mixiユーザー(id:52518783)

2017年05月27日03:49

418 view

『自由主義』と相容れない「人民民主主義独裁」思想!

米国の南シナ海政策、トランプ政権下でも変わらず=国務省高官
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=52&from=diary&id=4590606

世界暴力革命歌で国際テロを煽る!
http://m.youtube.com/watch?v=GvXBNnpHFDI&sns=gr
〔「続 毛沢東教育論」青木文庫〕
「われわれは,教条主義を批判するさいには,同時に修正主義にたいする批判に注意しなければならない.修正主義,あるいは右翼日和見主義は,一種のブルジョア思潮であり,それは教条主義よりもさらに大きな危険性をもっている.修正主義者,右翼日和見主義者も口先ではマルクス主義をとなえて「教条主義」を攻撃する.しかし,かれらが攻撃するのはマルクス主義のもっとも根本的なものである.かれらは,唯物論と弁証法に反対するかまたはそれを歪曲し,人民民主主義独裁に反対するかまたはそれを弱めようとくわだて,社会主義改造と社会主義建設に反対するかまたはそれを弱めようとくわだてている.わが国で社会主義革命が根本的に勝利したのちにも,社会の一部の人びとは資本主義制度を復活しようと夢みている.かれらは,思想面での闘争をふくめて,各方面から労働者階級と闘争しようとしている.そしてこの闘争で,修正主義者はかれらの最良の助手なのである」
「わが国人民の政治生活では,われわれの言論や行動の是非を,どのようにして判断すべきだろうか」
「(一)全国諸民族人民の団結に有利であって,人民を分裂させないこと
(二)社会主義改造と社会主義建設にとって有利であって,不利でないこと
(三)人民民主主義独裁の強化に有利であって,その独裁を破壊したり弱めたりしないこと
(四)民主集中制の強化に有利であって,その制度を破壊したり弱めたりしないこと
(五)共産党の指導を強化するのに有利であって,その指導からはなれたり,その指導を弱めたりしないこと
(六)社会主義の国際的団結および全世界の平和愛好人民の国際的団結に有利であって,その団結をそこなわないこと」
「たとえば,マルクス主義の基本的観点の一つは,存在が意識を決定し,階級闘争と民族闘争の客観的現実がわれわれの思想感情を決定するということである.しかし,一部の同志は,この問題をさかだちさせ,あらゆるものは「愛」から出発すべきだなどといっている.愛についていえば,階級社会では,階級的な愛だけなのに,これらの同志は,なにか超階級的な愛とか,抽象的な愛とか,ないしは,抽象的な自由とか,抽象的な真理とか,抽象的な人間性といったものを追究しようとするのである」

「赤魔根絶」
http://m.youtube.com/watch?sns=gr&v=VD9JOUK_LAs
「毛沢東はロシアへの食糧輸出で原子力や核兵器に関わる産業(技術)を購入し,それが原因で1958年から61年にかけて,3,800万人もの人々が飢えに苦しみ」「飢饉が起きたとされている」
「『中国人民の半分が死ななければならないことだって考えられる』
と言っているように,起きている事態については精確に了解している」
「これは,そのもっとも根源的な意味における,道具主義的態度である」
「目的を実現するための無慈悲な試みの一部としての殺人.人々を使い捨て可能な手段(非耐久消費財)へ還元してしまうこの姿勢」
「粗野な進化論に憑き纏うこうした『悪無限』の概念的帰結は,毛沢東に一貫する,普遍的な弁証法的法則としての『否定の否定』の拒絶である」
〈哲学問題に関する講話〉
『弁証法の生命とは,不断に逆の側面へとあゆむことである.人類もやがては終末の日を迎えるであろう』(シジェク「ロベスピエール/毛沢東」河出文庫)
虐殺国家!
http://m.youtube.com/watch?v=p6qCezxiHPM&sns=gr
「いくつかの推定によれば,一九二七年から一九三一年のあいだに江西省だけで,戦闘によらない犠牲者を一八万六○○○人も出したのである.その大半は,ほとんど即時実施された急進的な土地改革,重税,軍事的必要によってのみ正当化されうる青年の動員などへの抵抗から来たものだった」
「住民のいだいた嫌悪感はきわめて根強かったので,共産主義が特にラジカルだった所(一九三一年以降,毛沢東は住民を遠ざけるような行き過ぎたテロリズムのかどで批判され,一時的に指導力を失った)や,地元出身の幹部が脇役に追いやられた所(たとえば,ソビエトの「首都」,瑞金周辺など)では,南京軍の攻勢にたいしてもわずかな抵抗しかできないほどだった」
「農民に課せられた税の負担は恐るべきものだった.一九四一年には収穫の三五%が天引きされたが,これは国民党が保持する地域での四倍に相当した.村人たちは公然と,毛沢東の死さえ望むようになった…党は抑圧を加えたが,譲歩もせざるをえなかった.すなわち-大規模に,しかし密かに―阿片の栽培と輸出を行ったのだ.これにより,一九四五年まで,基地の公的収入の二六-四○%が賄われることになる」(クルトワ「共産主義黒書」恵雅堂出版)

