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2017年03月13日20:55

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仙台旅行記2017・午前の部

土曜日に2年半ぶりに仙台を旅してきました。仙台には諸事情により一時期立て続けに足を運んでいましたが、気が付けばこの10年で6回目です。
今回は現地で開催されるfacebookで募集していた「東京スリバチ学会」、「青葉山・八木山フットパスの会」、「たびむすび」等共催の渓谷散策と街歩きのイベントへの参加が目的でしたが、連休が取れなかったため金曜の夜に出発して日曜の朝に帰ってくるという往復夜行の弾丸行程でした。
まずは金曜の夜23:40に東京駅八重洲口鍛冶橋駐車場のバスターミナルを出発。交通費を極力抑えるために安い4列シートのバスにしましたが、乗車時に係員に案内された「2列目中央」の席は何故か3列シート。しかも隣に西野カナ系な人がいました(汗)。ラッキーと思いましたが、後から別の客が来て「間違えている」と指摘され再度係員に確認したら、2列目ではなく1列目の中央でした。座席表を見せずに口頭だけで言うのはどうかと思いますし、そもそも間違った席を案内してはいけませんよね。まるで私が間違えたかのように言われて、恥をかかされました(怒)。
また、1列目の中央は入口入ってすぐの席なので、乗降中は足を伸ばせないというのも問題で、途中のトイレ休憩で止まるたびにトイレに行かなくとも起きていないといけない状態でした。おまけにトイレ休憩から戻ってきた人が、入口の段差で躓いてこけて私を目がけて倒れてくる事態もありました。ほとんどのバスだと中央最前列はもう少し後ろに席があって前に仕切りが付いているのですが、このバスはないのですよね。
そんなわけで、せっかくの3列シートなのにゆっくり寛げないまま、6:20頃に仙台駅東口に到着。
到着すると、予報通り青空が見えていましたが雪もちらついていて、しかも薄く積もっていてびっくり。当然ながらかなり寒かったです。
まずは休憩のために駅前のネットカフェに立ち寄りました。初めて入ったときは、仙台に来ない限り利用しないのに会員登録なんてと思っていたのですが、首都圏だと竹ノ塚と八潮にあると言われたので会員登録。初回利用時はなかったのですが、今は秋葉原にも店ができました。その後は仙台に来るたびに朝の休憩で立ち寄り、むしろ実家に近い竹ノ塚店よりも利用頻度は高いかと思います。
また以前はなかったと思うのですが、7:00にモーニングバイキングがあり、食パンとマーガリンが出たので腹ごしらえもできました。

