mixiユーザー(id:78391)

2017年06月25日13:09

1241 view

 【質問】 高田事件(1952年)って何?(下書き)

 【質問 kérdés】
 高田事件(1952年)って何?
 3行以上で教えて!
Mi az 1952-es Takadas-i zavargások?
Kérem, mondja meg a három vagy több sorban.

 【回答 válasz】
 1952年6月26日早朝,名古屋市瑞穂区にある民団愛知県本部顧問宅へ,旧朝連系の朝鮮人数十人が乱入.
 顧問は瑞穂警察署高田派出所に助けを求め,警察官が顧問を助けようとしたところ,追跡してきた一団が,火炎瓶や石を投げつけて派出所を焼き討ちにし,裏口から逃げようとした顧問を追いかけて暴行した事件.
 その後も米軍基地・民団愛知県本部・中村県税事務所への火炎瓶投擲,名古屋簡易裁判所判事宅への投石を行い,朝鮮人31名が検挙されたが,「審理中断期間が長過ぎたから」という理由で免訴・釈放された.

             (・・?    (・・?     (・・?     (・・?     (・・?

「目に秋毫の末を察すれば耳に雷霆の声を聞かず」
という言葉がある.
(「淮南子(えなんじ)」俶真訓)
 動物の毛の先ばかりを見ていると,雷の激しい音が聞こえない.
 すなわち,小さい事に心が向いていると,重大な事に気づかないという意味.
 もっと簡潔に「木を見て森を見ず」という言葉もある.
 テロ事件の中にも,そうした
「え? 本題はそこ?」
と首をかしげたくなるようなものが存在する.

 話は1952年に遡る.
 当時,在日朝鮮人組織は「在日本朝鮮人連盟」と「大韓民国居留民団」とに分裂していた.
 朝連は北韓シンパ,民団はそれを嫌って分離していった組織である.
 朝鮮戦争の休戦交渉が長引いていたその当時,当然ながら両者の仲は悪かったらしい.

 6月26日午前5時30分頃,朝連メンバー,約40人が名古屋市瑞穂区平郷町5丁目4番地にあった旧朝連瑞穂支部事務所に集結し共謀の上,同日午前5時40分頃,同区平郷町3丁目18番地に住む,大韓民国居留民団愛知県本部元団長,神農こと姜末律宅に押し寄せた.
 40人は表入口格子戸西側勝手口戸板を破壊して屋内に侵入.
 石塊,煉瓦等を投げ付け,家屋のドアやガラスを破壊し尽くした.
 損壊されたものは
(1) 玄関硝子格子戸    2本(硝子8枚)
(2) 表六畳の間硝子戸   5本(硝子8枚)
(3) 中二畳の間硝子戸   8本(硝子50枚)
(4) 奥六畳の間南側硝子戸 4本(硝子18枚)
(5) 便所中窓硝子戸    2本(硝子4枚)
(6) 2階中窓硝子戸     2本(硝子4枚)
(7) 裏出入口板戸     1本

 姜末律は何とか逃げ出し,瑞穂区直来町3丁目20番地にあった名古屋市警察瑞穂警察署高田派出所に助けを求めた.
 だが,朝連の一団は姜末律を追ってきて,派出所にも石塊,煉瓦等60数個を投げ付けるなどして
(1) 派出所標識赤色門燈  1個
(2) 派出所入口硝子戸   2本(硝子2枚)
(3) 事務室中窓硝子戸   5本(硝子13枚)
(4) 休憩室硝子戸     4本(硝子11枚)
(5) 警察電話受話器    1個
(6) 事務室柱時計     1個
(7) 事務室内電燈笠    1個
等を損壊.
 次いで火焔瓶6本を同派出所内に投げつけて放火した.
 派出所は事務室南側中央柱及び天井板の各一部並びに巡査用雨外套1枚等を焼燬する.

 姜末律は更に逃げ,午前6時頃,同区宝田町2丁目8番地に住んでいた鈴木泰助方に助けを求める.
 朝連は更に追跡し,この民家にも押し入る.
 同家中2畳の間にあった
(1) 茶碗類        3個
(2) 灰皿         1個
(3) ニューム製鍋     1個
等を損壊.
 姜末律の頭部顔面其の他を石塊や拳で数回殴打し,さらに足蹴にして,頭や顔を負傷させる.
 頭を石で殴られて,全治約10日で済んだのは,不幸中の幸いだったと言えるだろう.

