mixiユーザー(id:842237)

2016年12月01日22:35

241 view

Re:ゼロから始める紀行文_Ver000:僕らの周りは設計されてある

いよいよ12月になってしまった。光陰矢の如し。
今、ほとんど一人でやっているソフトウェア設計業務が忙しく、Wordと格闘しながら何とかまとめ込んでいる最中である。実際のところ9月いっぱいで設計から離れるはずだったのだが、そう簡単にはいかないものだ。実装上の都合に合わせた修正が入ったり、不十分な事前調査が原因のトラブルなどで、大きな変更を余儀なくされることもある。仕様を補足するための追加資料を作っていたはずが、正式な設計文書に昇格してしまい自ら手間を増やしてしまったことには顔を覆ってしまう。
こうしたドキュメントの修正や工程管理をやっていると時間などあっという間に過ぎて行き、今年も残すところあと一月、といったところだ。このソフトウェアは1月末にリリースされ、その後すぐにバージョンアップ版が予定されている。それどころか来年度に入るまでにこいつの親玉ソフトウェアの設計を任されてしまった。説明書無しな上に出来の悪い凶悪なラスボスをどう攻略したらいいものか、顔を覆っていたはずの手で頭を抱えてしまっている。

さて、バイクで旅をしたのが2か月前、写真を見ると撮影していないときの情景の方が思い出深く残っているのが面白い。初日、東名高速の海沿いで前線が運んだ風雨に車体を流されてヒヤリとしたこと、ヘルメットの顎紐を伝った雨がレインジャケットの首筋から入り込んで辟易したこと。四国のど真ん中を突っ切る国道438号線の狭さと長さに心細くなったこと。ギリギリのスケジュールを組んだために宿への到着が遅れる電話をほとんど毎日やっていたこと。これらはまず写真に撮れるものではないが、無事に帰ってきた今ではこうした出来事を思い出す方が楽しくなる。
せっかく休みをとって、お金をかけて、雨に風に冷気に熱射に晒されながらバイクで旅をするのだから、やはり自分の文章で残したいなと思う。しかしカメラを始めたときに写真の撮り方が分からないように、いきなり文章を書こうとしても上手く表現などできないものだ。
それでも大抵の物事は情熱をもって先達に倣って訓練することで出来るようになると信じている。
文章の、とりわけ紀行文の書き方というのはどのようなものか少しだけ調べてみた。
まず文章を書き始めるところからスタートするわけでない。思いつくままに書いたところでまとまった文章にならないのだ。書き手の思考が先行すると行間がすっ飛んで読みづらくなったり、つい同じような言葉が何度も並んでクドクドしくなってしまうこともある。そこでまずは「何を書きたいか」の骨組みを作る。そして時間軸方向には歴史を、距離方向には地理や地名をまとめてみる。リストにしてもいい。興味をもってその土地を観察し、考察することだ。そしてそこに自分の感覚を滑り込ませるように肉付けしていくのだという。
これは一言で表現するなら「設計せよ」ということではないか。設計を生業とする自分にはとても腑に落ちる説明だ。実はカメラで写真を撮ることもそうなのである。思いつくままにシャッターを切ったところで唸るような写真など撮れるものではない。なぜかと言えば、まず写真は目で見たものをそのまま写し取ることができないからだ。人間の目の方が優秀なのである。山の頂上から撮った大パノラマを写真で見たら何とも迫力のないモノになっていることがある。人間は短時間に見た景色であっても脳が時間で補正をかけるので、フレームで切り取られた画像よりも動画に近いという性質が関係しているそうだ。
写真家は写真を撮ることを「絵作りする」と表現する。筆は持たないけれど、写真にはフレームがあり、主題がある。そして撮影者の撮影したいという意思がある。たまたまシャッターを切っただけでは絵にならないのだ。撮像素子が、レンズが、設定が持つ特性を知り、絵を設計する。
写真も文章も同じであることに気付かされる。
こうした観点から身の回りのものを見渡せば、僕らの周りは設計されたものであふれている。形のないサービスも、提案され、熟考され、取捨選択され、ポリシーになり、規格化されて提供される。それを人間味に欠けるだとかロボット的だとか批判する人もいるが、それは少し違うのではないかなぁと思う。人の手を、意思を介したモノの方が上の空で提供されるものより上等であると。付加価値とは熱を発しながら頭を捻って産み出すものだと。
閑話休題。
設計とは目的を具現化する目論見だという。逆に言えば僕らは簡単に目的から外れていってしまうということだ。寄り道は旅のスパイスになるけれど、そこで日が暮れてしまってはたまらない。
文章を「設計する」勉強をしばらく続けてみるつもりだ。まずは書籍で勉強を、足りないなと思ったら文章教室みたいなものを利用してもいいかもしれない。

―――

オートバイなどというものが下火も下火なこの時代にあって、バイク雑誌というのはなかなかしぶとく生き残っているものである。
Out Riderという雑誌もその一つで、隔月発行ながらここ数年読み続けている。
この雑誌、速さであるとか重箱の隅をつつくようなライディングテクニックであるとか、または田舎ヤンキーの下品なカスタマイズなどとは無縁で、ひたすら旅をテーマにした粋な出版物なのだ。
この雑誌の紀行文が好きで隔月楽しみにしているのだけれど、1年ほど前の30周年記念から総集編の小冊子が付くようになった。きちんと製本された文庫サイズで写真はオーラカラー。綺麗に集めて飾っておける出来映えに感激である。 紀行文のタイトルだけでも良いものが多い。

「夜を旅する〈月夜野〉」
「受け継がれる夏」
「流砂―追憶の彼方に」
「ノスタルジア―鉄道駅を訪ねて」
「あるいは、行きずりという名の旅」

などなど、つい読み耽ってしまう良文が多いのだ。
もちろんバイク旅の紀行文に関わらず、古典を手に取ってみるのもいいだろう。ちょうど今読んでいる「旅の書き方」本には紹介が多い。ぜひ活用してみよう。
ここは練習帳。

フォト

フォト

フォト

フォト

フォト

フォト

フォト

0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する