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2017年08月06日11:01

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2017年夏休み列車旅 08(終)

今年の夏休み列車旅は,台風とは無縁で行けると思ってたのになぁ。
まさか,今年の台風5号の野郎,1週間前には小笠原諸島のあたりをウロウロしていたくせに,西向きに進んで鹿児島方面にやってきやがるなんてなぁ。

☆ きりしま5号(2017年08月05日(土))
 都城0906−1025鹿児島中央

昨晩はそれなりに呑んだのだけど,今朝は意外なほどに酔いが残っていない。
それでも,朝風呂にじっくりと浸かって汗を絞り出し,朝ご飯をしっかりと詰め込んでから,ホテルをチェックアウト。
今日は予定どおり行動するか,台風の接近を見越して速やかに帰途に就くか。
まあ,鹿児島に着くまでに考えることにしよう。

都城駅のきっぷ売り場には,指定席特急券の券売機がない。
そこで,有人窓口にて特急券を購入することにした。
私「次の特急の,鹿児島中央までの指定席と,乗車券を」
窓口のお姉さん「指定席は,窓側は売り切れちゃってますね。通路側の席でも良いですか?」
私「かまいません」
窓口のお姉さん「でも,指定席で通路側にするくらいだったら,自由席のほうが良いかもしれませんよ」
私「そうですか,それなら,自由席で行こうかな」
そんなわけで,お勧めに従って自由席特急券を購入した。

やってきた特急きりしま5号は,昨日乗ったのと同じ787系電車。
自由席車両は,ガラガラに空いている。
窓口のお姉さんのおすすめのとおり,自由席券にしておいて良かった(^^)。
商売よりも旅客の快適さを優先してくれた,窓口のお姉さんに感謝。

酒を呑んだ夜は,どうしても眠りが浅くなる。
それで,まだ朝っぱらなのに,加治木駅のあたりまで,大口を開けたまま居眠りしてしまった。
左手に広がる錦江湾はさすがに時化ており,波頭が白く砕けているのが見えた。


☆ JR指宿枕崎線(08月05日(土))
 鹿児島中央1047−1134喜入

今日は,鹿児島空港19時25分発・東京(羽田)国際空港21時15分着の全日空680便の航空券を確保してある。
それで,全日空のWebサイトを覗いてみると, 680便は今のところ,定刻に出発する予定になっている。
それに,鹿児島の現在の天気は,風はちょっと強めだけど雨は降っていない。
それで,とりあえずは事前の予定どおりに行動してみることにした。

鹿児島中央駅のコインロッカーに,ボストンバッグを放り込む。
ただし,いつものビジネスポーチとともに,大きめの折り畳み傘も手元に残しておく。
そして,乗車券を購入して,指宿枕崎線の乗り場へ。

ホームに停車しているのは,クリーム色の地に青いラインを描いた,キハ47形ディーゼルカー。
その塗色は, JR常磐線や水戸線の電車のかつての塗色を思い出させる。

鹿児島中央駅を出発してからしばらくすると,左手の車窓に別の線路の複線が見えてくる。
あれは,鹿児島市電の専用軌道。
鹿児島市電の第1系統は,涙橋電停から谷山電停までの間は道路の上ではなく専用の軌道敷を走るのだ。
超低床車両「ユートラム」が通らないかと思って見ていたけど,残念ながら旧型車両しか見えなかった。

慈眼寺駅に停車して,定刻どおりなら11時04分には発車するはずなのに,5分経ってもまだ発車しない。
そのうち,車内放送が入った。
この駅で交換する予定の,反対方向から来る列車が遅れているので(指宿枕崎線は全線が単線),もうしばらく停車するとのこと。
どうやら,山川駅と大川駅の間で発生した倒木の影響で列車が遅れているらしい。
結局,私の乗っている列車は12分遅れで慈眼寺駅を発車した。
この先,喜入駅での路線バスへの乗り継ぎ時間は,予定では9分間。
指宿枕崎線のこの遅れのせいでバスに乗り損ねたら,嫌だなぁ。

列車は結局,11時42分に喜入駅に到着した。


☆ 鹿児島交通バス(08月05日(土))
 喜入東1143−1209特攻観音入口

喜入東バス停は,喜入駅から少し離れたところにある。
事前に入手していた案内図とスマホの地図とを照らし合わせながらバス停を探して,喜入東バス停に着いたのが11時47分頃。
当然,バスはすでに行ってしまった後だろうと思っていたら,なんと,そこへ,路線バスがやってきた。
運転手さんに「これ,特攻観音入口に行きますか?」と聞いたら,行くとのこと。
それで,慌てて乗り込んだ。
なお,乗客は私だけだった。

11時55分頃,車窓に「ここが特認校の一倉小」という看板が見えた。
「特認校」って,何だろう?

