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の続き)
しかし,いかにヒギンズ三世が天才といえど,ロケット工学は彼の専門分野ではなかった.
その上,マリネラの技術者は既に殆ど全てが核兵器開発に投入されている.
となれば,新たに養成しつつ,かつ,ロケット工学者を外国から招聘してくるしかない.
しかし当時の冷戦体制下にあっては,ロケット工学者は余すところなく東西両陣営で囲い込まれている.
「余剰のロケット工学者」など殆どどこにも存在しなさそうに思えた.
だが,諦めずに諜報機関を動員して四方八方当たった結果,ロケット工学者が「余っている」国が一つあるのを発見した.
日本である.
正確には,余っていたというよりは冷遇されていたと言うほうが正しい.
当時,日本のロケット工学者は政治的逆風のさなかにあった.
70年代日本は安保反対運動を掲げる極左勢力が猛威を振るっていたころで,大学の極左学生たちは,ロケット工学者が授業を行っている教室に乱入しては,
「人殺しのための兵器を開発する研究をやめろ!」
というスローガンを叫んで授業を妨害した.
公的なロケット開発事業は存在したが,予算は先進国平均の10分の一以下で,かつ,役人の天下り団体と化しており,しかも東大とロケット事業団との間で政争が起こっていた.
およそ理想的な研究開発環境とは程遠い.※1
マリネラは仲介者を介し,彼らと接触した.
仲介者の名を田中角栄と言った.
今日では土建屋の親玉のように思われている田中角栄だが,彼が科学畑にも人脈があるということはあまり知られていない.
太平洋戦争中,田中土建工業では理化学研究所系列の工場の建設を多く請け負っており,また,初期の選挙活動も理研人脈に大いに助けられている.
「若き日の田中角栄が,理研で試験管洗いをしていた」
というのは,理研ではよく聞かれる逸話である.※2
政治家としての田中角栄には様々な評価があるが,要は遅く生まれてきた田沼意次である.
重商主義で,付け届けも社会の潤滑油扱いで容認する.
得たカネは,同じ派閥に属する政治家たちに分配され,政治活動のための様々な資金となる.
国会議員ともなると,例えば交通費だけでも,頻繁に永田町と地元とを往復しなければならないため,桁違いに多額なものとなるのだ.
マリネラが田中と接触を始めた1970年以降,田中の活躍は目覚ましいものとなる.
1971年7月,佐藤栄作内閣の内閣改造により,初めて閣僚入りする.
しかも通産相という重要ポストだった.
1972年5月には,その佐藤派から分離独立して,田中自身の派閥を結成する.
同年6月には『日本列島改造論』を発表し,7月5日,佐藤栄作が支持した福田赳夫を破って自民党総裁に当選.
翌日,彼は首相になった.
この大躍進の原動力となったものが潤沢なマリネラ・マネーだったろうことは想像に難くない.
この間,日本のロケット工学者,糸川英夫などが頻繁にマリネラ入りした.
糸川は1967年,東大を退官し,表向きは宇宙ロケット開発から退いた形になっていた.
筆者は,とある筋からマリネラ出入国管理局の記録の写しを入手したが,これによれば,多くの工学者が,表向きは観光の形でマリネラ入りしている.
その人数は延べ数千人に達する.
マリネラのロケット・プロジェクトは表向き,月でのダイヤ採取のための宇宙開発ということになっていた.
お題目に曰く,
「マリネラのダイヤもいつか枯渇するときが来る.
その時に備え,月に豊富にあると言われるダイヤモンドを採掘できる態勢を整えておく」
ためのロケット開発とされた.
ロケットは2段式で,2段目が何本ものロケットを束ねたような形になっていた.
外観はソ連のR-7ロケットとよく似ていた.
R-7はソユーズなどを打ち上げたことで知られるロケットである.
ボリス・チェルトクなどは,
「マリネラの諜報機関が,ソ連の技術を盗んだ可能性が高い」
と指摘している.※3
ソ連自身がドイツやアメリカの技術を盗んで,ロケット開発期間を短縮したように,マリネラも開発期間短縮のために同じことをしたと見られる.
そしてもう一つ,開発期間短縮のために決断されたことがある.
それは,ICBM(大陸間弾道弾)としては開発しない,というものだった.
宇宙ロケットは宇宙空間に向かって飛ばすだけでいいが,ICBMは地表に再び戻ってこなければならない.
いったん宇宙空間に打ち上げて,そこから敵の都市に向かって落とすというのがICBMのコンセプトだ.
ところが落とすときに落下速度が速すぎると,大気の断熱圧縮で燃え尽きてしまう.
