mixiユーザー(id:21183267)

2017年06月28日00:10

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10,000円と書かれた手形帳

以前「ビットコイン」というおカネの話をしました。
ビットコインは日常生活で使うおカネとしては、譲渡性が不足しています。

ビットコインによる支払いを認めた日本国内のショップがあったとして、
その店の店長や店員は、結局は「日本円」で生きているわけです。

しかも、仕入れの際に支払うのは、これまた日本円です。
ビットコインで仕入れることができない以上、
結局、その店も「日本円」から逃れることができません。

というわけで、ビットコインで支払いを受けたショップは、
必ず日本円に「両替」しなければならないのです。


ビットコインの日本円価格、あるいはビットコインの「対日本円為替レート」は、
激しく変動します。

ビットコインによる支払いを認めたショップは、大きな「為替リスク」を抱えることになってしまうのです。

ビットコインは異なるおカネ間の「仲介」者としては、非常に役立ちます。
とはいえ、日常生活で使われるおカネにはなり得ないでしょう。


結局、我々は普段の生活で「日本円」を使い続けることになります。
特に、日常的に触れる機会が多い日本円が「現金紙幣」です。

日本国民の99.9%は、
一万円札などの現金紙幣について「それ自体に価値がある」と考えているでしょう。
とはいえ、現金紙幣は日本銀行が発行した債務の記録、すなわち借用証書(約束手形)です。

お金について理解を深めるには、
一万円札が「単価22円の紙片」に過ぎない時期があることを知る必要があります。

日本銀行は国立印刷局に発注し、一枚22円の費用を支払い、一万円札を印刷してもらいます。
国立印刷局で印刷され、日本銀行に運ばれ、倉庫に貯蔵された時点では、一万円札は冗談でも何でもなく「単価22円の紙片」に過ぎないのです。


もちろん、運送途中に、あるいは日銀の倉庫から一万円札の札束が盗まれてしまった場合、それは日本社会で普通におカネとして流通することになるでしょう。

とはいえ、日銀の倉庫に積み上がった札束は、論理的にはおカネではないのです。
日本銀行が国立印刷局にお願いし、「10,000円」と同じ金額が書かれた「約束手形」の束、つまりは手形帳に過ぎないのでございます。


日本銀行は、自分で手形帳に10,000円と書いていくのが面倒くさいので(何しろ、膨大な量の約束手形を発行しなければなりません)、
コストを払って国立印刷局に印刷してもらっているのです。

日本銀行に置かれた手形帳の約束手形は、市中銀行の日銀当座預金という資産(日銀にとっては負債)と交換され、現金紙幣として社会に流通していきます。

すなわち、日本銀行が自らの過去の債務(負債)である日銀当座預金を、
現金紙幣という約束手形で「弁済」した瞬間に、一万円札は初めて「一万円のおカネ」になるのです。

一万円札は、日銀が自らの債務弁済(日銀当座預金との交換)に充てない時点では、
「10,000円」と印刷された手形帳に過ぎません。
いかがでしょう? 


日本国民の多くが上記の「現金発行の仕組み」について理解し、
ほぼ全てのお金が「債務と債権の記録」であることを理解することができれば、
いわゆる「国の借金」プロパガンダも効力を無くすことになると思うのですが。



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