材料はある。プリニウス『博物誌』(A.D.80頃)は「中世を通じて読まれてきたために、ルネサンスに再発見される必要のなかった数少ない書物のひとつ」(山本義隆『磁力と重力の発見』P108)だという。そして『博物誌』1巻には地球を球体と書いてある(らしい)。

『博物誌』が中世の間ずっと読まれ続けていたなら、中世人はいつでも地球球体説を知っていた事になる。ただし『博物誌』の実物を所有していないので詳しい伝存の歴史がわからない。よって判断もつかないという訳。

西欧では歴史を通じて地球の概念が一貫して受け継がれてきたとしたら、地球を17世紀まで考えようとしなかった中国の歴史は、ますます異様に感じられてくる。この対比は実に不思議で、考えるべき重大な問題があるという気持ちが募るばかりだ。


西欧人と中国人の地球認識の食い違いにSF的な理屈をつけたら、チャールズ・ハーネス『現実創造』、山本弘『MM9』等の「パラノイアSF」に連なる傑作ができそうな気がする。

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