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2017年05月13日19:32

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 【質問】 金天海とは?(下書き)

 【質問 kérdés】
 金天海とは?
Ki az Kim Chon-hae?

 【回答 válasz】
 金天海 김천해 (1898〜1975?)は共産党活動家であり,在日朝鮮人運動の指導者.

 本名を金鶴儀と言い,慶尚南道(キョンサンナムド)の蔚山(ウルサン)に生まれる.
 一人っ子だった彼は梁山の通度寺に預けられ,仏道の修行を行ない,「天海」という僧名を与えられる.
 1916年,京城の仏教学校・京城中央学林に入学.
 京城中央学林卒業後,慶尚南道蔚山郡に帰り,夜間学校の教師をしていたが,1920年冬,朴広海へのまたいとこからの紹介状と,密教系大学への朝鮮仏教会からの推薦状を持参して渡日.

 しかし共産主義に感化され,1922年,東京朝鮮労働同盟会結成.
 1925年,在日本朝鮮労働総同盟(略称,在日本朝鮮労総.最大時に盟員4万)の結成に参加し,委員長となる.
 1928年,第四次朝鮮共産党日本総局の責任秘書となったが,同年8月29日の国恥記念闘争に関連して,同志36名とともに検挙され,懲役6年.
 1935年,出所.
 東京で刊行されていた《朝鮮新聞》の確立,発展に努めたが,人民戦線運動に関連したとして再び検挙され,懲役4年.
 1942年9月,刑期が満了したが,共産主義からの転向を拒否していたため,治安維持法に基づく予防拘禁制度により,東京・豊多摩刑務所の東京予防拘禁所に送致.

 1945年10月,徳田球一,黒木重徳,志賀義雄,山辺健太郎らとともに出獄.
 非転向者として戦後,日本共産党の中央委員,政治局員,朝鮮人部長に就任し,全国を遊説して朝鮮人を大量入党させた.
 また,在日本朝鮮人連盟創立に参加して最高顧問に推される.

 1949年,GHQ命令により連盟解散,公職追放.
 1950年5月,すなわち朝鮮戦争勃発の約1ヶ月前に北韓に帰国.
 1952年頃,金日成から,対日工作のための連絡部長となるよう金天海は命令される.
 以下,朴甲東『北朝鮮 哀しい断末魔』(2003)より引用.

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 1952年,私は北朝鮮労働党連絡部長・金天海(キムチョンヘイ)の自宅を訪ねたことがあった.
 金天海は日本でもよく知られているように,終戦後,合法化された日本共産党の中央政治委員であった人物である.
 彼は1950年5月,朝鮮戦争勃発の約1ヶ月前に北朝鮮へ行っていた.
 彼は北朝鮮に行って,元南朝鮮民主女性同盟の幹部だった女性と結婚していた.
 その女性は南労党当時,私の部下だったので,ある日,訪ねていって昼食をご馳走になったのだ.

 その昼食の時,酒を飲みながら金天海は私とこういう会話をした.
「朴同志,困ったよ.
 金日成は対日工作をするために,私に連絡部長をやれというんだよ.
 南朝鮮を併合するには,どうしても日本工作が必要だからね」
「対日工作とはどういうことですか」
「それが難しいことばかりだよ.
 新編の日本軍と国会議員を包摂せよとのことだよ.
 それに朝鮮人連合会を再編して,工作員と資金をつくれというのだよ.」
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 1956年以後,金天海は朝鮮労働党,最高人民会議,祖国統一民主主義戦線,祖国平和統一委員会等の役職についたが,1970年代以降,消息不明.
 中国に亡命した元政治犯・黄龍水(ファン・ヨンス)の証言によれば,金天海は1960年代後半に勝湖里(スンホリ)強制収容所に収監され,1975年頃に栄養失調で死亡したという.
 老齢で歯の抜けた金天海に,収容所当局は規則通りの混合飯(トウモロコシ60%,大豆30%,米10%)しか与えず,粥にして柔らかくするといった措置すら取らず,金天海は衰弱,餓死した――と黄龍水は述べている.
 他の多くの在日朝鮮人指導者も強制収容所送りにされており,編者が想像するに「成分」チェックに引っかかったと思われる.
 北韓では在日朝鮮人であること自体が罪なのだ.

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この北朝鮮行きの過程で偶然出会った,今では老人になっている在日朝鮮人たちの反応が印象的だった.
 その一人,たまたま知り合った大阪のAさんは,
「何しに来たに行くんですか」
の問いに,私が
「金天海の墓参りですよ」
と答えた途端,飲んでいたコーヒーのカップを取り落とし,ワイシャツを茶色のしみで染めてしまった.
「えっ! 共和国はそれを許したんですか」
 そういうわけではないことを知って,彼はがっかりしたようだったが,金天海の思い出を様々に語ってくれた.
 彼の中で人間・金天海は生き生きと脈動していた.
 そしてAさんは,彼なりの未来への覚悟を持って,組織の一員としてではなく自分個人としてのやり方で祖国に貢献する活動をしている.
 これが歴史というものである.

------------宮崎学『不逞者』(角川春樹事務所,1998),p.342

 【参考ページ Referencia Oldal】
宮崎学『不逞者』(角川春樹事務所,1998),p.161-343
https://kotobank.jp/word/金天海
http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-728.html
http://newsnoma.blog.fc2.com/blog-entry-1198.html

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