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2017年01月16日14:33

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「便利」の歪

踏み間違い暴走事故について考える
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=40&from=diary&id=4386071

まず、タイトルと関連性のないところから。

記事筆者は、警察に何を求めているのでしょう。
警察と言う機関は、むしろ「原因追求よりも責任追及」するための機関だと思います。
もちろん、記事筆者が言うように原因追求が必要であるのは間違いありません。
ですが、それは別機関の仕事であり、警察の仕事では無いと思います。

ちなみに、少し余談になりますが、実は「日本の警察が予断による捜査方法」と言うのは、そのとおりらしいです。
別件ですが、裁判員制度に反対する書籍を読んだ時に、如何に日本の警察が予断で捜査をしているか、またそれが裁判員制度により拍車がかかるか、と言うようなことが書いてありました。
閑話休題。


さて、タイトルにも書いた便利の歪についてです。
物事が何か便利になると、そこに歪と言うかその裏返しに起こる、マイナスがあります。
例えば、徒歩か走るしか移動手段がなかった時代、死亡するような交通事故はほとんどなかったと思います。
現代、自動車や自転車が激しく往来する道路事情において死亡事故も珍しくはありません。
移動することの「便利」を得るために、交通事故の恐怖という歪を被ったのです。

前述は極論に近い事ですが、この記事に関連しそうな事で言えば、AT車の普及が挙げられると思います。
AT車の登場と普及は、技術的にMT車を難しく思う人にも気軽に運転でき、便利を享受できました。
しかしながら、未熟なドライバーを増やし、結果、事故は増えたのです。

もちろん、「踏み間違い暴走事故」のすべてがAT車普及に起因しているとは言いません。
ただ、それが一端である事故が大半だとは思います。

そして今、自動ブレーキや自動運転を始め、様々な安全運転システムが発表されています。
どれも素晴らしく、意味あるものだと思います。
ただ、それは現段階という限定だと思います。
それらのシステムに慣れた結果、それらに甘えた運転による事故が多くなるような気がします。
だから、現実的ではありませんが、これらのシステムは公表されずに搭載されている----これがこれらのシステムを活かす最良の方法のような気がします。
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