mixiユーザー(id:5376428)

2017年05月18日23:14

219 view

「ムーンライト」 「ラ・ラ・ランド」

永いことご無沙汰しています。
映画は観てるんですが、
Twitter の140字では印象くらいしか書けないなぁ…
でもなかなか長いのを書けないから印象を書いておくのも意味あるよね…
等々、ぐずぐずどちらも書かない日が続いております。やれやれ。


アカデミー賞受賞作をいくつか観たので
それらのことなどつらつらと。



「ムーンライト」’16 (米)、未知の監督バリー・ジェンキンスはあの国のあの地域で生きる黒人男性がゲイであることの困難を 荒んだ町を画にすることで我々に提示するのだが、マッチョな身体に封印した“私”の震えるほどの寂寥に胸が冷たくなる。意志した孤独が解けこぼれる瞬間が銀幕に映る。

と呟いている。

お騒がせだった授賞式の作品賞だけでなく
脚色賞とマハーシャラ・アリに助演男優賞をもたらした作品は
主人公シャロンの心の軌跡が解放ではなく閉塞へ
さらには封印へと向かう非常に抑制された語りであることに驚く。
少年シャロンが憩う唯一の父性がドラックの売人フアンで
彼の“男らしさ”を外殻として継承するかのように纏い
マイアミの荒んだ街区で自身を封印して生きる青年シャロンの物語が
息苦しいほど静謐に語られるのだ。
鍛えたたくましい肉体も 高価な時計もイヤラしい歯も これ見よがしな車も
シャロンの気の遠くなりそうな孤独を秘匿する堅牢な鎧であって、
そうしなければ生きて行けない彼と彼の暮らす彼の地の特性が
静かなしずかな画になっているのだった。
鎧から出て来るシャロンの慄きが
ラストをあの日のムーンライトで満たす―
そこを観る映画なのだ。



「ラ・ラ・ランド」’16 (米)、デイミアン・チャゼルが見せたいのは黄金期のミュージカルたちへのオマージュではなく、疲弊し絶望しながらそれでも成功を摑むためにすべてを犠牲にセーヌに飛び込む夢追い人の 已むに已まれぬ欲望であるのだろう。その厄介な人間への共感と嫌悪は「セッション」と同じだ。

と呟いている。

ステキな恋愛物語を読み
往年のミュージカルシーン探しで映画教養を培い
ハリウッドらしい映画を観た―と安心する観客のこちらで、
これは夢の成就がいかにジタバタとはしたなく情けない
私と私の未知の才能と向き合い続ける行為であるか―を
エマ・ストーンの成功譚で語っていて、
幾多のライアン・ゴスリングを糧として
たった一人のエマ・ストーンが成り上がるその過程を
極上の恋愛映画に設えているのだ。
だからエマ・ストーンの成功は寿がれていず
夢を叶えることなく退場して行く幾多のライアン・ゴスリングの
寂しい鬱屈が見せる“あり得たかもしれないもう一つのストーリー”に
涙ではなく寂しい諦念を読んで、
成功者の陰で彼らの肥やしとなって消えて行く者たちを思い
「セッション」の淘汰を思い出したりするのだ。



続きます。次は「マンチェスター・バイ・ザ・シー」と
受賞を逃したノミネート作品いくつかについて喋りたいかな。
4 8

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する