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2017年01月31日18:24

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淡路島・舟木遺跡で大規模鉄器工房跡発見

淡路・舟木遺跡、弥生鉄器の大産地か 工房が集中
吉田博行、編集委員・今井邦彦
2017年1月26日22時33分

兵庫県淡路市の舟木(ふなき)遺跡で弥生時代後期〜終末期(2世紀中ごろ〜3世紀初め)の鉄器などの工房とみられる建物跡4棟や鉄製品が見つかった。市教委などが25日発表した。市内の弥生期の鉄器工房跡は、南西約6キロにある五斗長垣内(ごっさかいと)遺跡(国史跡)に続き2カ所目。市教委は、淡路島北部には「邪馬台国時代」まで鉄器工房が集中し、舟木遺跡がその中心だった可能性もあるとみている。
 舟木遺跡は淡路島北部の標高約150〜190メートルの丘陵部にある。昨年10月からの調査で複数の場所を幅約2メートルの溝状に発掘し、直径10メートル前後の大型とみられる円形の竪穴建物跡3棟と、一辺約4・5メートルで角が丸い隅丸方形(すみまるほうけい)の竪穴建物跡1棟を検出した。
 その中から刀子(とうす、ナイフ)や細長い針状の鉄器、鉄を加工した際に出た鉄片などの鉄製品計57点と、ハンマーとして使われた敲石(たたきいし)などが出土。円形建物跡の1棟では、鉄を木炭で熱し、床面が赤く変色した炉の跡も確認した。
 弥生時代終末期の溝からは、祭祀(さいし)に使われたとみられる多量の土器、タコつぼ、ミニチュア土器なども見つかり、付近に祭殿や首長墓など特別な施設があった可能性があるという。
(以下略)
http://www.asahi.com/articles/ASK1S74YRK1SPIHB03K.html
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淡路・舟木遺跡 新たな大型の鉄器工房跡 国内最大級か

毎日新聞2017年1月25日 17時03分(最終更新 1月25日 20時46分)

弥生時代後期 鉄製品57点と工房含む竪穴建物跡4棟発見
 兵庫県淡路市教委は25日、弥生時代後期の舟木遺跡(同市舟木)から大型の鉄器工房跡を確認したと発表した。遺跡中心部の状況を把握するため狭い範囲で溝(トレンチ)を掘って調査した結果、鉄製品57点と工房を含む竪穴建物跡4棟が見つかった。同遺跡全体の鉄器工房の規模が、南西約6キロにある国内最大級の鉄器生産集落で国史跡の五斗長垣内(ごっさかいと)遺跡(同市黒谷)をしのぐ可能性があるとしている。
 舟木遺跡は約40ヘクタールの大規模な山間地集落遺跡。これまでに約5700平方メートルを調査し、弥生時代後期の竪穴建物跡10棟や土器、中国鏡の破片が出土しているが、鉄器工房は確認されていなかった。
 2016年度は遺跡中心部の尾根沿いに7本の溝、計128平方メートルを掘り、弥生時代後期後半(2世紀後半)の竪穴建物跡4棟を確認した。3棟は直径10メートル前後の大規模な円形で、うち1棟から床が赤く焼けた炉跡4カ所が見つかった。もう1棟は四隅が丸い隅丸方形建物だった。
 鉄製品は破片を含む57点で、明確な使途は分かっていないが、鍛冶に関連したものと、工具とみられる針状のものなど。鉄の加工に使った台石や砥石(といし)など石製工具42点や、祭事用と考えられる弥生時代終末期(3世紀初頭)の土器も出土した。
 市教委は、建物跡は鉄器生産工房と、鉄工具を使用した何らかの生産工房で、大規模な工房群の存在も想定できるとみている。淡路島北部には弥生時代後期の遺跡群が集中。3ヘクタールの五斗長垣内遺跡からは127点の鉄製品が見つかっている。同遺跡では終末期の土器は出土しておらず、同遺跡の消滅後も鉄器生産を続ける集落が存在していたことが裏付けられたとしている。
 市教委は「淡路島北部が鉄器の製作や保有で近畿でも極めて重要な地域だったのではないか」とみており、「古事記」で国生みの地として伝わる淡路の古代史を究明するため、舟木遺跡の重点調査を続ける。
 2月5日午後1時半から、北淡震災記念公園セミナーハウス(同市小倉)で発掘調査成果報告会がある。同市教委(0799・64・2520)。【登口修】
http://mainichi.jp/articles/20170126/k00/00e/040/001000c
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近畿最大?淡路に鉄器工房跡 弥生時代の舟木遺跡

