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2016年12月30日14:39

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(2014年)9/26 オオフジツボ4th北海道ツアー(前編) のや

オオフジツボ4回目となる北海道ツアーの日程を知ったのはいつ頃だったでしょうか。
それは(2014年)9月26日(金)札幌のや,27日(土)当別町ビトエファーマーズハウス,28日(日)富良野野良窯という3日間でした。

慣れ親しんだ金曜日ののやは打ち上げなどもあることが予想され,ぜひ行きたいところです。そのためには少なくとも金曜日の午後半日は休暇を取得しなければなりません。
すると日曜夜の野良窯に参加するために月曜日も休むということはしにくくなります。
19時開演ということも多い野良窯ですが,この年は日曜だったせいか,18時開演でしたから,20時台に終演次第富良野駅に向かったとして,20時38分発の根室線快速に間に合えば滝川駅で21時40分発のオホーツク又は22時32分発のスーパーカムイに乗り換えることができ,札幌駅着は22時40分又は23時25分。20時44分初発の富良野線普通列車に間に合えば旭川駅で22時発のスーパーカムイに乗り換えることができ,札幌駅着は23時25分。

高速はこだて号の夜行は札幌中央バスターミナルを23時55分発ですから,これに間に合わないことはないかもしれません。しかし,この時点で3度ほど経験していたと思いますが,札幌から函館駅前に朝5時過ぎに到着してそのまま出勤して働くのもきつい時はきついのに,富良野から夜通し10時間近くかけて帰着してそのまま出勤するのは,いくら何でも無理かと思われました。オオフジツボのライブは休憩を挟んでたっぷり3時間近いことも多く,富良野駅の発車時刻や滝川や旭川での乗り換えに間に合う保証もありません。

そこで,現在のところオオフジツボの北海道ツアー中唯一となりますが,日曜夜の野良窯は涙を吞んで断念し,その日は道南に戻る1日とすることにしました。調べると昼間に円山で二胡の演奏と賢治の朗読の会にあらさんがお出になるようでしたので,それを観てからゆっくりと帰ろうと考えていました。それでも帰宅は21時前後となります(因みにその日曜日,りびあんではよしだよしこさんとRINKAやよこたにさんのライブもあったのでした。)。

さて,(2014年) 9月26日(金)は例によって午後から休暇を取得し,特急北斗かスーパー北斗で札幌に向かったのだったと思います。開場の少し前にのやにたどり着くと,この季節の18時半,辺りは既に暗くなっていました。並んでいるようなお客も見当たらず,トップバッターになったかなと思いましたが,飲食しているお客の中にライブの客もおられたことが後からわかりました。

場内から太田さんが一度出入りされたので会釈し,よろしくお願いしますと言い交わしました。次いで東京方面の壷井さん寄りのいつもの女性客も姿を現しました。

客席にはエミさんが吉田さんを伴わずにいらっしゃっていて,開演前にドリンクのグラスを合わせて乾杯の相手をしてくださいました。職場女子を連れてきたとおっしゃっていて,後からやって来たその方はまだ二十代前半だとか。くおくおがオータムフェストの大舞台で歌った時にCDを求め,次の日にエミさんに他のも聴きたいですという胸キュンエピソードの主はこの人なのかなと想像しました。この日もオオフジツボのライブの素晴らしさに感激している様子が初々しかったです(エミさんは翌27日(土)にはホテルロイトンのクレストに吉田さんとともにくおくおでお出になったのですが,私は当別のビトエにオオフジツボを追ったために,そちらは失礼することになりました。)。

お客が概ね揃い,開演時刻を過ぎたところで,オオフジツボの皆さんも姿を表し,一瞬の間の後,壷井さんのこのまま始めますかとの言葉に,藤野さんが皆さんこんばんはと挨拶をされてライブが始まりました。

以前に殴り書いたメモには最初にEternal Reflexionとあるのですが,これが本当に1曲目だったかは定かではありません。以下,メモを頼りに書いていきます。

「なのはな」では,中尊寺の公式YouTube動画のBGMに起用されたという御紹介とともに,前月の八戸龗神社境内でのライブでのエピソードもひまわり事件として披露されました。私も現地で聞いていたのですが,中尊寺の住職破石晋照さんが講話の中で曲名を「ひまわり」とおっしゃった事件です。のやでは壷井さんあたりから自分の寺のCMだろうになどとの御発言もあったと思います。もうひとつの候補曲はLet it Beだったそうで,壷井さんは,Let it Beに勝った,ポールはそれがショックで体調を崩し日本公演を取りやめたらしい。悪いことしちゃったななどともおっしゃっていました。