11時58分,スマホに,全日空からメールが来た。
本日の680便は台風のため欠航するという。
さて,それではどうやって帰るか,考えなければならない。

山の中だったり小さな集落だったりする中を,バスは淡々と走り抜ける。
特攻観音入口バス停まで,結局,乗客は私だけだった。


☆ 知覧特攻平和会館(08月05日(土)1225−1400)

今年の夏休み旅行,最後の目的地が,ここ。
左派系の人よりは,むしろ右派系の人の心情にぴったりくるのかもしれないけど,それでもここは「平和博物館」なのだ。
私はどちらかというとハト派・リベラル系の考え方に立つことが多いと自認しているが,そういう私がここの資料を見たとき,どう感じるだろうか。
自分の寄って立つ価値観に,有益なノイズを入れてくれるだろうか。

知覧飛行場は,福岡にあった大刀洗陸軍飛行学校の分教所として,昭和16年に開設された。
当時は南薩鉄道の駅が近くにあるなど交通の便が良く,風向き・地形・地質等の点でも飛行場に適しており,本土南端という位置は沖縄や台湾への中継地としても使えることから,知覧が飛行場建設地に選ばれたとのこと。
そして,昭和17年には陸軍飛行兵の養成を開始している。
そのように,教育用飛行場として建設された知覧飛行場だが,戦況の悪化により,沖縄防衛戦の最前線・陸軍特別攻撃隊の基地に姿を変えた。
掩体壕(えんたいごう・飛行機を隠しておく壕)や誘導路が設置され,「三角兵舎」と呼ばれる半地下式の兵舎が作られた。

艦船1500隻・18万人という大兵力による米軍の沖縄上陸作戦に対して,これを阻止するため,昭和20年4月から6月にかけて特攻出撃が行われた。
内地や占領地の各地から学徒兵や少年兵が集められ,特攻出撃していった。
最年少では17歳の少年兵もいたという。
特攻出撃する兵隊は,出撃前の数日を三角兵舎で過ごし,最後の手紙や遺書を書くなどしていた。
遺書や手紙は母親に宛てたものが多く,また,深夜には声を殺して泣いている者も多かったという。

沖縄戦に出撃した陸軍特別攻撃隊には,約1400人の兵士がいた。
そして,沖縄戦では1036人が散華したが,そのうち439人は知覧から出撃した兵士だった。
知覧から650kmを2時間半かけて沖縄まで飛び,敵軍の艦船に突っ込む。

特攻とは,いわば有人ミサイル。
何故,そんな攻撃が行われるようになったのか。
戦況の悪化に伴い,日本軍は,攻撃に熟練したパイロットや飛行機の多くを失った。
そして,新たなパイロットの養成や飛行機の生産が追い付かず,少ない人数で大きな船を沈める可能性のある,特攻が行われるようになった。
特攻には,以下のような利点と欠点がある。
(利点)
機器の故障等で突入できる見込みがなければ帰還・回収が可能
目標を選択することが可能
敵の妨害をある程度回避可能
ある程度の索敵が可能
(欠点)
搭乗者は確実に死亡する。
搭乗者の意思力・技量が目標命中に重大な影響を与える。
よって,特攻を成功させるには,これらの利点を発揮し欠点を補うような訓練が必要となる。

特攻の成功例として,米海軍水上機母艦カーチスへの突入についての説明展示があった。
特攻機はカーチスの第3デッキを貫通した。
それで,カーチスは沈没こそ免れたものの,そこから上5階にわたる船室等が15時間も燃え続け,水兵61人が死傷したという。
カーチスへの特攻が成功した要因としては
(1)特攻隊員としての高度な使命感
(2)卓越したパイロットの練度
(3)優秀な機体
(4)適切な目標情報の入手
(5)適切な飛行コースの選定
(6)幸運
が挙げられる。