2017/1/25 20:30神戸新聞NEXT

 兵庫県淡路市舟木にある弥生時代の山間地集落遺跡「舟木遺跡」の発掘調査で、新たに鉄器生産工房跡と、手工業品を生産した可能性のある工房跡、鉄器57点などが見つかった。兵庫県と同市の両教育委員会が25日発表した。過去に同市で見つかった近畿最大の鉄器生産遺跡「五斗長垣内(ごっさかいと)遺跡」(同市黒谷)を上回る規模と推定され、専門家は「弥生時代、淡路島が鉄器の製作や保有の地として有力視されていたことを裏付ける発見だ」と指摘する。
 同時に出土した土器の年代から、工房があったのは2世紀後半とみられる。見つかったのは4棟の大型の竪穴建物跡。うち3棟は敷地が円形で直径が10メートルを超える大型で、うち1棟から4基の炉の跡が確認された。柱が外側に寄り中央部が広いことから、作業をする空間だったと想定される。また4棟全てから鉄器製作に使ったとみられる石器を多数発見。鉄器は計57点あり、鍛冶関連のほかに針状鉄器など小型工具が出土した。
 針状鉄器は小さいものでは長さ4ミリ、幅1ミリで、愛媛大学東アジア古代鉄文化研究センターの村上恭通センター長は「小型工具を使って何らかの手工業品を生産する大規模な工房群が存在した可能性がある」と指摘する。作られた物は出土していないが、木製品や皮革製品などが想定できるという。
 2009年に工房12棟と鉄器127点が見つかった五斗長垣内遺跡では、鉄鏃(てつぞく)(矢尻)などの武器類が多く出土した一方、舟木では明確に武器と認められるものはなかった。二つの集落はわずか約6キロの距離でほぼ同時期に存在していたが、生産物に違いがあることが判明。五斗長垣内が消滅した後も舟木で鉄器生産が続けられていたことも分かった。(切貫滋巨)
【舟木遺跡】 弥生時代後期〜末期(1世紀〜3世紀初頭)に存在したとみられ、1966(昭和41)年に発見された。面積は推定約40万平方メートル。91年の調査で見つかった出土物が、古代の中国で製作された青銅製の中国鏡の破片であることが明らかになっていた。
https://www.kobe-np.co.jp/news/bunka/201701/0009859729.shtml
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淡路島で新たな鍛冶工房跡、弥生期建物跡と鉄器

読売新聞 関西 2017年01月26日

 兵庫県淡路市の弥生時代後期(2世紀中頃〜3世紀初め)の舟木遺跡で、鉄製の工具などを作った鍛冶工房とみられる建物跡4棟と鉄器57点が見つかり、市教育委員会が25日、発表した。淡路島北部が、近畿に鉄器文化が広まっていく際の中継地や生産拠点として大きな役割を果たしていた可能性を示しているという。
遺跡は標高約150メートルの丘陵地にあり、推定面積は約40ヘクタール。2009年に約6キロ先の弥生時代後期の五斗長垣内(ごっさかいと)遺跡(淡路市)で工房跡12棟や鉄器が見つかり、舟木遺跡も生産地だった可能性が高いとして、昨年10月から尾根の7か所を発掘していた。
 今回確認されたのは竪穴建物跡4棟。3棟は直径10メートル前後と通常の竪穴住居より大きく、うち1棟には炉の跡があった。周囲で鉄器も見つかっており、市教委はいずれも大型の鍛冶工房だったとみている。
 市教委は2月5日午後1時30分から、同市小倉の北淡震災記念公園セミナーハウスで出土物を展示し、調査成果報告会を開く。
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20170126-OYO1T50003.html
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「舟木遺跡」国生み神話との関係は…銅鐸から鉄器、淡路南部の平野から北部の山間部へ

