mixiユーザー(id:9678194)

2017年06月12日16:12

129 view

我慢の欠如

繊細だからこそ他人を傷つけてしまう SNSの困ったちゃん「繊細チンピラ」とは
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=128&from=diary&id=4615673


世の中が豊かになった所為か。
ネットの普及により様々な考え方が認められるようになった所為か。
はたまたそれ以外の要因か、それらが組み合わさっての事か。

それは分かりませんが、昨今世間を賑わす様々な問題は我慢の欠如に由来している事が多いような気がします。
「多様性が認められるようになった」
と言えば聞こえはいいですが、権利と義務は表裏一体です。誰かが権利を主張し他者にそれを強いれば、その他者には義務が発生します。

記事で言えば
> ・Aさんの発言に対して「結婚できない人もいるのにそういうこと言わないで」と言う
という権利を主張すれば、
> Aさんは単に出来事を報告
する事を規制する義務が発生するのです。

以前であれば、Bさんは「羨ましいな」と思うだけで、Aさんに対して記事のような要望をすることは無かったと思うのです。
それを「結婚できない自分=弱者」として弱者擁護の発言をする。
それが我慢の欠如のように思えるのです。

繰り返しになりますが、権利と義務は表裏一体です。
確かに言論の自由や権利と言えばBさんは、何ら反したものがある訳ではありません。しかし、逆の立場であるAさんの言論の自由に規制をかけるという義務を生じさせるのです。

以前、人付き合いの垣根がもっと低く、良くも悪くもプライバシーがあってないような時代、今と逆に人々は「人の事を思って我慢する」という事が出来ていたように思えます。
だから現在のように法規制法規制と言わなくても、なんとなく社会が治められ、回っていたように思えます。

もちろん、それの陰で暗躍する何かも存在したと思いますし、それを容認するわけではありません。
ですが、「誰でも言いたいことが言えて、明朗な社会」と言うのは、意外と「白河の 清きに魚も 住みかねて もとの濁りの 田沼恋しき」なのかもしれません。
0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する