フォト

ネットカフェで休憩後は開業から1年強が経過した地下鉄東西線に乗車。
東西線開通後に仙台に来たのは初めてで、前回は導入されていなかったICカードが使えるようになったり、駅のナンバリングが導入されたりと(いずれも日本の地下鉄では最後の導入でした)仙台の地下鉄も変わりましたね。
ラインカラーとナンバリング表記のデザインは東京のものと酷似していますが、「N10」は東京だと南北線飯田橋駅、「T07」は東西線九段下駅で、東西線の駅があと1つずれて「T06」になっていれば、番号が東京の東西線・南北線接続駅である飯田橋駅と完全一致になって面白いのにと思いました。
今回は地下鉄での移動が数回ある予定なので、620円の1日乗車券を買って乗車。まずは東西線で荒井に向かいました。
東西線の車両は伊達政宗の兜をイメージしたデザインの2000系で、都営大江戸線や横浜市営地下鉄グリーンラインと同様のリニアモーター方式の小型車両です。
車内は、連結面の扉周りの雰囲気や車内放送の声や警笛の音が東京メトロと同じで、仙台に来た雰囲気がまるで感じられないのが面白いです。
ただし、南北線とも共通の丸い窓や地元の店の広告があることで、辛うじて仙台にいることを実感できるかもしれません。
10数分で荒井駅に到着し地上に出ましたが、新しい地下鉄の割にはホームが浅く、エスカレーター1本で地上に出られるのは意外でした。
また、開業前は住宅が少ない場所だったと容易に想像がつく場所ではありますが、地上に出て最初に目に入った風景はビニールハウスでした。
開業からまだ1年強ということもあってか駅前に店はなく、大部分は空き地かまだ建設中の建物ばかりでしたが、開業から10年程度で地図が塗り替えられるような変貌をした場所が多いつくばエクスプレス沿線などのように、次にここを訪れたときは風景が変わっている可能性が高そうです。
また、仙台市若林区は東日本大震災で特に被害の大きかった場所であり、駅に併設して被災状況を後世に伝えることを目的とした展示施設「せんだい3・11メモリアル交流館」があり、駅前ロータリーには同じく被災を後世に伝えるべく「浪分櫻」が植樹されています。
その後は途中駅での寄り道も考えていたのですが、寄り道をしていたら集合時間に間に合わなくなる恐れもあるので東西線でそのまま集合場所の八木山動物公園駅に向かうことにしました。
東西線の東側はあまり人のいないイメージを持っていたのですが、思っていたよりも乗客は多く、次の六丁の目からは立ち客多数という盛況ぶりでした。
多くは市中心部の駅(仙台〜大町西公園)で下車し、そこから先は客もまばらになりました。大町西公園を出ると地上に出て広瀬川を渡りますが、川を渡るとすぐに地下に入り国際センターに到着。
広瀬川や河原の公園というと、頻繁に通い始めた頃の10年前の4月に見た河原の桜や怖いお姉さんを(以下略)
この先は山の中に入って行くのに伴い、地下鉄も高度をどんどん上げていくのですが、先頭の窓から見ているとトンネルの先が連続した急勾配になっていて、まるで屋内ジェットコースターのようでした。
どんどん高度を上げたかと思ったら終点の手前で一瞬だけ地上に出て橋を渡り(これが午前散策の竜の口渓谷)、八木山動物公園に到着。東西線は川を渡る2ヶ所だけ地上に出ますが地上駅はありません。また、ここは軌条面の標高が136.4mで、日本一標高の高い地下鉄駅です。
そして、駅屋上の「八木山てっぺんひろば」に行くと、市街地ではうっすら程度だった雪がさらに積もっていてびっくり。
ここで午前の散歩の集合となりました。
今回の散策は午前は竜の口渓谷を歩く企画で、まずはてっぺん広場から見える鹿除土手を眺めながら駅を出発して、八木山動物公園の入口横を通って山道に入りました。
ここは枯れ葉で覆われていることもあってパッと見道があると気付かない人も多そうな場所でしたが、森林の中に道が張り巡らされていて昭和30年代までは八木山と対岸の青葉山を行き来する人が日常的にいたそうです。藩政時代は仙台城の御裏林とされて一般人の立ち入りは禁止されていたそうですが、森林を管理するための道として使われていたそうです。
渓谷に下りるまでは坂を延々と下りますが、ここはクジラ化石が発掘された際にブルドーザーで引き上げたことから「クジラ坂」と呼ばれているそうです。