産経WEST 2017.1.26 09:10
 竪穴建物跡や炉跡、多数の鉄器など鉄器製造工房とみられる遺構が発見された兵庫県淡路市舟木の「舟木遺跡」。国史跡に指定されている弥生時代の鉄器製造跡「五斗長垣内遺跡」をしのぐ規模の可能性も指摘されている。平成27年に南あわじ市で見つかった松帆銅鐸に続き、弥生時代の淡路島の社会を解明する重要な発見となった。
 今回の発掘調査は昨年4月に《『古事記』の冒頭を飾る「国生みの島・淡路」〜古代国家を支えた海人の営み〜》が文化庁の日本遺産に認定されたことを受けて、弥生期の淡路島の歴史的な役割を解明し、国生み神話との関係を掘り下げる取り組み「淡路市国生み研究プロジェクト」として淡路市教委が実施した。
 40ヘクタールに及ぶ丘陵地の舟木遺跡の中で平らな7カ所を選んで発掘。わずか128平方メートルから57点の鉄器が見つかったことから、市教委は約1万7千平方メートルを調査して127点の鉄器が見つかった五斗長垣内遺跡をしのぐ可能性があるとしている。また人工的に掘削された法面に土器群を設置するなど祭祀的な様相が伺え、土器群の背後の尾根頂上部に重要な遺構が見つかる可能性があるとしている。
 舟木遺跡で過去に発掘された遺物を昨年再分析した結果、青銅製の中国鏡の一部であることが判明している。遺跡の規模だけでなく権威の象徴だった中国鏡があったことから、舟木遺跡が山間地集落の中心的存在だった可能性もある。
 一方、稲作の痕跡は見つかっておらず、市教委は「何らかの手工業工房だった可能性がある。稲作以外の産業をなりわいとし、交易を行っていた集落かもしれない」としている。針状鉄器など手工業の道具とみられる遺物は見つかっているが、何に使用されたものかは不明で、今後の調査課題となっている。
 弥生期の淡路島をたどれば、南あわじ市で一昨年に見つかった松帆銅鐸は弥生時代前期〜中期(紀元前3〜前2世紀)。五斗長垣内遺跡は同後期(1世紀半ば〜2世紀後半)、舟木遺跡は後期後半から終末期(2世紀半ば〜3世紀初め)と時代が移っている。青銅器の銅鐸文化から鉄器文化への移行に伴い、淡路島南部から北部へ、平野部から山間部へ移ったことが、今回の発見で改めて鮮明になった。その間に大きな社会的変化があったとみられている。
 市教委は2月5日午後1時半から、北淡震災記念公園セミナーハウス(同市小倉)で、出土遺物の展示など今回の発掘調査成果報告会を開催する。問い合わせは同市社会教育課((電)0799・64・2520)。
http://www.sankei.com/west/news/170126/wst1701260028-n1.html
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舟木遺跡から先に出土した後漢鏡の鏡片の記事はこちら
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弥生時代の集落跡「舟木遺跡」から淡路島初の中国鏡片
産経ニュース 2016.7.27 07:02

淡路市教委は26日、同市舟木の弥生時代の集落跡とみられる「舟木遺跡」で発掘された青銅器片を再分析した結果、青銅製の中国鏡の一部であることが分かったと発表した。同市教委によると、淡路島内での発掘は初めてで、権威の象徴だった中国鏡が見つかったことは、舟木遺跡が弥生時代後期に急増する山間地集落の中心的役割を担っていた可能性があるとしている。
 舟木遺跡は弥生時代後期(1世紀半ば〜3世紀初頭)の山の上の集落跡で、南北約800メートル、東西約500メートルに及ぶ。平成3、6年に発掘された遺物を昨年12月から再整理、分析した結果、発掘時に4つに分かれていた青銅器片を接合すると長辺2・35センチ、短辺1・70センチ、厚さ0・9センチの中国鏡の一部であることが分かった。
 市教委によると、鏡は直径10〜15センチとみられ、今回確認されたのは「鈕(ちゅう)」と呼ばれる中央部分。穴が開いており、ヒモを通してつるすなどして使っていた可能性があるという。鏡のほかの部分は見つかっていない。鉛の成分分析から後漢時代の1世紀中頃から後半にかけて中国華南地域で作られた可能性が高い。同時に出土した土器の年代などから、生産されて比較的早い時期に淡路島に伝えられたとみられる。県内の集落遺跡で中国鏡は「播磨大中遺跡」など3点発掘されている。
 昨年南あわじ市で見つかった松帆銅鐸は弥生時代前期〜中期(紀元前3〜紀元前2世紀)で、舟木遺跡から6〜7キロ離れた山間部にある「五斗長垣内(ごっさかいと)遺跡」(同市黒谷)では弥生時代後期(1世紀〜2世紀)の鉄器製造跡が見つかっている。銅鐸の時代に平地にあった集落はその後急速に淡路北部の山上に移っており、舟木遺跡はその中心的存在だった可能性が高いという。
 市教委は「舟木遺跡、五斗長垣内遺跡と周辺遺跡との関係が分かれば、古代国家形成に淡路が果たした役割がみえてくる」とし、弥生時代の淡路島の歴史を調べる「淡路市国生み研究プロジェクト」として今年8〜9月に舟木遺跡の発掘調査を実施する。
 今回調査された中国鏡片は同市浅野南の「市立北淡歴史民俗資料館」(電)0799・70・4135で公開されている。
http://www.sankei.com/region/news/160727/rgn1607270048-n1.html


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http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1955192161&owner_id=509182
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