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2017年01月29日00:34

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アメリカの税制改革とP51マスタング誕生秘話に学ぶ償却会計

企業会計に関して、やや難しい話しですが、企業は設備投資をします.
しかしその設備は取得年度(要は買った年)に全額償却出来ません。

ここで分かり易く、説明すると、機械設備や自動車、建築物には、会計上は減価償却というものがあります。

「減価償却」wiki
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%9B%E4%BE%A1%E5%84%9F%E5%8D%B4
減価償却(げんかしょうきゃく、英: Depreciation)とは、企業会計に関する購入費用の認識と計算の方法のひとつである。長期間にわたって使用される固定資産の取得(設備投資)に要した支出を、その資産が使用できる期間にわたって費用配分する手続きである。英語で有形固定資産にかかるものをdepreciation、無形固定資産にかかるものをamortization という。

収益を獲得するために貢献した資産については費用収益対応の原則により、取得原価を収益の獲得のために利用した期間にわたって費用配分するのが企業会計上望ましいと考えられる。しかし、建物や機械設備などの多くの有形固定資産については機能的・物理的な減価を容易に把握することが出来ないために、以下に示す計算方法によって、可能な限り合理的となるように費用化している。
一方、特許権、商標権や漁業権、ソフトウェアなど各種権利の無形固定資産についても、減価償却を行うことがある。

詳細は典拠を読んでください。

さてトランプ政権になる前から法案があった米国議会では、企業が設備投資をしやすいように、当年度(買ったその年)に100%償却出来る法案が可決する見込みです。

「米国の税制とP51Bマスタング誕生秘話に学ぶ償却会計」
  ⇑
これは日常生活で、ビジネスする上では、思い切り重要な話ですので、決算関係や数字が苦手なシトも是非この機会に覚えてください。
http://markethack.net/archives/52034386.html

(米)下院は去年6月に示した税制改革案「Better Way」の審議を、そろそろ始めると思います。この下院案には国境税調整という項目が含まれており、それが今、とても話題になっています。

「Better Way」案には、ずっと地味だけれど、大事な「隠し味」が含まれています。今日はそれについて説明します。

その「隠し味」とは「企業が先行投資をしたとき、それを100%費用で落としてオッケー」という項目です。

現在の米国の会計制度では、企業が機械などの資本財に先行投資したとき、大体、5年かけて償却するルールになっています。

その場合、投下した先行投資はキャピタライズ(capitalize)、つまり資本に組み入れられるのです。チョロチョロと5年かけて償却する(=投資コストを利益から差し引く)関係で、比較的早い段階で利益が出てしまいます。

「利益が出て、なぜ悪いの?」

みなさんはそう思うでしょう。もちろん、利益が出ることは大変結構なことだけれど、利益は税金に持って行かれます。だから長い年数をかけて償却するほど、とりわけ先行投資した直後から利益が出過ぎて、税負担が重くなるという問題が生じるのです。

これは会計ルールだけで説明してもなかなか呑み込みにくいと思うので、具体的な例で説明します。

第二次世界大戦当時、アメリカは武器貸与法(レンドリース)により英国にどんどん戦闘機を貸しました。つまり「代金後払い」です。

英国空軍はカリフォルニアのノースアメリカン社にP40ウォーホークという戦闘機を注文します。ノースアメリカン社は「P40は旧式機です。実はわが社で新しい戦闘機の青写真を温めているのですが、これを試しに使ってくれませんか?」と提案します。それがP51ムスタングです。

英国空軍は送られてきた試作機の性能が優れていたのと、ノースアメリカン社の品質管理の良さに惚れ込んで、P51を正式採用します。
※本当は何だのかんだのあるのだが割愛。

そのときのP51はアメリカのアリソン社が作っているV710-81という12気筒液冷V型エンジンで、1200馬力でした。アリソンV710-81はとても滑らかなエンジンですが、出力の関係でP51のプロペラは3枚でした。

このP51に乗った英国空軍のパイロットはP51を気に入りますが「こいつに英国製のマーリンを搭載すれば、もっと良くなるのにな」と残念がります。
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問題は、マーリンは極めて複雑なエンジンで生産工程が多く、英国の熟練工の職人芸に頼っていたということです。これでは生産が間に合いません。

そこでマーリンの図面をアメリカに送り、アメリカで量産する計画が持ち上がります。

イギリスは、最高機密であるマーリンの図面をアメリカに移送するためにわざわざ軍艦をよこしました。
※ここも戦前からR&R社と英国政府とフォード社と何だかんだあるのだが割愛。

アメリカ側でこの図面の引渡しに立ち会ったのはモリス・ウイルソンです。この受け渡しのためにウイルソンは特大のスーツケースを用意しました。ところがマーリンの図面は、貨車に載せる木箱ほどの大きさで、クレーンをつかわないと降ろせないほど膨大でした。

つまりマーリンというのは、それほど複雑なエンジンなのです。

このマーリンの図面を見たアメリカの技術者は、すぐに問題を悟ります。マーリンは熟練工の手作業に頼っているので、それをオートメーションに置き換えるには工作機械などの膨大な投資が必要だとわかったのです。
※ここが日本が何も考えずに、ドイツDB601をライセンスしたのとは全く違う。
さてここからが本題。

