僧侶であり陰陽師であり、呪術師だ。なかでも陰陽師は、律令国家において、正式な役所が設けられ、
国家にとっての吉凶を占い、大切な決断を左右する重要なアドバイスを行った。また、江戸幕府を開いた
徳川家康に、
天海という呪術を熟知した僧侶がブレーンとしてついていた。
じつはこうしたスタイルは、明治以降になってもあまり変わっていない。
明治維新によって日本は「文明開化」を迎えたが、政治の本質は変わりようがないからだ。
その代表が、明治政府の立役者である伊藤博文だ。日本国の初代総理大臣として知られる伊藤には、
高島嘉右衛門という呪術的ブレーンがいた。「高島暦」という易をご存じだろう。その創始者である。
もともと高島は横浜で成功した事業家でもあったが、事業の関係で多くの政治的指導者と知り合い、さまざまなアドバイスを行うようになったのだ。
たとえば
日清戦争開戦は、高島の勧めによって伊藤が決断したといわれている。
また、日露戦争直前には、政治家たちが高島のもとを訪れ、勝敗の鍵となる連合艦隊の司令長官をだれにするべきか、相談している。
そして最終的には高島の易で、人事が決められたのだ。ちなみにこのとき、高島が推したのが東郷平八郎海軍大将だった。
彼が日本海海戦でロシア艦隊を撃破したことは、説明の必要はないだろう。
ちなみに高島は、伊藤博文の
暗殺も『予言
』したといわれている。
伊藤が満州のハルピンを訪れる直前、伊藤に「急病」になるように進言したというのだ。国のためならこの身を捧げてもいいといって旅だった伊藤に高島は、
『艮』や『山』といった文字が入った名前の人物は、決して近づかないようにと助言した。
伊藤はこの旅で、暗殺
される。
犯人は安重根(アンジュングン)。名前に『艮(うしとら)』の文字が入っていたのだ。
現代社会になっても、政治家と呪術師の関係は極めて
密接だ。
伊藤以外にも、政治家・実業家が
占師や霊媒のもとに足しげく通ったという話はそれこそ無数にある。
昭和30〜40年代にかけては、藤田小女姫(ふじたこととめ)という霊感占い
師が、総理大臣の岸信介、福田利夫、パナソニックの創業者である松下幸之助らを顧客として、
財をなしたといわれている。
月刊ム−3月号より転載
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