旧ソ連系『反ファシズム』
http://m.youtube.com/watch?v=VD9JOUK_LAs&sns=gr
「子供たちは教師や親を密告するように仕むけられます.だれがいちばん早く自分の親の考えを変えることができるか,そのためのコンクールが開催されます」
「《このような特徴は,ほかのいかなる国家よりも,ロシヤにおいてきわだっています.》」
「インターナショナリズムがナショナリズムに変容するのです」
「《完全な犠牲》,倫理的意識のそれさえもが求められます」
「それにしても,《だれのための犠牲なのでしょうか? 最初は「労働者階級のため」だと言われましたが,いまでは国家のためなのです》」
「献身と自己犠牲の道徳です.しかもそれは,享楽に関してばかりではなく,心のやすらぎについても求められるのです.先頭に立つものでさえ,奢侈を追わず力を追いもとめます」
「ロシヤでは,《瞞着》と《狂信》に加えて《工業化》が進行しております」
「このような国家は最悪の国家です」(シモーヌ・ウ゛ェーユ「ウ゛ェーユの哲学講義」ちくま学芸文庫)
「今日如何なる國においても,たとへヒットラーの獨逸においてすら,人間の精神がこのやうにまで不自由で,このやうにまで壓迫され,恐怖に脅えて,從属させられてゐる國があるだらうかと」
「いかにも獨裁はある.だが,それは唯だ一人の人間の獨裁であつて,結合したプロレタリア,即ちソウ゛ェトのそれではない」(アンドレ・ジイド「ソウ゛ェト旅行記」岩波文庫)
「それはいかなる《獣》,すなわち皇帝の支配にもまして多くの汝=すべからず式の禁止令をもっている」(デビッド・ハーバート・ロレンス「現代人は愛しうるか『黙示録論』」中公文庫)
「宇宙開闢論的見解や夢想や神秘説などを外にして,社会主義者らが提起する問題のすべては,二つの主要なる題目に帰結することができる.
第一 ― 富を作り出すこと.
第二 ― 富を分配すること」
「共産主義と土地均分法とは,第二の題目を解決するものと自ら信じている.しかしそれは誤った見解である.それらの分配は生産を殺すものである.平等な分有はついに競争を絶滅させ,その結果また労働を絶滅させる.それは分配物を殺す屠殺者によってなさるる分配である.ゆえにそれらのいわゆる解決に止まることは不可能である.富を殺すことは決して富を分配することではない」(ウ゛ィクトル・ユゴー「レ・ミゼラブル」岩波文庫)

「血の粛清」は人民戦線の末路!
http://m.youtube.com/watch?sns=gr&v=i-gmfQdSU8k
「ソウ゛ェト官僚は大衆を無制限に支配するために眠りこませたり,分裂させて無力にしたり,あからさまにだましたりするという大衆操作の経験を大量につんだ.そのことは認めてやらなければならない.しかしほかならぬその理由で官僚は,大衆を革命的に教育するという能力をあとかたもなく失った.自国で下層人民の自主性や創意を圧殺した官僚は当然ながら世界の舞台においても批判的思考と革命的気概を呼びおこすことがもはやできない」(トロツキー「裏切られた革命」岩波文庫)
「ロシアにおいては,地上的権力に対する勝利が完遂され,レニンを聖徒の頭とする聖徒政治が実現された」(デビッド・ハーバート・ロレンス「現代人は愛しうるか『黙示録論』」中公文庫)
「共産主義の原理は,プロレタリアートの独裁を樹立すること,過渡期に国家的強制を行使することにある」(「レーニン選集三巻」〈9〉国民文庫)
「過渡期の苦悩,貧苦,飢餓,荒廃がどんなに苦しくても,どんなことがあっても,われわれは落胆せずに,自分の事業を最後の勝利をおさめるまでおしすすめよう」(1921年10月14日『十月革命四周年によせて』前掲「レーニン選集三巻」)
「たしかにレニンは聖徒である.彼のうちには骨の髄まで聖徒の血が流れていた.今日,彼の聖徒として崇められていることも,まことにゆえあるかなである.しかしながら,人類の雄々しき権力をことごとく殺戮せんと企てる聖徒は,あたかもひわどりの美しい羽毛を片端から椀ぎ取ろうと欲した清教徒のごとく,悪魔でなくしてなんであろうか」
「はたせるかな,レニンの聖徒政治は実に戦慄すべきものと化した.それはいかなる《獣》,すなわち皇帝の支配にもまして多くの汝=すべからず式の禁止令をもっている.当然の宿命であった.いずれの聖徒政治も結果は怖るべきものたらざるをえないのだ.なぜか?人間の本性が元来聖なるものではないからである」
「レニン-あるいはシェレー,聖フランチェスコ-のごとき大聖は,みずから高く持する素朴な権力的自我に対して,ただ,アナテマ!アナテマ!(呪詛,破門)の叫びを浴せるばかりで,ひたすらあらゆる力と主権とを毀ち去り,群衆を貧しく,あくまで貧しく!陥れるよりほかに方法を知らなかったのである」(前掲「現代人は愛しうるか『黙示録論』」)
3 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する