そこに登場したのが「大量生産の父」、ビル・ヌドセンです。ヌドセンは、フォードの「モデルT」の生産ラインを考案した人です。
※ビル・ヌードセン
後のGM社の社長のデンマーク人
http://jp.wsj.com/layout/set/article/content/view/full/505817

William S. Knudsen
日本語で発音するならばKとDは子音なので「ヌーセン」だろう。
https://en.wikipedia.org/wiki/William_S._Knudsen
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ヌドセンは工作機械による大量生産を念頭に、マーリンの図面を全部自分で引き直しました。

しかしここで問題が起こります。

それは製作を担当するパッカード自動車が「そんなにべらぼうな先行投資は、やりたくない」とゴネたのです。

考えても見てください。いまパッカードが清水の舞台から飛び降りるような一大決心をして、膨大な工作機械をマーリンの製作のために購入したとします。でもイギリスが戦争に負ければ、「ツケ」でアメリカから買っている兵器の代金をちゃんと支払ってくれる保証はありません。

さらに当時米国の固定資産の償却年数は16年でした。すると先行投資した費用の16分の1しか費用が落とせないので、バカスカ利益が出ます。それは税金として、全部、アメリカ政府に持って行かれてしまうわけです。しかも16年後も未だ戦争をやっている保証は無いわけで、戦争が終われば据え付けた工作機械の大半は無用の長物と化してしまいます。
※当時の米国は法人税が異常に高く、利益のほぼ90%が法人税で持って行かれた。

そう考えるとパッカードが尻込みしたのも無理は無いわけです。

そこでビル・ヌドセンはフランクリン・ルーズベルト大統領に会いに行きます。

「大統領、あなたが欲しいのは、戦闘機ですか? それとも帳簿上の利益や税収ですか?」

ルーズベルト大統領は「もちろん戦闘機だ」と答えます。

そこでヌドセンは「それなら固定資産の償却期間を16年から6年に変更してください! ちなみにドイツでは償却期間は7年です」と具申しました。

ドイツの償却期間が7年と聞いたルーズベルト大統領は、この言葉に反応して、「それじゃ6年で行こう!」と決断します。

これを機にアメリカの産業界では設備投資ブームが起こります。

つまり第二次世界大戦を勝ち抜いたアメリカ産業界の底力が解き放たれるためには、モノ作りの会計面での制約までを知り尽くしたヌドセンの洞察力が必要だったのです。

結局、英国空軍のハック(工夫)によりマーリンを搭載することになったP51は、P51Bムスタングと呼ばれ、エンジンがパワフルになった関係で、プロペラは4枚になりました。この時点で、初めて「傑作機」になったのです。
※P51Dでなかったっけ。ここの本題は設備投資と企業税制の話なので詳細は割愛。
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さて、歴史のウンチクが長くなってしまいましたが、これから上院で議論される、設備投資の償却年数を短縮するということが、設備投資を喚起する上で、どれほど重要なことか? ということがおわかり頂けたかと思います。

以上でお分かりの様に、

戦争=ビジネス=税制≒規制緩和と考えたアメリカ。

統制経済を行い、企業に利益を出させないように、ビジネスに素人の軍人に経営を行わせた日本。

どちらが勝利したかは言うまでもありません。
戦争中と言う非常事態でも、如何に規制緩和が重要なのかが分かる事例です。

因みにアメリカでは戦争中は製造業は女性まで動員して3シフトで24時間完全フル稼働でしたが、それでも労働者は低賃金を巡ってストライキを行っています。
規制緩和を行い、企業に最大限の生産を行わせても、労働者の基本的人権は守る国なのです。

それに対して日本は、私の父(1931年生まれ)や作家の半藤一利氏(1930年生まれ)の中学生に、航空機用20mm機関砲を製造マニュアルなしで作らせる国でした。

以下、「あの戦争と日本人」著者:半藤一利より引用
https://www.amazon.co.jp/dp/B00J4GVZ9G/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1

「(戦時中の)特高月報に見る反戦・厭戦の声」P43

「現在の徴用は奴隷に等しい(略)、奴隷扱いをされるなら、戦争に勝っても負けても同じだ。
早く戦争が終わって日本人の奴隷になるよりも、米国人の奴隷になったほうが余程良い」
1944年5月5日 田無の中島飛行機製作所に書かれていたもの。
※これは疾風の製造ラインでしょう。

「吾等は日本の国が滅茶苦茶に敗れて、米国の属国になることを、1分も早く神様にお祈りしている」
1944年6月18日 広島県大竹
※日本海軍の呉工廠の下請け企業が多くあった。その名残が今の「マツダ自動車」

「国民は全部が米国の属国になることを希望しているのだ。負けよ日本!勝て英米!」
1944年8月10日 山口県小郡

B29の本土空襲(1944年11月29日)が始まる前から、日本国民は兵器は全て徴用の工員が、完全に嫌々渋々作っていたので、DB601のクランクシャフトどころか、全部の品質が全くどうでも良い状態でありました。
軍も形だけ出来ればそれで良いので、5式戦や紫電改ガーと言っても、肝心の製造してるシト達が、「日本は一刻も早く負けて、米国の属国になりたい!」と心を込めて祈りながら作っていたんですね。
結局、戦後に全国民の希望が叶って良かったですね!というお話です。



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