平泉セットでは,お三方それぞれが作られた曲を組み合わせたセットであることを説明され,これも壷井さんだったでしょうか,初めての共同作業,最後のなんてことはないなどといった御発言がありました。

Ritaさんとのヴォーカルアルバムにも収録された「凪の旅路」のインストヴァージョンでは,どういう脈絡だったかは失念してしまいましたが,太田さんか壷井さんの「Ritaさんは大きい人だから」といった御発言に対し,藤野さんが「ファンの方も来てるんですから」とたしなめる一幕もありました。東京方面からの常連客の中には確かにRitaさんからオオフジツボや藤野さんに入ってきた方もいらっしゃいますし,オオフジツボが来道すると必ずお見かけするお客の中にも元々はRitaさんファンという方がいらっしゃるようです。

私自身は,藤野さんやオオフジツボが関わっているということでアルバムを何枚か買ったことはありますが,リアルRitaさんをお見かけしたのは,この年(2014年)11月29日(土)音や金時でのユカキラの開演中に入場しておいでになった時だけではないかと思います。この時は終演間際に東京ツアー中だったあらさんも入場され,当日演奏されたゴードン・ダンカンの「ベリーダンサー」などについて吉良さんと親しくお話しされていたことを覚えています。

「凪の旅路」の歌詞について,太田さんがココロ,カラダなど片仮名はどうかと提案したところ,Ritaさんからそれはないですねと却下されたといったお話もありました。
太田さんでしたか壷井さんでしたか,始める前におふざけで「旅の凪路」とおっしゃり,あんまり言うとそっちが定着してしまうなどといった御発言もあったと思います。

「秋霖」では,藤野さんが中尊寺公式BGM第二弾に決まった旨をお話しになったのですが,太田さんはまだ知らなかったような御反応でした。藤野さんによると,もう言っても大丈夫とのことでしたが,本当はそのためのスケジュールが詰まっていて大変なのに,北海道に来てしまったというようなこともおっしゃっていたと思います。

「秋霖」は藤野さんが作られた曲で,吉良さんのアレンジでzabadakの『宇宙のラジヲ』にも収録されているのですが,今はオオフジツボのレパートリーにもなっています。
同様に,今は太田さんのホイッスルや御当地発車メロディで始まるのが定番のGo! Chuo Lineも,もともとはナギィのレパートリーで,大渕さんのフィドルで踏切の警報音などが再現されていたのでした。

後にGaleforce Gigueと名付けられた壷井さんのGG「ゲリラ豪雨」では,9月半ばの北海道は大変だったというお気遣いの言葉がありました。tipsipÚca+がおいでになる少し前頃,特に白老辺りでは水害と言ってもいいくらいの大雨が降ったのでした。

Happy Retunrns Setでは,皆さんハッピーターンがお好きで,練習やレコーディングのおともになっているという御紹介があり,この曲が演奏される時には,亀田製菓に感謝してもらっていいのではないかとか亀田製菓に知られないようにせねばといったたぐいのお話が出るのですが,この時もそうしたお話があったかもしれません。

休憩を挟んで後半1曲目は「暁の地平」だったと思います。八戸や前年ののやでも感じたのですが,この曲の勢いはライブの出だしにぴったりです。

「遠すぎた星」では,宇宙旅行が一般的になった未来・・・という定番の説明が太田さん一家の家族旅行を例えにありました。いいだけ走ったつもりが渋滞でまだ静岡みたいな。やめておけばよかったと後悔しつつたどり着き,ああ遠かった,そういう曲であると。

太田さんの「おもかげ」は,私は前月の八戸で初めて聴いたのではなかったかと思います。この歳になると周りから・・・という定番となっていく説明がこの時もあったのではないかと思います。

壷井さんのShrine,Lighthouse and the Grassでは,震災後の種差海岸の風景に着想を得てお作りになったという御紹介とともに,このツアーで北海道にいらっしゃる飛行機の上空から種差海岸が見えて撮影されたというお話もありました。

