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2017年06月03日03:52

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政府が科学研究費を「国家有用」の研究に向けて用いるという指摘

政府は科学研究費を「国家有用」、つまり防衛の研究に向けて用いるという指摘を駒込武京都大学教授が行っていますが、防衛費としての科学研究費は我が国の安全だけでなく、我が国民をも守るために必要であり、また「防衛」として開発されたものがやがて民間へと転用され、多くの人々の生活を豊かにしてきたことを思惟できないのでしょうか。
科学研究費を軍事費ばかりに使うことも問題ですが、防衛のための科学研究をさせない、他の学者や研究者がその研究を行うことを妨げる科学者の態度も問題視されるべきであります。
私見と駒込教授による下記の主張のどちらを取るかはあなたの判断に委ねます・・・


戦争バブルに色めき立つ大学? ――駒込武(教育学研究科教授。専門は教育史)

(前略)
カケン、すなわち科学研究費は今日の大学の研究活動において重要な位置を占めており、知らない人はまずいない。だが、その由来についてはさほど知られていない。文部省が科学研究費という枠を設けて本格的に研究助成に乗り出したのは、1939年のことである。陸軍大将荒木貞夫が文部大臣として予算を計上したのだった。当初は自然科学部門のみを対象としていたが、43年度から人文科学部門に対しても交付することになった。「大東亜戦争ノ遂行ヲ第一絶対ノ目標」として、兵器開発のような狭義の軍事研究のみならず、占領地の資源。地理・民族にかかわる研究調査から、「大東亜戦争」の正当性にかかわる哲学的弁証まで、ありとあらゆる領域の学者を「国家有用」という観点から組織化しようとする試みがなされた。

(中略)

1943年に学術研究会議は従来の自然科学部門にくわえて人文科学部門を設置、45年初頭にはそれぞれの部門に研究動員委員会を設けた。法律学・政治学分野では穂積重遠、山田三良、南原繁、経済学分野では森荘三郎、神戸正雄、哲学・史学・文学分野では今井登志喜、和辻哲郎、矢野仁一など、戦後にも活躍する錚々たる学者が委員に名を連ねた。委員としての言動の質は具体的に見極めねばならないものの、敗色濃厚の戦争末期、「研究動員」という旗印のもとで学者を糾合する動向がつくられていたことは着目に値する。

(中略)

ひるがえって現在。文部科学省による国立大学法人への運営費交付金は年々削減されている。そのために正規職員はどんどん少なくなり、学生の授業料は私立大学にさほどひけをとらぬほど高騰し、教員の研究費は驚くほど減少している。教員にとっての頼みの綱は科研費を含む「外部資金」となるが、科研費総額は2012年度以降、ほとんど増えていない。人文系の学部については、その「整理」「廃止」さえもが取り沙汰されている。
(中略)

このような状況の中で、防衛装備庁「安全保障技術研究推進制度」なるものが2015年度から登場した。その予算は発足当初の約3億円から、今年度はおよそ110億円へと激増した。研究室維持のために藁にもすがりたくなる状況で目に前にぶら下げられたニンジンである。わかっていても…ということで、そのニンジンに手をのばしたくなる心情を否定することは困難である。とはいうものの、それがあからさまな誘導であることもまた確かである。何に向けての誘導か。「国家有用」の研究に向けての誘導である。しかも、何が「国家有用」かを決めるのは、研究者自身でなく、学会・学界の代表でもなく、防衛装備庁の委嘱した「外部専門家」である。そこには、きわめて狭く、近視眼的に考えられた「国家有用性」が、学問研究のあり方を左右する構図が見え隠れしている。

 戦争バブルに色めき立つ大学。それはさしあたって現在のことではないかもしれない。だが、近未来のことではあるかもしれない。政府によるあからさまな誘導に対して、研究領域を越えて、大学を越えて、「待った」をかけることが必要なのではないだろうか。

「京都大学新聞」(2017年5月16日)

FBページからとられました
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