病を発症させてしまいしかし辛くとも頑なに気丈に頑固になってしまった母 そうしていなければ人として保てなかった
病に翻弄され罵声されたり弱音や愚痴を唯一家族で聞き続けた私は同じ様に疾患を持ち始めていたり
事を悲観していた若い頃だったが
ふとしたある事がきっかけで今は実の母の弱音を親身に聞いても 折れる事なくどっかりしっかりと励ましたり対応出来るようになれた事が少し嬉しい ううん 本当は凄く嬉しい
母は幼い頃から幼稚園 学校で、地元が熱烈な大きな宗派が生まれに有り そして仕事柄お付き合いや学校での延長上 また兄を亡くし自分が長女という事もあり あらゆる宗派に身を深く置かねばならず 病も若い頃から当時の改善事例の少ない物を患い 幼い娘二人には理解が難しい病でもあり 私たちも理解に苦しんだ
父との口喧嘩も止まらなくなり時期は短い方かもしれないが 続いた時もあった
しかし父の努力が大きく 昇任の転勤を要請されたが、妻が病のためと辞任を断った。断るからには退社を表明することになる、会社とはそういうものだ、と言われた。折角の当時は堅牢歴史ある会社なのにと思ったが今となれば辞めて良かった、古い体質の会社で問題があり過ぎる所だった。 自宅から近くの小さな勤務地を直ぐに見出し また、近所への母の病の理解を求めるため親睦を厚く計り地域ごと応援した。
結果努力は実り母の状態は快方へと向かって行った。それでも30年 その病は母の中から出て行くのに時間はかかった。。。
家族にたった一人で良い
そのふと手に入れたキッカケを掴んでからは
母に悪い物が見つかり摘出しては
その後遺症は辛いものでは有るが
早期発見でき命に別状なしとなった。
まだ私に対し一部 反発を繰り返す母に
また新しく発見された悪性のものの摘出手術と
そのリスクや後遺症などは
前回のものと比べても
少しずつ軽減してると私は思う。
手術はやリハビリは辛いが
悪い物は出し切って
傷は残るかもしれないが
病の消えた心身で最期は不浄でいて欲しい。
人は最期が一番美しくなるとも言うからだ
どんどん穏やかになって欲しい
気丈だったかもしれないけれど
心の底からの安堵感で生きていて欲しいと願う。
それが かなってきているんじゃないかと実感する
今日この頃である。
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