素人落語の事しか日記には書きませんので、
僕には、それ以外にネタもないということでしょうか。
恥ずかしながらありませんなぁ。ひじょうに間抜けでございます。
「みんなの日記」を読んでいると、時事問題のような内容も多く、
凄いなあとも感じますが、中には意見の食い違いで、
言い争い一歩手前のような、危険な空気を感じるやりとりもありました。
ちょっと怖いですな。
気の小さな僕は、そういった事は極力避けたいですね。
自分の思った事や感じた事を、こうして文章に書くのが、単純に好きなのです。
始めて落語大会(2013年11月 第三回 落語国際大会IN千葉)に出た時、
こんなにも落語好きな人がいるんだ!と、感じて驚きました。
他の演者さんに向かって「結構落語演る人っているんですねぇ〜。」
と言ってみたところ、皮肉っぽく聞こえてしまったのか、
「何言ってるんですか。大勢いますよ!」と、
少し強めの口調で言われてしまったのを覚えています。
僕は学生時代に、軽音楽と演劇をやっていたので、
特に演劇は好きで、一緒にやっていた仲間もとても良かったこともあり、
社会人になっても出来ればなぁ。と考えていました。
しかし、仕事を終えて練習場などに集まらなければならない演劇や、
スタジオに楽器を持っていかなければならない音楽は、とてもしんどい作業で、
仕事終わりで疲れている心身では、とても始める気にはなりませんでした。
そんな時、勤めていた有料老人ホームで、
落語の読み聞かせ(図書館で子供向けの落語の本を借りた)をやってみたのですが、
これがまた、入居者に滅茶苦茶褒めまくられまして、
やっぱり僕は、何かを演じるのは上手いんだなぁ。と図々しく感じていました。
在宅のケアマネジャーに転職後、デイサービスで、やはり読み聞かせをしました。
ただし、以前と異なるのは、着物着用でやってみたのです。
しかし、せっかく着物を着てみたところで、思いっきりカンニングしながらの落語では、
なんだか恥ずかしくなり、「これはきちんと覚えよう。」
と、ユーチューブの柳家喬太郎師の「時蕎麦」を聴いて(観て)みました。
そこであまりの面白さに衝撃を受けて、自分もしっかり覚えて演じようと決めました。
前述の落語大会も、出場した3回とも予選までですが、
3回目の昨年(2016年)の大会では、「もしかしたら。」と、決勝進出を夢見るようになりました。
夢見ることができたのは、それに向けて、数多くのボランティア落語をこなしたからでした。
職場に併設されているデイサービス林○館での、週1回の落語はもちろん。
日曜日にも自宅近くの高齢者施設にお願いをして、1度の高座で2つの噺をしました。
一緒に高座に上がるような、落語仲間はいませんが、
年に1度の落語大会の予選参加を目標に、楽しんでいます。
高齢者施設では、ボランティアの時間が30〜40分くらいなので、
10分強の噺を二つ演じると、休憩を挟んで、時間的にも丁度良いのです。
それ以上に長いと、利用者様も落語好きな方だけではないので、
かえって迷惑をかけてしまいます。
地元の高齢者施設のボランティア落語は、ずっと継続出来れば良いなあ。と思っています。
大会などの結果よりも、こういった活動に重きを置くのが、大切なのでしょう。
たくさんの噺をたくさん練習して、もっと上手くなり、大会でも評価される(つまり決勝進出)。
これが出来れば嬉しいです。本音でございますな。
1度だけでも決勝に残れれば、もうそれで満足って感じです。本音です。
でもあまり何かを目指し過ぎると、結果が出ないと辛くなってしまうのも悪い癖なので、
気を付けないといけません。自分の心理状態と冷静に向き合わないと。
楽しむことと、素直に好きでいられることが最善ですな。
行徳亭 林檎
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