…「DEFINITY MAYBE」/OASIS
90年代を代表するUKロックバンドといえば、OASIS。
僕が高校生の頃に大流行して、まさにアイドル的な人気で、僕も彼らのオリジナルスタジオアルバムはすべて持っている。
解散した今も、ノエル・ギャラガーはソロ活動で頑張っているし、リアムも最近まではBEADY EYEで頑張っていたしで、未だに影響力は強い。
彼らのアルバムで一番聴くのは、デビューアルバム「DEFINITY MAYBE」で、というよりも、未だに聴いているのはこのアルバムくらいかもしれない。
このアルバムは、間違いなく名盤だ。
オープニングの“Rock'n'Roll Star”からして、素晴らしい。
シンプルなロックソングながら、ダイナミックな展開を見せて、デビュー作からして堂々としている。
怒涛の名バラード“Live Forever” 、ヘビーなリフが素晴らしい“Columbia”、哀愁のメロディが胸を締め付ける“Slides Away”など、名曲の目白押し。
この頃は瑞々しい溌剌さのあったリアムのボーカルが素晴らしいし、新人ならではの危うさ、不安定さがたまらなく刺激的でカッコよくて、超新星のごとき輝きを放っていたし、今もその輝きは色褪せてはいないと思う。
はっきり言って、OASISはこのアルバムだけを聴いていれば十分、という暴論も通用すると思う。
続く2ndは名盤誉れ高い「(What's The Story)MORNING GLORY?」。
このアルバムは、その評価に値するだけの完成度を誇っているといっていい。
収録曲全曲をシングルカットしても、おかしくはない出来である。
その隙のなさ、完成度の高さは、90年代に新たなる帝王学を築き上げたといっても過言ではない。
マイミクさんの発言で
「求めているのは脳みそがぶっ飛ぶほどの音楽」
という件があったのだが、僕はこのアルバムにはその恐るべき完成度ゆえに、脳みそがぶっ飛ぶほどの刺激を感じずにいる。
「DEFINITY MAYBE」との違いは、ここにあると思う。
実際、耳障りの良さを追求したような、いわゆるサウンドオブウォール的な音作りも?だ。
3rd「BE HERE NOW」はその帝王学的な部分が悪い意味で増長した作風といっていい。
メロディも、サウンドも、さらにはリアムの歌声さえもマイルド。
とにかく聴きやすい。
ゆえに、刺激がない。
収録曲には“I Hope I Think I Know”のような溌剌とした曲も聴けるが、大半を占めるミドルテンポの楽曲に、ゆったりと癒しを求める音楽になってしまっている感は否めない。
4th「STANDING OF THE SHOLDER OF GIANTS」は悪評高い作品だ。
その批判は、アップテンポが少なくギターの活躍も少ない、要するにロックアルバムとしてはつまらない、というものであると思うが、いまさら何を言う、という感も否めないではない。
聴いてみると、悪くはないアルバムである。
収録曲のメロディは前作にあったわかりやすさは後退しているかもしれないが、実はしっかりとサビが活かされたものであり、それはどの曲においてもしっかり聴ける。
この点は、さすがノエルである。
リアム作の曲もあり、これはどうにもこうにもなのだが、アレンジの巧みさで何とかカバーしている。
このアルバムでのOASISはすでにロックバンドではなく、60年代後半のサイケサウンドに憧れるパワーポップバンドだと思えば、実はアレンジにしてもメロディにしても聴きどころはあったりすると思う。
5th「HEATHEN CHEMISTRY」は前作の批判を受けてか、反省してかなのか、ギターの音を前面に出している。
また、新たに加わったゲム・アーチャーとアンディ・ベルが自作曲を提供しているのだが、はっきり言ってゲムの曲についてはあまり面白いとは思わない。
注目はアンディの曲で、流石と思える出来ではあるのだが、なぜかインストナンバー。
本領発揮とはいかない。
ノエルの曲についてはまさに帝王学の真ん中を堂々と歩いている。
リアムについては名曲誉れ高い“Songbird”が収録されているけど、これはどうなんだろうね?
僕はあまり面白いとは思わない。
アルバム全体は、曲自体は王道のオアシス節が聴けるも、結局は今一つ印象に残らない、というのが正直なところか。
6th「Don' Believe The Truth」は一転、枯れたギターサウンドが特徴的で、そのサウンドのカッコよさゆえかざっさんされたように記憶している。
アンディが“Turn Up The Bell”というオープニングナンバーを提供しており、いよいよ本領発揮か?と思わせるが、肝心の曲の出来は今一つ、といったところ。
どうも、アンディはOASISではその才能を十分、発揮しているとは思えないのだが、どうなのだろう?
他にも名曲誉れ高い“LYLA”が収録されているが、僕はこの曲の魅力が今もわからないでいる。
サウンドは確かにロックの刺激、を感じなくもないんだけど、肝心の曲がつまらないんだから、印象にも残りようがない。
実質、ラストアルバムとなるのが現在までの最新作「DIG OUT YOUR SOUL」である。
はっきり言って、まったく期待していなかったのだが、このアルバムのオープニングの音で、ぶっ飛んだ。
ヘビーで爆音、まさに安心して聞けない脳みそを揺さぶる音がそこにはあった。
やっと、春がやってきたといって傑作だと思う。
全体的にはサイケデリックな雰囲気が支配的だが、「STANDING OF THE SHOLDER OF GIANTS」のようなポップアルバムとは違う、まさにロックな音に溢れたアルバムで、先行シングル“The Shock Of The Lightning”のシンプルながら勢いで聴き手を圧倒するダイナミズムは久しぶりのガッツポーズものだと思う。
ただ、残念なのはその勢いが不思議なくらい後半に失速する。
この時点でのOASISの限界点が、じつはこのアルバムには色濃く出ている、というのも正直なところか。
その限界点は、このアルバムに伴うLIVEでも聞かれ、僕はこの時の来日公演に行ったのだけど、そのすごさが伝わらないトホホな内容だった。
そして、その年のフジロック出演後に、解散してしまう。
解散のカウントダウンは、もうすでにこのアルバムの頃から、始まっていたのかもしれない。
と、ここまでOASISについて語ってきたが、要はこのバンドは90年代の帝王学、産業ロックそのものだと思う。
それを味わいたいのなら、完璧に体現された「(What's The Story)MORNING GROLY?」が代表作だろう。
しかし、彼らが刺激的なロックバンドだった、ということも事実であり、それならば聴くのは「DEFINITY MAYBE」なのではないだろうか。
改めて聴きなおして、このバンドのアルバムでこれからも聴き続けるのは「DEFINITY MAYBE」だということを改めて感じた、と記して、僕の駄文を終わりにしておく。
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