 これだけではない.
 この前後,彼らは他にも複数の事件を起こしていた.
 5月25日は朝鮮戦争勃発2周年目で,彼らはデモなどやって気分が悪い方向に高揚していたらしい.

 人間は集団になると,意味不明で暴力的で狂気じみた行動に走ってしまう傾向があると言われている.
 社会心理学者はこれを群集心理(集団心理)と呼んでいる.
 過剰な集団心理はいじめや差別を助長する要素のひとつであり,社会に重大なひずみを作ると言う.
 彼らも集団心理のおもむくまま,5月25日以降,名古屋市内各所において暴力的で狂気じみた行動を繰り返した.

 まず6月25日,朝鮮人及び自由労組員等によって,名古屋市中村区国鉄名古屋駅裏広場において開催された「朝鮮動乱勃発2周年記念日行事」に参加していた朝鮮人等300人が,午後5時ごろ,無許可デモを開始.
 あらかじめ用意していたプラカード等を持って,広小路通り4丁目附近までデモ行進したが,途中,広小路通り2丁目5番地にあった在日米軍PXPX構内駐留軍関係者専用の自動車駐車場に侵入.
 駐車場内をジグザグ行進しつつ,米兵の自家用車や米国領事館所属のジープ,合計5台をプラカードの柄や旗竿の先で突き,あるいは投石して破壊した.
(PX事件)

 次いで朝連の数名が,名古屋市北区東大曾根町上2丁目951番地にあった民主愛国青年同盟名東支部事務所に於て,同市中区南外堀町7丁目所在の米駐留軍宿舎を襲撃焼燬せんことを共謀.
 同日午後8時30分頃,10人で火焔瓶3本を携帯して宿舎付近まで行き,隙を窺ったが,結局これは断念した.
(米軍宿舎事件)

 その代わり今度は,名古屋市東区長塀町6丁目10番地にあった在日大韓民国居留民団愛知県本部を焼き討ちしようと共謀.
 午後9時30分頃,数名がこの建物に投石し,また,火炎瓶を投げ込んだ.
 しかし幸い,直ちに同事務所員によって鎮火され,炎上とはならなかった.
(民団事件)

 さらに5月30日,10数名が名古屋市北警察署大杉巡査派出所の焼き討ちを共謀し,午後7時過ぎ頃,名古屋市北区東大曾根町上2丁目951番地にあった民主愛国青年同盟名東支部事務所に集結.
 火焔瓶計4本を携帯して同事務所より同派出所附近まで行き,機を窺ったものの,これも未遂に終わっている.
(大杉事件)

 警察は直ちに捜査を開始したが,捜査は難航した.
 朝鮮人は捜査員を尾行し監視.
 そして捜査員が聞き込みに行った家を後で尋ねて,脅迫したり深夜に雨戸を叩くなどの嫌がらせを行ったため,周辺住民は警察に非協力的になったからだ.

 起訴されたのは
・高田事件:
朴鐘哲,金炳根,金億洙,安旭鎬,横井政二,盧洪錫,安日秀,趙在奎,金英吾,安俊鎬,李弼建,権一,金茂一,鄭★恢,崔永権,申南春,権龍河,張哲洙,平井春雄,李正泰,井上信秋,柳政一,林学,趙大権,金永哲,全正守,金泰杏
・大杉事件:
朴鐘哲,安日秀,金英吾,李弼建,金茂一,鄭★恢,申南春,権龍河,趙大権
・PX事件
金億洙
・民団事件
平井春雄,鄭★恢,盧洪錫
・米軍宿舎事件
金炳根,安心鎬,安俊鎬

 ところが裁判の途中の1954年,審理が事実上中断される.
 被告人のうち20名は,やはり同時期に起こった大須事件の被告人でもあった.
 被告人達は,「両方の裁判を同時に受けることは耐えられないので,大須事件の審理を優先して,高田事件の審理を待ってほしい」と訴えた.
 そこでこちらの裁判は,大須事件の結審を待って再開されることになった.

 しかし,まさか大須事件の裁判が1969年5月まで長引くとは,この合意時には予想もされていなかったに違いない.

