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2017年05月31日22:36

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 【質問】 1987.10.1,ラサの騒擾は,どのようにして再燃したのか?

 【質問 kérdés】
 1987.10.1,ラサの騒擾は,どのようにして再燃したのか?

 【回答 válasz】
 目撃者の証言によれば,僧侶たちは再びバルコル広場の中を回り始めた.
 この行動の噂は事前に流布されており,チベット人たちも多くが一緒にバルコルを回り始めた.
 2周ほどしたときに軍隊や警察がやってきて,僧侶たちを逮捕しようとした.
 群衆は僧侶たちを守ろうとして,揉み合いの末に投石が始まり,警察はこれに対して無差別発砲で応えた.
 少なくとも数十人が虐殺されたと見られている.

 以下は目撃者証言より.
 インタビューアーは船戸与一.

------------
「9月27日から10月1日まで,ラサのチベット人は誰もが中国政府の呼び出しで集会に参加させられた.
 まず中国語で演説が始まり,チベット語に通訳されるんだ.
『僧侶が何をしても見に行くな! 集まるな! それから絶対に参加するな!』
 これが繰り返された.
 しかし,10月1日にセラ寺院(ラサの三大寺院の一つ)から47名の僧侶がバス2台に乗ってやってきたときは,もう事前にチベット人の間ではその噂が流れてたんだよ.
 だから,ある意味では心の準備をして待っていた.
 そして,僧侶と一緒にバルコルの周りを回り始めた」

――バルコルの前に警察署がありますね?

「そう,バルコルを2回廻った時,警察の前にはバイク4台,後ろにジープ8台,その脇にある細い道にトラック8台が止まって,軍隊が待っていた.
 バルコルを廻ってる最中に,警察署の前で僧侶が捕まった.
 ラサの人間は誰もが僧侶を守ろうとした.
 9月27日に逮捕された人間がどうされたのか,全く分からなかったからね.
 警察が僧侶を捕らえようとして,警察署の建物に引きずり上げようとする.
 住民がそうはさせまいとして僧侶を引き下げようとする.
 2時間ぐらい,こんな状態が続いたよ.
 しかし結局,20名ほどの僧侶が警察に捕まった.
 そこでみんなは石を投げ始めた.
 もちろん私もね」

――石はどこにあったのですか?

「鉄の棒で石畳の中の石を掘り起こして投げた.
 石のないところでは,老人が他の場所から石を運んできていた.
 そしたら,警官が2階から銃を撃ち始めた.
 威嚇射撃なんかじゃない.
 私の目の前で二人が死んだ.
 一人は7歳の子供だった.
 腹の中から内臓が出てきた.
 もう一人は27,8歳の頭を撃ち抜かれた.
 私は2人をバルコルの階段のところに横たわらせた.
 負傷者は数知れない.
 しかしおかしなもので,最初,警官たちが発砲し始めた時,私は気づきもしなかった.
 肩を叩いて,気を付けろと教えてくれたのは外人の観光客だった.
 外国人はこのとき7人くらいいたと思う.
 私達と一緒になって石を投げた」

――そっちの武器は石だけ?

「火も使った.
 日本製の8台のジープをまず引っ繰り返して,漏れた油に火をつけた.
 二輪車4台も全部燃やした.
 警察署もガソリンを使って火をつけた.
 途中で火の勢いが弱くなったよ.
 そしたら,隣の小学校の生徒達が窓から机と椅子を投げてよこした.
 それを薪代わりにして警察署を燃やし始めた.
 よく燃えだしたよ.
 それで,中国人の警官と軍隊は,2階から屋根伝いに逃げ始めた.
 しかし逃げ出す前に,逮捕した僧侶たちの手を縛って,天井や柱,机などに括り付けた.
 焼き殺させるつもりだったんだ.
 けど,警官の中に一人チベット人がいた.
 そのチベット人警官が,僧侶たちを縛ってる縄をナイフで切って自由にした.
 僧侶たちはそれで焼け死なずに済んだわけだけど,そのチベット人警官は中国人警官にそれを見咎められて撃ち殺された.
 僧侶たちはあとで私たちに言ってたよ.
 あのチベット人警官がいなかったら,全員死んでたところだとね」

――(『チベット青年会議』のポスターを見せて)ここに火傷した僧侶がいますね?

「ああ,この僧侶だ.
 2人の僧侶が酷い火傷を負ってたけど,こっちの僧侶は右手が全部焼けていた.
 警察署から外に出た途端,人間の渦で足の踏み場もないから,私たちはこの僧侶を抱えあげて,頭上でパスさせながら小学校の窓のところまで運んだんだよ.
 そこから小学校の校内を通って病院に運ぶしかなかったからね」

――屋根伝いに逃げていった警官や軍隊は,それからどうしました?

「逃げていった隣のビルの屋根からまた鉄砲を撃ち始めた.
 私の目の前では4人死んだ.
 負傷者は数えきれない.
 気づいたら,別の建物の陰からも警官が銃を撃っていた.
 後はもう何が何だか訳の分からない状態が続いた」

――この日は結局,誰も逮捕はされなかったのですか?

「この日から2日間は中国側は静かなものだった.
 チベット人にとってあれほど自由な2日間はなかったな.
 軍隊にも石を投げてやった.
 中国人を見たらすぐ石を投げるんだ.
 2人ばかり死んだらしい,中国人がね」

――中国人の商店から商品を掠奪したりはしなかったですか?

「そんなことはまずできなかった.
 中国人の商店はドアを固く閉めて,こっちは中に入ることもできなかったから.
 商品には触れもしなかったよ」

――自由だったのは2日間だけ?

「そう,2日間は思い切り軍隊や警官に向かって石を投げたし,火をつけようと思ったら火もつけられたんだ.
 同じ気分のチベット人が集まったら,なんとなくそういうことになったし……」

――その自由な2日間に僧侶たちから何かの呼びかけは無かったですか?

「特には何もなかった」

------------「週刊ポスト」1988年1月,p.226
 【参考ページ Referencia Oldal】
http://www.tibethouse.jp/about/mainland/history/
http://www.sftjapan.org/nihongo:tibetancause
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51273254.html
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