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2016年12月17日18:12

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(2014年)9/12〜9/14 tipsipÚca+

東京勤務の終わり頃から親しむようになった芸大g-celtやそのゆかりの方々のうち,きゃめるの皆さんは,岡さんは辛うじて古書ほうろうでのg-celtライブで拝見したことがありましたが(その時のメンバーは服部さん,岡さん,中原さん,野崎さん,沼下さんで,その後,全員OBOGになったのにいつまでもg-celtではあるまいと,「酒場の音楽隊」と改名されたようです。),酒井さん,高梨さん,成田さんは演奏を聴いたこともなければお会いしたこともないという状態が長く続いていました。

きゃめるの自主製作ミニアルバムが超廉価で発売されたのが私が道央を離れて道南に移る前後の頃でした。ライブ会場などで入手するしかないようでしたが,東京での平日夜のパブライブなどが主要な活動の場というきゃめるですから,このままでは入手できずに終わってしまうかもしれないとの危機感から,通販対応していただけないかときゃめるブログにコメントしたのは2012年夏の道南への転勤直後だったと思います。それに対応してくださったのが酒井さんでした。

きゃめるのアルバムは,王道のアイリッシュの興趣を感じさせるものでありながら,高梨さん作曲のオリジナル曲の持ついい意味での違和感が特徴と感じられ,興味深く聞きました。酒井さんはアラブや北欧の音楽もされるので,ノミヤタカコさんとのつながりで札幌にいらっしゃって時計台と犬養ギャラリーで2日間ライブをされたこともあったのですが,週の中ほどの平日では道南からは赴くことができずに残念だったことでした。

この(2014年)9月のtipsipÚca+での御来道も,酒井さんが初秋の北海道にいらっしゃるとお書きになっていたのが最初の情報だったと思います。その後,酒井さんと高梨さんのtipsipÚcaに中村さん熊谷さんが加わってのtipsipÚca+ということもわかり,(2014年)8月に訪れた帯広のぷれいおんとかちで中村さんがお持ちになっていたフライヤーも入手しました。

ツアーの全貌は,(2014年)9月の三連休の前後6日間,12日(金)札幌のや,13日(土)白老TOBIU CAMP,14日(日)鷹栖パレットヒルズ,15日(祝)美深開原寺,16日(火)美唄,17日(水)鹿追というものでした。

このうち,行きたく思ったのは札幌と鷹栖でした。
遠く道南からやって来て,せっかくの三連休,旭川に足をのばせば実家に滞在しつつ鷹栖は隣町です。ただ,鷹栖の会場はバス路線などからも離れた山中で,車を運転しない私には,問題は交通手段でした。少々遠い土地でも駅の近くの会場などの方が行きやすいという逆転現象が生じます。実家からの距離は少なくとも十数キロ以上はあるでしょうか。当時函館で使っていたようないい自転車があれば行けないことはないかもしれませんが,今実家にあるのは足を屈めて漕がなければならないようは古い24インチ車。ちょっと無理で,旭川駅近辺から鷹栖町役場まで路線バスで移動した後は,鷹栖町唯一のタクシー会社みどりハイヤーに頼るのがよいのではないかと,いろいろ調べて心を固めていました。

TOBIU CAMPには,前年(2013年)も中村さんはmomo椿*で参加されていますが,やはり交通手段が苦しいのと,サイトにはきちんとした装備を勧める記述もあったりして,夜を明かすのは恐ろしげだったので前年同様に見送り,12日(金)のうちに旭川入りして実家に滞在することにしました。

連休最終日の15日(祝)に美深に行ってしまうとその日のうちに道南に戻るのは無理なので,以降のスケジュールは断念し,15日(祝)は道北から道央を経由して道南に戻る1日とすることにしました。

12日(金)は例によって午後から休暇を取得し,札幌市内をあまり動き回る時間もなく、のやに向かったのだったと思います。

この連休,小松崎健さんは,翌13日(土)は豊平の一風来で,翌々14日(日)はジャック昼下がりと,続けてソロライブがあったのですが,道外からのtipsipÚca+の動向に合わせて道央道北を回る日程を組んだため,両日とも失礼することになりました。
ところが,この日,熊谷さんや中村さんは旧知,酒井さんとも入谷のなってるハウスでビロビジャンと東京クレズマーバンドで共演経験がありノミヤさんとの御来道時も御覧になっている…ということからいらっしゃったのだと思われますが,のやの客席には健さんのお姿もありました(翌13日(土)は大通のオータムフェストのステージにくおくお,のやに高野寛さん,翌々14日(日)はたべるとくらしの研究所に高野寛さんとキッコリーズなどもあったのですが,札幌に家や実家があるわけではない悲しさ,これらは全て見送りとなりました。)。

さて,のやでのtipsipÚca+です。
2年以上の時を経て具体的な曲目などは流石に記憶が薄れてしまいましたが,ファニーパワーとシャボン玉がいつのまにか行ったり来たりする曲はのやでも鷹栖でもあったと思います。

高梨さんには「おにぎりーる」など,もともと食べ物を題材にしたオリジナル曲の作曲を得意としていらっしゃるのですが,北海道にいらっしゃるとおいしい食材の数々に触発されて,この後も多くの新曲が生まれることになります。