 その15年の間,裏付け捜査も警察はろくに進めていなかった.
 民団本部,高田事件の被害者宅の被害状況を写した写真の撮影,若干の証言とりだけ.
 上述のように周辺住民が警察に非協力的,また,マンパワーの問題もあったのだろうが,審理中断をいいことにサボっていた感は否めない.

 こんな状況を見て,「ナイス・アイディア」を得た弁護士がいたらしい.
 被告弁護側は,15年も審理が行われなかったのは憲法違反であると言い出した.
 憲法37条1項にいう「迅速な…裁判を受ける権利」の保障に反するという理屈.

 あれ?,「審理を待ってほしい」と言ったのは被告のほうだったのでは…?という素人の感想をよそに,第一審は,憲法37条1項は単なるプログラム規定にとどまらず,被告人の具体的権利を保障した強行規定であるとした上で,公訴時効が完成した場合に準じ,刑事訴訟法337条4項により免訴の判決を下した.

 第二審は,現行の刑事訴訟法には裁判の遅延から被告人を救済する何らの規定も見当たらないとして,破棄差戻し.

 1972年12月20日の最高裁判所大法廷判決は,憲法37条1項は単なるプログラム規定ではないことを明示した上で,一定の場合には,裁判の遅延対処すべき具体的規定がなくとも審理を打ち切る,という非常救済手段がとられるべきであると判示し,第一審判決を支持して免訴判決がなされるべきであるとした.
 審理打切りによる救済を受けるためには,被告人の審理促進要求が条件となるとする学説(要求法理)もあるが,この判決はこれを採用しなかった.

 そんなわけで,だれも刑に服することなく免訴・釈放された.
(権龍河は少年法により公訴棄却.
 趙大権は精神分裂病のため公判手続停止.
 金永哲は審理中断中に死亡したため公訴棄却)

 もっとも,上述のように証拠調べはロクになされておらず,事件に被告が関与したかどうか,共謀の事実,各被告の具体的な行動などは明らかになっていなかったため,審理が仮にそのまま再開されたとしても,公判が維持できたか疑問だが.

 そして今日,この事件は専ら,憲法37条を巡る法学マターとしてのみ関心を持たれている.
 確かに,憲法を巡る司法判断が争われた判例なので,それはそれで仕方ないのかもしれない.

 だが,事件の本質はそこなのだろうか?
 事件概要を見る限り,朝連が組織的犯罪集団であるのは自明なように見える.
 事実,朝連はGHQによって解散を命じられてさえいる.
 しかし,朝鮮総連という名になって,すぐまた復活を果たしている.
 のみならず,デイリーNKジャパン編集長・高英起によれば,朝鮮総連はかつては「日本政界に左派・右派を問わず人脈を張り巡らせており,おいそれと強制捜査などできる組織ではなかった」存在にまでなっていた.

 普通はそのような組織的犯罪集団の可能性が高いものが復活した時に,再犯を警戒して何らかの措置を講じるものではないのだろうか?
 もし総連の犯罪抑止策を早期に講じていれば,もしかしたら拉致問題も早期に発覚して,解決も早かったかもしれない.
 もしかしたら送金や核技術流出も抑制でき,北韓の核兵器開発を遅らせることができたかもしれない.
 もしかしたら大韓航空機爆破事件のようなテロも防げたかもしれない.
 どのページを覗いても,法の専門家が法学的に云々するものはあっても,法の専門家が犯罪未然防止の観点から論じたものは寡聞にして見られない.

 法律方面で活動する人権屋は,憲法にまで訴えて勝利したことで得意顔かもしれない.
 しかし,彼らが救った組織により,不特定多数の人々の生命・財産が脅かされてきたこともまた事実.
 そして今日,人権屋は,自分達への支持が少ないのは何故なんだ?と首をかしげているのである.

 【参考ページ Referencia Oldal】
https://kotobank.jp/word/朝連
https://www.bengo4.com/other/1146/1288/d_6364/
http://karapaia.com/archives/52138524.html
http://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~suga/hanrei/63-1.html
http://blog.goo.ne.jp/yamanooyaji0220/e/557b05c7f29c2b067b8d8a6cccd532ef
https://news.yahoo.co.jp/byline/kohyoungki/20151029-00050937/


3 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2017年06月>
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930