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2017年05月02日10:34

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゚Д゚) < Kandukondain Kandukondain (見つけたよ、見つけたの)

 さて、東京では4/30から始まってる南インド映画祭、今日も今日とて参戦予定ですが、明日はデザフェスの荷造りがあるし、明後日以降は土日返上で働き詰めだしで、おそらく今日が個人的最終日になりそ。
 インド映画ファンの間では大盛り上がりで、普段南インド映画見ない北インド映画ファンも「なんかスゴいね! 最近のボリウッドにはない面白さが詰まってるよ」と大絶賛なのが良きかな。ここまで面白いんだから、もうちょっと世間的にも話題になってほしいなあ…と思う反面、そこまで大きな映画館でもないので初日みたいに満席レベルに人が集まると入れなくなりそうだから話題にならないままがいいかなあ…とかとか、邪な思いも顔をもたげてくるのですよフォッフォッフォ。
https://www.facebook.com/siffj.jp/
http://siffj.jp/schedule.html

 まあ、なにはともかく、この連休&以降の5月を無事健康で過ごせますように…。
 と、健康を祈った所で、"見ると元気になる"インド映画をご紹介〜。






Kandukondain Kandukondain (見つけたよ、見つけたの) 2000年 158分
主演 タッブー & アイシュワリヤー・ラーイ
監督/脚本/撮影監督 ラジーヴ・メノン
"愛は、人の心を変えると言う…でもそれは、誰にも見えないものなんだ"

ファンメイド予告編?

https://www.youtube.com/watch?v=IXLQ0yX2dG0

 タミル・ナードゥ州カライクディ自治区プーングリ村の地主の娘ソーミヤーとミーナクシー(通称ミーヌー)姉妹はお年頃。音楽と舞踊にかまける情熱的な妹ミーヌーに対し、村の小学校校長のソーミヤーは母に急かされてのお見合いで、占星術師から"不吉な星"生まれと言われ続けて婚約破談の連続。寝たきりの祖父チャンドラセーカルの世話もあって母娘は疲弊し始めていた…。

 ある日、お邸の撮影許可を求めてやって来た米国生まれの助監督マノハールを、新たな見合い相手と誤解したソーミヤーは最初こそ拒絶するもだんだん彼と打ち解けていく。しかし、ソーミヤーは自分の"不吉な星"を気にして今一歩を踏み出せず、マノハールも彼女が選んでくれたタイトルでの監督作を世に出すまでは結婚しないと決めていた。
 その一方で、酒の席でミーヌーに諌められた花園経営者の片足の退役軍人バラ少佐は、自身を反省すると共に音楽を学ぶ彼女の手助けして行く中で彼女を愛するようになっていく。
 だが、当のミーヌーは、雨の日の河で出会った青年実業家シュリカーントと一気に恋に落ちてしまい、一方では、マノハールの監督デビュー作には暗礁の数々が…。

 そんなある日、姉妹の祖父が急逝。その遺書によって家財全てが別居していた伯父夫婦のものになってしまう。母娘たちは伯父夫婦から使用人同然に扱われ、ついには屋敷を追われマドラス(=チェンナイの別名)へと引っ越す事に…。

挿入歌 Konjum Mainakkale (さえずる九官鳥よ [私の声を聞いて集まっておいで])

https://www.youtube.com/watch?v=zAvqNostDM8
*姉のお見合いを前に、まだ見ぬ姉の幸せな結婚を夢想するミーヌーの図と、そんなミーヌーが育ったタミルののどかでメルヘン的な田園風景の数々を魅せるファースト・ミュージカルシーン!

挿入歌 Kanamoochi (何故、かくれんぼしてるの?)

https://www.youtube.com/watch?v=X8Y5UCEbNuM


わーい(嬉しい顔) タイトルは、むんむん様にお教え頂いた所、タミル語(南インド タミル・ナードゥ州の公用語)で「(愛する人をついに)見つけた、見つけた」(お教え頂きありがとうございます!)。
 ジェーン・オースティンの小説「分別と多感 (別訳「知性と感性」。米英合作映画化された時の邦題は「いつか晴れた日に」)」の現代インド翻案映画。後にテルグ語吹替版「Priyuraalu Pilichindi」も公開。英語字幕版でデリーやムンバイを始め、ロンドン等海外の映画祭でも上映されて評判を呼んだと言う。
 もともとは1999年公開予定だったものの、諸般の事情により公開日時が延び延びになってしまったとかなんとか。