さて,ここまで見てきて,あれ? と思ったのだけど。
熟練パイロット養成と優秀な機体の生産とが追い付かなくなってきたために,特攻という作戦が採用されるようになった。
一方,特攻を成功させるためにはパイロットの意思力と技量を向上させる訓練が必要であり,カーチスへの特攻が成功したのはパイロットが卓越した練度を有し機体が優秀だったからだという。
これって,矛盾していないか?
パイロット養成が追いつかなくなったから特攻作戦を採用したのに,特攻成功のためには卓越した練度を持つパイロットが必要。
優秀な機体の生産が追いつかなくなったから特攻作戦を採用したのに,特攻成功のためには優秀な機体が必要。
あれれ??

では,この特攻という攻撃方法は,有効な戦術だったのだろうか。
実際にどの程度の戦果を挙げたのだろうか。
ここ知覧特攻平和会館の展示の中には,特攻による戦果がどの程度だったのかを示すものが見当たらない。
もちろん,私が見落としているだけかもしれないけれど。

知覧特攻平和会館には,戦死した特攻隊員の遺品が多く展示されている。
だから,この平和会館の展示を見に来る人の中には,戦死した特攻隊員のご遺族の方も多いのだろう。
仮に,特攻という攻撃方法があまり有効な戦術ではないとして,ここの平和会館に「特攻は有効な攻撃方法ではなかった」という主旨の展示がなされたとしたら,ご遺族の方々は気分を害し,反発なさるだろう。
戦死した兵士たちは,有効ではない攻撃のために命を落としたのか,と。
だから,特攻による戦果の程度については,ご遺族からの反発を避けるために,敢えて展示していないのではないか。
・・・・私の邪推に過ぎなければ,良いのだけれど。
(ちなみに,Wikipediaの「特別攻撃隊」の記事には,特攻の効果についての記載がある)

陸軍特別攻撃隊は,沖縄戦で1036人の戦死者を出したという。
一方,海軍でも(沖縄戦に限らず)特攻によって2525人が戦死している。


平和会館に展示されている特攻隊員たちの最後の手紙や遺書には,「立派に散ってみせるから悲しまないでほしい」というような記載が多いように思える。
当時の若者たちの多くは,自分は20代で死ぬのだと,心のどこかで思い定めていたのではなかろうか。
だから,敗戦の際に生き残った若者の中には「死に損なった」という思いを抱いた者も多かったのでは,なかろうか。

ただ,私の印象に残ったのは,とある兵士の
「俺が死んだら何人泣くべ」
という書付けだった。
それと,幼い妹に宛てた
「もう,會えませんね。」
という手紙。

当時,知覧高等女学校の3年生が,三角兵舎の清掃・食事準備・洗濯等の,飛行場での奉仕活動を行ったそうな。
その奉仕活動を行った人へのインタビューの映像が放映されていた。
特攻隊員たちのことをどう思ったか,かわいそうだとか立派だとか思ったのか,というような質問に対して,
「そういう思いよりも,自分たちも同じようにそのうちに死ぬのだという思いが強かった」
という意味のことを答えていたのが,印象に残った。

屋外に出て,復元された三角兵舎を見学する。
風が大分,強くなってきた。
大きめの折りたたみ傘をさしていると,風にあおられて壊れそうになる。

特攻平和観音と呼ばれる観音様のほうは,風雨を避けるためだろうか,本堂の扉が閉まっている。
扉の外から,手を合わせた。


☆ 鹿児島交通バス(08月05日(土))
 特攻観音入口1416−1535鹿児島中央駅前

この風雨の中を,何の覆いもないバス停にてバスの到着を待つのは,できれば避けたい。
しかし,次のバスに乗り遅れたら,とんでもないことになってしまう。
そんなわけで,ずぶ濡れになるのを半ば覚悟しつつ,少し早めにバス停に向かった。
そしたら,鹿児島行きのバスは,この特攻観音入口が始発地であることもあり,定刻の3分ほど前にバス停に来てくれた。

