「牯嶺街少年殺人事件」 ’91 (台)
監督：楊徳昌(ｴﾄﾞﾜｰﾄﾞ･ﾔﾝ)
脚本：楊徳昌，閻鴻亞(ﾔﾝ･ﾎﾝﾔｰ)，楊順清(ﾔﾝ･ｼｭﾝﾁﾝ)，頼銘堂(ﾗｲ･ﾐﾝﾀﾝ)
撮影：張恵恭(ﾁｬﾝ･ﾎｲｺﾝ) 美術：楊徳昌，余爲彦(ﾕｰ･ｳｪｲｴﾝ)
編集：陳博文(ﾁｪﾝ･ﾎﾟｰｳｪﾝ) 録音：杜篤之(ﾄﾞｩ･ﾄﾞｩｰｼﾞ) 音楽監修：�藕�達(ﾁｬﾝ･ﾎﾝﾀﾞ)
ｍ：張震(ﾁｬﾝ･ﾁｪﾝ)，王啓讃(ﾜﾝ･ﾁｰｻﾞﾝ)，柯宇綸(ｸｰ･ﾕｰﾙﾝ)，譚志剛(ﾀﾝ･ﾁｰｶﾞﾝ)
周慧國(ｼﾞｮｳ･ﾎｪｲｸｵ)，林鴻銘(ﾘﾝ･ﾎﾝﾐﾝ)，張國柱(ﾁｬﾝ･ｸｵﾁｭｰ)，張翰(ﾁｬﾝ･ﾊﾝ)
ｆ ：楊靜怡(ﾘｻ･ﾔﾝ)，倪淑君(ﾆｰ･ｼｭｳｼﾞｭﾝ)，金燕玲(ｴﾚｲﾝ･ｼﾞﾝ)，王娟(ﾜﾝ･ｼﾞｭｴﾝ)
姜秀瓊(ﾁｱﾝ･ｼｮｳﾁｮﾝ)，頼梵天(ﾗｲ･ﾌｧﾝﾕﾝ)
’91 東京国際映画祭 審査員特別賞，国際批評家連盟賞
’91 ナント三大陸映画祭 監督賞
’91 台湾金馬奨 最優秀作品賞，脚本賞
’91 アジア太平洋映画祭 グランプリ
’92 シンガポール国際映画祭 監督賞
91年の楊徳昌(エドワード・ヤン)作品。
楊徳昌は早逝したために90年代終盤から始まる私の鑑賞履歴に届かず
劇場公開で観たのは『ヤンヤン 夏の想い出』(’00) だけである。
侯孝賢(ホウ・シャオシェン)，林正盛(ﾘﾝ･ﾁｪﾝｼﾝ)，蔡明亮(ツァイ・ミンリャン) らは
2000年代にNHK が放映した作品で初体験したと思うが
楊徳昌作品にはTVではめぐり会っていない。
亡くなった後も特集上映が組まれた記憶がないので
昨年の『恐怖分子』鑑賞は本当に衝撃だった。
その楊徳昌の最高傑作と名高い「牯嶺街(クーリンチェ)」を観た。
張震(チャン・チェン)，楊靜怡(リサ・ヤン)の清新さは鮮烈に目に沁み
“少年殺人事件”を撮るとは大人未満の身体性を画にすることだ―と思い、
今しも足下に世界を捉えることになる彼らの不安と
昂進する自意識の傲慢が
台湾の歴史を生きる市井の人々の生活の中に生起するのを
息をつめて見つめることになるのだが、
その見つめる先には
“闇を摑まえようとする意思”が映っているのだ。
闇は1960年の台北の夜を暗く象るのだが、
その闇は
不良少年ややくざ者のいざこざや抗争を呑み
思春期の不明な気分を、戒厳令の日々を、白色テロの影を呑み
日本の植民地統治の名残を、本省人・外省人の微妙な齟齬を、
眷村(けんそん)の空気を、アメリカ文化と反共の時代を呑み
主人公の少年 小四(シャオスー)の周りに“台湾の物語（歴史）”を造形してみせるのだ。
小さな外省人コミュニティの数ヶ月が描かれるに過ぎないが
描かれるエピソード、登場人物の背景が宿す濃密な物語は
闇として画になることで
何ら説明されない当時の台湾社会の事情を纏うことになり、
観客は“よく知らない彼の国の物語”をただ受け取りながら
小四の“よく解からない衝動”が発動するのを
ただじっと待つしかないのである。
アンゲロプロス『旅芸人の記録』を初めて観た日の衝撃を思い出す。
ギリシャの戦後など全く知らなかった脳は
寒々しい曇天の長いながいワンカットに震え上がった。
あの寒冷と曇天が
ここでは亜熱帯の湿潤と夜の闇なのだった。
膨大な登場人物と彼らに垣間見える“物語”は
トルストイ「戦争と平和」を思い出させ、
全体小説などというサルトルの方法論まで記憶の底からサルベージする。
三面記事の裏側にある背景を紐解く大岡昇平の「事件」もまた
真実は報道の言語では掬えないことを明かしていて、
楊徳昌の構成はそこに重なる。
東山彰良「流」を読んだ時
まるで台湾映画を観ているようだ…と思ったが、
あれはここに描かれる台北の15年後の喧騒だったのだ。
押し入れの中で点滅する懐中電灯は小四のいる狭い空間を明滅させるが
押し入れの中の光も闇も
彼の呼吸する“世界”と直に繋がっていて
小明(シャオミン)という少女の身体が“世界”に抗って顫(ふる)える
その戦(おのの)きに正しく感応して
少年の身体を明らかにするのだ。
14歳の張震と16歳の楊靜怡の大人未満の身体と顔貌は
こうして映画の永遠になる。
楊徳昌は数多の登場人物から成る“世界”を構築し
それぞれの“物語”が織り上げる織物から歴史を立ち上がらせる。
それはそこで生きている人には歴史未満の現実だから
小四の犯罪という現実も
歴史タペストリーには小四の物語として織り込まれている。
張震と楊靜怡の身体を纏って。
外省人の住居となった日本家屋も
さらに貧しい階層が暮らす住居の共同炊事場も
小公園のパーラーも回廊が巡る学校も撮影所の天井の通路も
ビリヤード場の暗がりも
小四らの生活する“当時”そのままに見え
彼らの息遣いや物音が
卓上レコードプレイヤーや製氷皿の氷や
西部劇ごっこやエレキギターといった時代のアイコンよりも
音が記憶する物語を画に与えているのだった。
ジャン･ピエール･レオーと同様に張震は
その少年の身体が映画の永遠となった。
まぎれもない傑作。
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