 冒頭、いきなりのカールギル戦争のシーンから始まって「あれ? これってオースティンものじゃなかったっけ?」と心配していると、タイトルロール後にマノハール(原作におけるエドワードに相当)の近況シーンから話は始まり「これって男側が主人公なのか!」とさらに不安になってくる頃にようやっと舞台が整って(この間、約8分)、満を持してタッブー&アイシュ演じる主人公姉妹の登場シーンへと移行する。この意図的な焦らし方ったら!
 最初の戦闘シーンはバラ少佐が足を負傷した経緯を、次のマノハールのシークエンスは、エリートお坊ちゃんだった彼が家を飛び出て単身映画界で奮闘している様を説明するシーンとして費やされ、物語の背景や発端から饒舌に語らないではいられないインド人気質を見せつけられるよう。姉妹が家を追い出されるきっかけになる遺産相続の遺書に関しても、寝たきりで口も聞けなくなった祖父を通してそれなりに経緯がフォローがされている所はさすが(言及はされなくとも、遺書を書き換えたかったのに、誰もそれに気づかなかった事がわかるのがウマい!!)。

 そうした丹念に描写される姉妹たちを取巻く状況と恋愛劇の、話のおおまかな流れは原作を踏襲している映画になっているけれど、より大きな違いは姉妹たちの社会的自立を物語のメインに持って来ている所。
 物語開始時点で、(おそらくは村の私設)小学校の校長として働くソーミヤーは、すでに社会人としてそれなりに経験と技術を身につけていたようだけど、それでも母親から"よき妻よき母"になる事を期待され、それを無碍に出来ないでいる。しかし、マドラスに引っ越してからは自分が家計を支えるのだと今までのキャリアを捨てて新たな仕事を得ようと就職活動を始めていくようになり、さらには就職した会社内でスタッフの手伝いをしながらその能力を発揮してより高給取りの仕事を任されるまでになっていく。そして、そうなればなるほど結婚から遠ざかって行く事を自覚し母親とマノハールに気兼ねしながら、どうせ自分は疫病神だからと自己卑下を重ねながら、それでいいとハッキリ決意して自分の人生を歩んで行こうとする。
 一方の妹ミーヌーは、最初こそ自分の人生は自分の好きに生きていくと語るお嬢様だったのが、バラ少佐の協力によって自分の夢「古典音楽に精通した歌手」としての技術を身につけ、シュリカーントとの恋愛劇もそこそこに、マドラスにてその技術を認められて舞踏教室指導員やコーラス歌手活動を始めて行くようになる。
 マノハールの映画監督就任共々、姉妹たちの活躍がうまく行き過ぎだろ、ってツッコミも出来なくはないけれど、地主階級として不労所得者たちの物語だった原作に対して、女性の社会的自立、女性の社会進出と言う要素を加えて来た本作は、より物語の今日的な面を強調していて注目所ではある。ま、ラストはわりと駆け足気味に原作恋愛劇をアレンジしていくわけですが…。

 監督を務めたラジーヴ・メノンは、1963年ケーララ州コーチン(現コーチ)生まれの撮影監督兼映画監督。父親は海軍士官。母親はタミル語・マラヤーラム語映画で活躍する歌手カルヤーニー・メノン。
 チェンナイの映画学校で撮影技術を学び、80年代から広告撮影やTVCMで大活躍。友人のA・R・ラフマーン(本作でも、ちょい役でゲスト出演!)と共に様々なCMを手掛けた後、91年のテルグ語映画「Chaithanya」で撮影監督デビュー。続く95年のマニ・ラトナム監督によるタミル語映画「ボンベイ(Bombay)」で一躍脚光を浴び、97年には監督・原案・脚本を手掛けたタミル語映画「Minsara Kanavu(電撃的な夢)」で監督デビュー。翌98年には、マラヤーラム語映画「Harikrishnans(ハリクリシュナンたち)」に出演したのを挟んで、00年に本作で2本目の監督作を発表して、フィルムフェア・サウスから監督賞を授与されている。その後も、英語+テルグ語映画「Morning Raga」、マニ・ラトナム監督作「Guru(グル)」「Kadal(海)」などで撮影監督として活躍中。
 さらに、映像機器供給のためのラジーヴ・メノン・プロダクションやマインドスクリーン・フィルム協会を設立。経済誌に取り上げられるほどの成績を上げているとか。

