今日は各地からいらっしゃった
警察学校の皆さんにお話させていただきました
語り部を始めてから ...
あの時 お世話になった警察の方々に
いつか必ず何かの形で恩返しをしたいと
ずっと ずっと願っていました
私が警察の方々に出来るお返しは
とても恩返しと呼べるようなものではありませんが
震災から6年 今日やっと気持ちを伝えることが出来ました
震災当時の私は
母を探すため遺体安置所に通う度に
日に日に 人間の感情を失くしていました
いっそこのまま 心が壊れてしまった方が楽なのに
そう思いながらも
叔父さんの家でお世話になっている状態で
母を探さなければいけない状態で
行き場のない祖母の遺体が目の前にある状態で
子供たちを義理の妹夫婦に預かってもらっている状態で
どうにかしなければいけないことが山積みの状態で
そんな切羽詰まった状態に置かれて
どうしても 自分の心を投げ出すわけにはいかず
何とか必死で正気を保とうとしていました
いいえ 自分ではそうしていたいたつもりでも
実際には 人の心をすっかり失って母を探していました
探しても 探しても見つからない母
安置所に搬送されたご遺体を
お巡りさんに付き添ってもらい
はじからはじまで すべて見てもいない
検案する際に撮られた写真を見せて欲しいとお願いしたら
「 本当に全部見るんですか? 覚悟がいりますよ 」
お巡りさんにそう言われました
「 私のお母さんを探すんだがら
私が見ないと 解るわげねんだから
私のお母さんなんだがら 」
ずいぶんと無理を言って見せてもらいました
一枚一枚丹念にめくりましたが 母はおらず
知り合いの写真と対面するたびに
私はなんていうことをしているんだろう
私はなんて恐ろしいことを平気でしているんだろう
それでも 母のことでいっぱいになっている私には
写真をめくる手を止めることが出来ませんでした
探しても探しても見つからない
ヌカを敷き詰めた底なし沼に
どこまでも ずぶずぶずぶずぶ沈んでいく感覚
そのあたりどころのない感情を
気づくと お巡りさんにぶつけていました
自分のことで精いっぱいになった私が
お巡りさんの変化に気づいたのは
何日も何日も安置所に通い詰めて
2週間が過ぎた頃でしょうか
いくら探しても母がいないのだと怒りのままに訴えた時
その時 お巡りさんの真っ赤に充血した目を見たのです
ふと我に返り もう一度よく見ると
顔は無精ひげだらけで げっそりとやつれていました
「 お巡りさんの家はどこですか? 」と尋ねると
私達のように被災した地域に住んでいる方で
警察の職務として
そしてきっと一人の人間として
震災発生から自宅にもまともに帰らず
ほとんど不眠不休 食料が無いような状態で
安置所での様々な対応に当たっていらっしゃったのです
その有難さは
感謝という言葉や 申し訳ないという言葉では
軽すぎて とても言い表せるものではないのです
母が見つかって私の元に戻るまで
本当に本当に 何度も何度も お世話になったのです
あれからずっと 何かの形でお返しが出来ないものかと
申し訳ない思いと感謝でいっぱいだったのです
自己満足かもしれませんが
今日 やっと お礼の気持ちを伝えることが出来ました
当時の混乱期
被災した私達を支えてくださった方々は
こうして 決して目立つことなく
一番大変な時に 一番近くで
私達に寄り添い 同じ思いをしてくださったのです
職務とはいえ それを超えた壮絶な思いをされたのです
言葉にすると軽くなってしまいますが
唯々 感謝の気持ちしかありません
一人の語り部の力では限界があります
私の思いをぶつけただけの稚拙な記事ですが
多くの皆様にご覧いただくことで
大切な方の命を守る話し合いの
一番最初の小さなきっかけにしていただければ幸いです
ご自分のタイムラインでシェアしてくださる皆様
貴重なお言葉を添えてシェアしてくださる皆様
いつもシェアして頂き
そしてお力添えいただき 本当に有難うございます
#語り部佐藤麻紀
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