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2017年01月09日22:22

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小栗上野介

今日は病み上がりの体のリハビリを兼ねて群馬へドライブに出かけた車(セダン)ダッシュ(走り出す様)
目的は、あと残り5か所となった「スタンプ」をゲットすること。
しかし、時間切れでスタンプゲットは4か所にとどまり、群馬コンプリートはまたの機会となってしまった、残念涙
今日訪れた道の駅「くらぶち小栗の里」で幕末の英傑「小栗上野介」の情報をゲット。
道の駅のちょっと先の「東善寺」というお寺にその「小栗上野介」とその家臣達の墓がある。
墓所には上野介とその養嗣子である又一の墓を中心にともに処刑された家臣とその家族、会津で討死した家臣達の墓がひっそりと建つ。
東善寺のあるところはかつて「権田村」と呼ばれ、小栗家の所領のひとつで上野介が晩年を過ごしていたところである。
権田村で隠棲していた上野介は西軍に捕えられ、家臣達と共に処刑されこの寺に葬られ、村人たちにより墓碑が建てられたそうである。
その目でアメリカを観て、日本の近代化に力を尽くし、後の日本海海戦の勝利の一因となったと東郷平八郎が語ったという。
写真の小栗父子の墓石は供養塔で実際に葬られたのは供養塔から少し登ったところだそうだ。

先見の明を持った「小栗上野介」。同じく先見の明を持つ「勝安房守」。
今までも比較されていたのだろうけど、一方は斬首、一方は新政府の高官となる。
何が違ったのか、どこで道が分かれたのか興味深いなぁ。
小栗上野介が新政府に入っていたらどうなっていたのか・・・・、想像の域を出ないがやはり興味深い。
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