運転手さん「すごい天気になっちゃいましたね」
私「そうですね。運転手さんが早めに来てくれたので,この風雨の中を待たずに済んで,助かりましたよ」
運転手さん「どちらからいらっしゃったんですか」
私「関東のほうからです」
運転手さん「もしかして,これからお帰りになるんですか」
私「そうなんですけど,さっき,航空会社からメールが来て,予約していた飛行機が欠航になっちゃったんで,どうするか考えなきゃならないんですよ」
運転手さん「ひょっとすると,鹿児島でもう1泊ということになるかもしれないですね」

バスは定刻に出発。
途中,2箇所で乗客を1人ずつ乗せたので,乗客は3人になった。
そして,平川バス停で1人,降車。
運転手さんが「JRに乗り換えですか」と聞くと,「いえ,空港バスに」との答え。
たしかにこの平川バス停は,指宿方面からの鹿児島空港行き空港連絡バスの停留所でもあるのだけれど。
運転手さん「お客さん,こちらのお客さん(私のこと)の話だと,飛行機,欠航になっちゃってるみたいですよ」
私「お昼前に,ANAから私の携帯に,欠航を知らせるメールが来たんです」
運転手さん「念のため,確認しといた方が良いと思いますよ」

谷山電停バス停を過ぎると,市電の専用軌道敷が見えるようになる。
さらに,涙橋バス停を過ぎたあたりから,市電の軌道は道路上に移ってくる。
笹貫バス停の手前あたりで,超低床型路面電車「ユートラムIII」,鴨池バス停を過ぎたあたりで初代「ユートラム」,騎射場バス停の手前あたりで「ユートラムII」を,それぞれ目撃した(^^)。

バスは,定刻どおりに鹿児島中央バス停に到着。
私と,あともうひとりの乗客も,ここで降車した。


☆ みずほ606号&のぞみ186号(08月05日(土))
 鹿児島中央1559−1933新神戸1942−2230東京

コインロッカーからボストンバッグを取り出す。
そして,運行状況に関する掲示を確認。
在来線はともかく,九州新幹線は動いているようだ。
よし(^^)。

鹿児島中央駅のみどりの窓口・有人窓口前には,それなりの行列ができている。
私もその行列に加わり,待つことしばし。
行列の脇では係員さんが
「新幹線のきっぷをお求めの方,きっぷ売り場の横にある指定席自動券売機でもお求めになれます」
と案内している。
ただ,さすがに東京駅までの切符は買えないんじゃないかと思ったので,そのまま行列に並び続けた。

そんなわけで,私の順番になったところで。
「新幹線を乗り継いで,東京まで行きたいんです」
それで,みずほ号とのぞみ号・新神戸にて乗り継ぎ,というきっぷを発券してもらった。
やった,これで何とか,我が魔窟庵までたどり着けそうだ。

みずほ号では,さすがに窓側の席は確保できず。
ただ,熊本駅までは隣席に誰も来なかったので,遠慮なくテーブルを広げ,PCのキーボードを叩いた。
熊本駅からはさすがに,隣席の人に遠慮してテーブルを収納し,携帯読書端末で読書にふけっていたけど。

新神戸駅で乗り換えたのぞみ号の車両は,いまや徐々に数を減らしつつある700系電車。
あの,カモノハシのくちばしみたいな,良く言えば愛嬌のある,悪く言えば不格好な新幹線。
指定された座席は,3列並びの窓側席。
残念ながらこの車両は,一部の車端部の座席にしか電源コンセントがない。
まあそれでも,引き続き内蔵バッテリーをたよりにPCのキーボードを叩いたり,読書をしたり居眠りしたり。

そんなふうにして,鹿児島から東京まで6時間半の,新幹線乗車。
普通の人は,余程のことがない限り,6時間も列車に乗り続けるなんてことはしないだろうなぁ。
まあ,今回はその「余程のこと」ではあったのだけど(^^;。

列車は定刻に東京駅に到着。
さらに在来線を乗り継いで,さて,我が魔窟庵に帰るとしようか。

明日は日曜日。
明後日からは、お仕事だ。
あーあ,働きたくないなぁー。

今年の夏休み列車旅は,これにておしまい。
あーあ,終わっちゃった。

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