前月の東北ツアーでのエピソードもお話しになり,私も訪れた日曜夜の八戸でのライブの翌日はキリストの墓で知られる新郷村の戸来で盆踊り大会のゲストにお出になったわけですが,朝から種差海岸の後,奥入瀬,十和田巡り…の筈が,とても間に合わないと途中で断念され,早々に新郷村へ。その代わりにキリストの墓などはじっくりと見ることができたといったお話がありました。

国土交通省の青い道路標識に左はキリストの墓,まっすぐはピラミッドなどと表示されていたそうで,国土交通省も認めるムーの世界。キリストップなるコンビニがあり,フライヤーの後援者にも名を連ねていた,今度はキリストップのCM作るかなどといったお話とともに奏でられたメロディは,ミニストップのメロディだったのでしょうか。ミニストップは千葉に住んでいた頃の最寄駅の近くにも2店舗くらいあって,ごくたまに入ることがあったのですが,ファミリーマートのような自動ドアと連動したメロディがあったかどうか,記憶は定かではないのです。

アンコール前のラストは藤野さんのキラーチューン「空駆けるもの」,アンコール曲は「宵蛍」でした。当時のメモにはアンコールのところに「エコ」と書いてあるのですが,もはや何を意味するのかわかりません。

MCでは,壷井さんが池袋からの羽田行きのバスに乗り遅れた話がこの日もあったと思うのですが,翌日の当別での方が詳しかったようです。

終演後,藤野さんにこの頃札幌のジュンク堂で入手した山尾悠子さん関係の小冊子を進呈すると,冊子というよりはフライヤーに近いささやかなものだったのですが,望外に喜んでくださいました。札幌のジュンク堂で入手したと申し上げたためか,北海道の人なのかといったお尋ねがあり,いや岡山の方ですよねとお答えしました。冊子に記載があった10月に大阪のジュンク堂でサイン会があるというのは,今度のリアル10月なのかというお尋ねもあり,そのとおりなので,行かれることがあればと申し上げると,次の週には行くんだけど・・・というようなことでした。

藤野さんが山尾悠子さんに親しまれるようになったのはそれほど古くからではなく,『ラピスラズリ』や『夢の遠近法』の頃からのようですが,その後は最近も『角砂糖の日』の新装版を購入されるなど,ずっと追っていらっしゃるようです。

この日のMCで言及があったのだったかどうか,終演後には,藤野さんの安房直子作品の朗読でのお仕事について,ずいぶん以前の東京時代に進呈した研究本が役に立っているとのお話もありました。独自の分類がなされていると。

読んだのがかなり以前で記憶が薄れてしまいましたが,専売公社職員だったお父様の転勤で安房直子さんが少女時代に函館にお住まいだったことがあるというのはその本で読んだ気がしますし,当時在籍された中学校名なども記載されていたのではなかったでしょうか。

打ち上げにも出席させていただき,席上それまでライブ風景などを撮影されていた大柄の女性が鈴木マイさんなのだと藤野さんが教えてくださいました。まさに「なのはな」誕生のきっかけとなった方ではありませんか。城田さんと内藤さんのアルバムなど,私が持っているものの中にオオフジツボ以外にも鈴木マイさんがジャケットのデザインをされたものがあります。直接御挨拶などはしませんでしたが,この方がかねてお名前は承知していた鈴木さんかと感慨がありました。

この後,鈴木マイさんはオオフジツボ北海道ツアーの機会に毎年のように来道されることになります。翌2015年発表のオオフジツボのアルバム『耀の円心』では鈴木さん撮影のモエレ沼の風景がジャケットに用いられるなど,オオフジツボや鈴木さんの北海道との御縁ますます深いものになるのでした。

因みに,この日,最初はすがさんもお見えだったのですが,体調が優れなかったのか,途中で席を移られたと思ったらそのままお帰りになったようです。

打ち上げでの話題で覚えているのは,壷井さんが東京での仕事で往き来のある方がのやの川端さんと酷似しているということで写真を皆さんにお見せになっていたことです。生き別れの兄弟だったりしてなどとおしゃっていました。

道南時代は何度も世話になったS氏宅にこの日も宿泊することになっていました。S氏宅への終電に間に合わせるべく,打ち上げの終宴まではのやにいることができたのですが,皆さんをお見送りするところまでは残ることができずに苗穂駅へ急いだのでした。

さて,翌日はオオフジツボ4th北海道ツアー2日目にして,野良窯に赴くことができなかった私には最終日,坂本さんらが満を持して準備をされたファーマーズキッチンビトエです。

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