 主人公姉妹の姉ソーミヤーを演じたタッブー(本名タバッスム・ファティマ・ハーシュミー)は、1971年ハイデラバード生まれ。子役を経て91年のテルグ語映画「Coolie No. 1」で本格的に映画デビュー。数々の映画賞受賞歴を持ち、11年には国からパドマ・シュリー賞(一般国民に与えられる4番目に権威ある国家栄典)を授与されている演技派女優である。タミル語映画出演は本作で4本目(ただし、本作では声は女優レーヴァティーの吹替)。
 妹ミーヌー役には、94年度ミス・ワールドのアイシュワリヤー・ラーイ。1973年マンガロール生まれで、97年にタミル語映画「ザ・デュオ(Iruvar)」、ヒンディー語映画「Aur Pyaar Ho Gaya(そして愛は生まれた)」で映画デビュー。タミル語映画では、98年の「ジーンズ(Jeans)」を挿んで本作が3本目の出演となる。なんでも、ヒンディー語映画界での人気の高まりで超多忙の中、大ファンのラジーヴ・メノンの監督作と聞くや出演を快諾したとかなんとか(最初ミーヌー役は、サウンダリヤーにオファーしてたらしい)。
 クレジットでは一番最初に登場するバラ少佐役のマンムーティ(生誕名 ムハンマド・クッティ・イスマーイール)は、1951年ケーララ州コッタヤム県チェンプ村近郊のムスリム農家生まれ。71年のマラヤーラム語映画「Anubhavangal Paalichakal」にノンクレジット出演して、73年に「Kaalachakram」でクレジットデビュー。マラヤーラム語映画を始め、タミル語、ヒンディー語、テルグ語、カンナダ語、英語映画でも活躍。俳優の他プロデューサーとしても活躍して、98年には国からパドマ・シュリーを授与されている。
 助監督から映画監督を目指すマノハール役を演じたのは、1971年ハイデラバード生まれのアジット・クマール。ケーララ人の父とコルカタ出身のシンド系(シンディー語を母語とする、シンド地方[現パキスタンのシンド州]から派生したコミュニティ)の母との間に生まれ、自動車整備士、バイクレーサー、広告業を掛け持ちでこなしていく中で広告モデルの経験から映画界入り。90年のタミル語映画「En Veedu En Kanavar(我が家、我が夫)」にノンクレジット出演した後、93年に「Amaravathi」でクレジット&主演デビュー。主にタミル語映画界で活躍している(本作では、声はタミルスター ヴィクラムの吹替)。

挿入歌 Enna Solla Pogirai (どこへ行くのか、教えてくれないか?)

https://www.youtube.com/watch?v=2BQ6uMSBw1U
*監督作を完成させるまではソーミヤーに結婚申し込みはしない、と決めていたマノハールが、それでも周りにうながされて彼女を前に愛をささやくうち、2人の共有妄想ははるかエジプトの彼方を幻視する…。
 なんでも、撮影時にはその滞在スケジュールの延長と強烈な熱気で、何人も体調不良で倒れたシーンだとかなんとか。

挿入歌 Kandukondain Kandukondain (見つけた、見つけた)

https://www.youtube.com/watch?v=YJC2pg-D-_o
*ロケ地は、スコットランドはハイランド地方ドーミーのロング湖畔、アイリーン・ドナン城。
 ミーヌーとスリカーント(原作のマリアンとウィロビーに相当)の愛に落ちて行く様を表現するミュージカルシーン。


受賞歴
2001 National Film Awards 男性プレイバックシンガー賞(シャンカル・マハデーヴァン/Enna Solla Pogirai)
2001 Filmfare Awards South タミル映画作品賞・タミル映画監督賞
2001 Cinema Express Awards 作品賞



・本作の監督ラジーヴ・メノンが、撮影監督として大きく注目されたマニ・ラトナム監督作「ボンベイ(Bombay)」はこちら
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1957297337&owner_id=3570727

・同じく撮影監督ラジーヴ・メノン&監督マニ・ラトナムのヒンディー語映画「Guru(グル)」はこちら
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1796872351&owner_id=3570727

・本作のヒロインの1人ミーヌーを演じたアイシュワリヤー・ラーイの、映画デビュー作「ザ・デュオ(Iruvar)」はこちら
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1942378183&owner_id=3570727


・Kandukondain Kandukondainを一言で斬る!
「バラ少佐の負傷した足、シーンによって長さがずいぶん違う気が…(普通に杖なしで歩けてるし)」
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