やはり高梨さん作曲の「真夜中の偏頭痛」は聴いていると本当に頭が痛くなってくるような変拍子の極みなのですが,この夜も聴いたでしょうか。tipsipÚca+はこの後毎年のように北海道に来てくださったので,他の機会と記憶が混同してしまっているかもしれません。

酒井さんと高梨さんのうら若き女性お二人が演奏中からビールで乾杯されるなど,東京のホームグラウンドでの演奏風景が浮かぶ気がしました。もともとユニット名はお酒好きな妖精というところから来ています(健さんなどは何ちゅう連中かなどとおっしゃっていたかお書きになっていたのではなかったかと思います。)。

打ち上げにも期待どおり出席させていただきました。きちんと名乗ればあるいは酒井さんは思い出してくださったのかもしれないのですが,この日は何となく機会を逃してしまい,道南に戻るときのはまなすの22時よりは遅いが深夜バスの23時50分よりは早いという旭川行きの23時過ぎの終発に間に合わせるべく,途中で失礼しました。
この時,健さんが函館から来てくれてるんだよというようなことをおっしゃってくださいました。熊谷さんなどは,よく来てくれているから札幌の人かと思っていたなどと,当時も道南から来ていたと誤解されたのかもしれない御発言をこのツアー中にされていました。

翌13日(土)は旭川で過ごし,14日(日)は鷹栖を目指しました。
当初発表されていた会場はハレバレパレットなども行われるパレットヒルズだったのですが,前の週の雨の影響でコンディションが悪いということで,旭川市街地からだとその手前,きっちんらいるに隣接するぴっぱら小屋に変更との発表がありました。
私は行けませんでしたが,きっちんらいるはこの年5月のtricolor北海道ツアーでのライブがさいとうともこさんを伴って行われた場所でもあり,中村さんは既に知る場所だったと思われます。

雨といえば,この頃,白老町などは水害といってもいいくらいの悪天候に見舞われ,TOBIUキャンプの開催が心配されていたのですが,飛生の辺りは少し高くなっているらしく,特段の支障なくキャンプは実施され,13日(土)には予定どおりtipsipÚca+も参加されたとのことでした(前年に続き長崎亜希子さんらも参加されていたと思います。)。

当日は,まず鷹栖町役場の辺りまでバスで・・・と考えていたのですが,昼過ぎに実家から出発しようとすると,父が車で送ってくれるというではありませんか。2時間くらいしたら迎えに行ってやるとも。そろそろ免許返上も視野に入ってくるような年齢の父の申出はありがたくも申し訳なかったのですが,甘えてしまうことにしました(母らは留守にしていた記憶です。)。

パレットヒルズの所在地は鷹栖町17線8号ですが,この時の滞在中,父から古い地図などを見せられ,開拓時代,石狩川沿岸,今の旭橋のたもとのあたりが起点の1線1号とされ,私の生まれ育った辺りは1線2号,西に向かって2線,3線,北に向かって2号,3号というように割り振られ,旭川市街地ではすっかり何線何号との表示はなくなってしまったけれども,東鷹栖や鷹栖には残っているのだ旨の旭川近辺の開拓の歴史を聞かされました。17線という地名からも,旭川市街地からかなりの距離があることがわかります。

ぴっぱら小屋近くで父の車を降りて中村さんたちと再会しました。会場柄かこの日のお客は,自家用車で集まった,小さなお子さんを連れたような家族連れが多かったと思います。

この日の会場となったぴっぱら小屋は,小さいながらも屋根や壁があり,外から昼下がりの陽も差し込んで明るかった印象が残っています。絵本であるとか薪のたぐいが置かれていたような記憶もあります。マイクも複数使い,この公演の実現に尽力されたというドマノマドの方がPAを務めておられました。あるいは,この方が私の交通手段の問合せに返信してくださった方だったのかもしれません。隣接するきっちんらいるの方にはこの日は全く立ち入らずに終わりました。

曲目は,前々日ののやと共通するものも多かったと思います。ファニーパワー&シャボン玉も演奏され,屋外で子供たちが本当にストローでシャボン玉を吹いて飛ばしていたような情景も浮かぶのですが,幻の記憶でしょうか。

最後は屋外に出て,ぴっぱら小屋の傍らでお客とたき火を囲んでのスタンディング演奏で締めくくりだったと思います。14時半開場,15時開演で,終演しても秋の陽が落ちるまでまだゆとりのある明るい時間でした。

屋外で熊谷さんと少しだけ言葉を交わす機会があり,自分は旭川の出身で実家もあるので来られたこと,明日の美深はここから更に北に離れた土地であることなどを申し上げました。
酒井さんや高梨さんはおそらくは首都圏に育ち芸大を出られた方々,熊谷さんや中村さんは道産子とはいえ道東十勝の御出身ですし,なぜに美深なのかとお尋ねすると,私が東京を離れた後にできたお店だと思いますが,この頃とみに私が心惹かれるような方々が演奏の場とするようになっていた谷中のさんさき坂カフェの常連客の妹さんでしたかが美深開原寺に嫁いでいて…というようなことだったと思います。いろいろな御縁があるものです。

皆さんに御挨拶のお声かけをしてから,既に迎えに来ていた父の車に乗り込んで実家に戻り,翌15日(祝)は,また半日かけて道北から道南に戻りました。

翌週は金曜夜に宿直勤務,日曜は日直勤務という週末,翌々週はオオフジツボ4回目の来道です。

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