流れ星になって消えてしまう.
そこで落とすときに落下速度を遅くする技術が必要になる.
これが大変に難しい.
核弾頭も小さくしなければならない.
大きく,重いと,やっぱり落下速度が速くなって燃え尽きてしまうからだ.
この小型化も大変に難しい.
だから,それら技術の開発を省略すれば,ロケットの開発期間を更に短くすることができる.
では,敵の都市を核攻撃する方法はどうするのか?
まさか人力で担いで行って投げつけるわけにもいかない.
「ICBMの代わりに巡航ミサイルで間に合わせよう」
とヒギンズは答えた.
巡航ミサイルは宇宙空間まで飛び出すことはない.
飛行機のように翼とジェットエンジンで水平飛行する.
目標近海まで原潜で接近し,原潜から巡航ミサイルを発射するのである.
ただし巡航ミサイルには欠点もある.
宇宙空間から高速で落下してくるICBMとは違い,迎撃が比較的容易という点だ.
そこで一度に何百発という大量のミサイルを斉射して,多少撃ち落とされようが問題ないようにする.
もちろん核弾頭はそこまで大量には用意できないが,ダミーのミサイルを混ぜて(本物対ダミーの比を1:9くらいにして),本物の核ミサイルの生き残る確率を上げる.
ロケット技術者の「マリネラ観光」のピークは1974年.
この年を境に,延べ訪問者数はどんどん落ち込んでいった.
その年,田中角栄は金脈問題が発覚し,首相を辞任する.
いわゆるロッキード事件の端緒であった.
この事件については現在でも様々な憶測が飛び交っている.
それはたとえば,
「日中接近を快く思わなかったアメリカが,日本の検察に密かに証拠書類などを渡した」
といったものだ.※4
しかし筆者は,これとは違う見方をしている.
田中角栄を「刺した」犯人はMI6であろうと,筆者は推測している.
2010年11月28日,ウィキリークスは,1965年12月28日から2010年2月28日までの漏洩文書,251,287件を公開した.※5
ウィキリークスというのは,政府・企業・宗教などに関する機密情報を公開するウェブサイトの一つで,匿名による投稿が可能になっている.※6
その日公開された文書の中には,駐日英国大使館の機密電報も含まれていた.
それによれば,英国諜報機関が田中角栄について事細かに調査していたという.
マリネラとMI6との間の暗闘については既に述べた.
キム・フィルビー事件によって大打撃を受け,マリネラ問題から手を引いていたMI6だが,当時ようやくその打撃から立ち直っていたようである.
そのMI6が,キム・フィルビー事件に関するマリネラへの報復と,マリネラの核実験阻止とを狙って,マリネラ=田中角栄ルートを潰そうと企んだ,と考えるのは筆者の穿ち過ぎだろうか?
しかし,もしそうだとしても時すでに遅かった.
そのとき既にマリネラのロケットは完成していたからである.
※1
松浦晋也『国産ロケットはなぜ墜ちるのか』(日経BP社,2004)
https://www.amazon.co.jp/dp/4822243834
※2
宮田親平『科学者たちの自由な楽園 栄光の理化学研究所』(文藝春秋,1983)
https://www.amazon.co.jp/dp/4163381201
立花隆『田中角栄研究 全記録』(講談社文庫,1982)
https://www.amazon.co.jp/dp/4061341685
大下英治『実録 田中角栄』(朝日文庫,2016)
https://www.amazon.co.jp/dp/4022618698
※3
Boris Chertok他『Rockets and People, Volume II: Creating a Rocket Industry - Memoirs of Russian Space Pioneer Boris Chertok, Sputnik, Moon, Mars, Launch Pad Disasters, ICBMs』(Progressive Management,2011/12/20)
https://www.amazon.co.jp/dp/B006OGLM10
※4
田原総一朗『大宰相 田中角栄』(講談社,2016)
https://www.amazon.co.jp/dp/4062816903
など.
※5
Shane, Scott; Lehren, Andrew W. (28 November 2010). "Leaked Cables Offer Raw Look at U.S. Diplomacy". The New York Times. Retrieved 19 December 2010
https://www.nytimes.com/2010/11/29/world/29cables.html
a b Suarez, Kris Danielle (30 November 2010). "1,796 Memos from US Embassy in Manila in WikiLeaks 'Cablegate'". ABS-CBN News. Manila. Archived from the original on 5 July 2012. Retrieved 19 December 2010
http://www.abs-cbnnews.com/nation/11/29/10/1796-memos-us-embassy-manila-wikileaks-cablegate
※6
http://wikileaks.org/
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