フォト

途中は白い岩肌の地層があちこちに見られましたが、これは広瀬川凝灰岩層で約350万年前の火砕流で堆積したものだそうです。350万年前だと日本列島の形はまだ完成していなく、猿人はいたけど現在の人類に相当するものはまだ登場していなかった時代らしいです。この火砕流を引き起こした火山の場所については今のところ明確に分かっていないようで、現在の七ツ森付近とも蔵王付近とも言われていて諸説あるようです。
また、凝灰岩層の中にところどころ黒いものが混ざっているのですが、それらは火砕流で埋もれて蒸し焼きになった木が亜炭に変わったものだそうです。さらに炭化が進めば石炭となるわけですがこの辺りは亜炭が多く埋蔵されていて、家庭用の燃料として使われていた昭和中盤くらいまでは採掘が行われていたそうです。途中にも亜炭が沢山転がっていました。
しばらく歩いて谷底に辿り着くと、そこは竜ノ口沢と支流の権内沢の合流点でした。支流の沢は、名前がなかったり忘れ去られてしまったものも多いそうですが、江戸時代の絵図には権内沢ときちんと表記されています。
谷底に下りてからは、地層断面がよく分かる崖を見ながら沢沿いを進みました。崖に植物はほとんど生えていないのですが、時々フキノトウが自生していて、春の訪れを実感。採取してお持ち帰りと言いたいところですが、斜面がもろく簡単に崩れ落ちてしまうので、近づくのはまず不可能です。まるで、植物でもそういうことを分かってこの場所を選んで自生しているようにも思えます。
沢はところどころ深くなっていて、長靴であれば場所を選ばずに進めますが、私のしたことか長靴を持参していなかったため、水たまりに落ちないように慎重に場所を選びながら進まなくてはいけませんでした。
途中では、凝灰岩層の上部にある礫層や貝などの化石、珪化木なども色々見ることができました。
珪化木は、埋もれた木が長い年月をかけて周囲の水に含まれる珪素を吸収して化石のようになったもので、木のような形をしているのに石のように重いのが印象的でした。
山奥なのにホタテ貝の化石があるので「?」と思う方も多いかと思いますが、かつては海だった場所なので、クジラ化石が発見された場所も通りました。
しばらく歩くと地下鉄東西線の竜の口橋梁が見えてきて、この横で沢を抜けて上に出ました。沢自体はこの先もしばらく続いていて、仙台城横で広瀬川に合流して終わりとなりますが、ここから下流はさらにV字形の深い渓谷となり、歩く難易度も増すそうです。
また、ここでは橋梁を行き来する東西線の電車を見ることもできますが、谷底がほとんど手つかずの大自然なのに、その上を埼京線よりも本数が多い日中7.5分間隔で地下鉄の電車が行き来するギャップが面白いですね。
この橋は地下鉄では唯一の鉄道道路併用橋ですが、上段の道路は未完成です。鉄道道路併用橋は日本中に多数存在し、中には四国新幹線の建設を想定した大鳴門橋のように道路だけしか開通していないものや、同じく新幹線を想定しているけど取り敢えず在来線だけ開通した瀬戸大橋もありますが、鉄道だけ開通して道路が未開通のものは国内では他になさそうです。この道路に関しては、用地買収や自然保護の観点から現時点で開通する可能性は極めて低く、四国新幹線が夢で終わる可能性大な大鳴門橋とは逆に、当面は鉄道のみの橋になりそうです。
竜の口橋梁を見た後は久々に舗装された道を歩きました。
ここは現在、東北大学青葉山キャンパス等として整備が進められていますがかつてはゴルフ場だったそうで、ゴルフ場時代の遺構がところどころに見られました。
また、青葉山キャンパスの本館との間は谷になっていますが、この沢は明治維新後に森林伐採事業を行なった人物の名前を取って万助沢と呼ばれているそうです。
ゴルフ場跡地は現在造成工事中で、将来は東北大学の留学生寮の建設が計画されているそうです。また真下を東西線が通っていて、この付近では将来の新駅設置を見越して線路が平坦になっている場所があるそうですが、計画にすらなっていないそうなので実現するかは不透明です。
その後は、ゴルフ場時代にクラブハウスがあった「ヒルトップ」と呼ばれる場所からの景色を眺めました。手前にキャンパス群があり、その向こうに市街地が見え、さらに先には海が見えます。
次いで、キャンパス内にある三居沢源流部を見ました。自然地形を活かしつつ調節池になっているとのことで、源流部にコンクリートの排水口がありますが水は流れていません。
その後は、農学部の家畜舎横にある4つの石碑を見ました。最も古いものは江戸時代の文政11年(1828年)の山神碑で、他には明治29年の山神碑、大正6年の馬頭観音碑(近年にヒルトップより移設)、大正13年の馬頭観音碑があります。大正13年の碑には、「七北田村荒巻沼底」と記載がありました。現在地の地名は「仙台市青葉区荒巻」で、現在の七北田という地名は全く離れた地下鉄南北線泉中央駅付近の地名なので非常に違和感があったのですが、明治期の合併で荒巻村から七北田村になり、その後昭和に入ってからこの地域が分離されて仙台市に編入されたという歴史があるそうです。
この石碑の周囲もフキノトウが沢山自生していました。
その後は青葉通りから移植されたケヤキが植えられたキャンパスモールを通って移動。
途中でキャンパスをふと覗いたら、「せんだい環境学習館たまきさんサロン入口」と書かれた貼り紙を見つけましたが、この「たまきさん」とは一体何者なのでしょうか?どうしても、大麻で捕まってしまった高樹沙耶が演じた「相棒」に出てくる小料理屋「花の里」の初代女将を連想してしまいます。
最後は、キャンパス内のほぼ中央付近にある青葉山駅の入口で午前の渓谷歩きは終了となりました。
午前の部終了後は、地下鉄東西線と南北線を乗り継いで北仙台に移動。

フォト

北仙台は地下鉄とJR仙山線の乗換駅で、昼食はJRの駅前にある欅屋というランチ営業もやっている居酒屋に入りました。
定食、ラーメン等500円メニューが充実していてどれにしようか迷った末、鶏唐カレー丼定食にしました。ここは店頭でお弁当(390円)やパック入りの唐揚げを売っていることから、唐揚げを売りにしていることが分かり、期待通り唐揚げはそこそこ美味しかったです。カレーやご飯の量も値段の割にはしっかり入っていたし、値段以上にお得感のあるメニューでした。また来る機会があれば、他のメニューや390円弁当、唐揚げ単品なども買ってみたいところです。

今回の日記、その他写真は、こちらにもアップしております。
午前の部
(1)http://blogs.yahoo.co.jp/silkroad_vx/40459417.html
(2)http://blogs.yahoo.co.jp/silkroad_vx/40459438.html
午後の部
(3)http://blogs.yahoo.co.jp/silkroad_vx/40459490.html
(4)http://blogs.yahoo.co.jp/silkroad_vx/40459504.html
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